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ワークシェアリングとしてのカースト制度

インド人の元外交官(貿易専門家)に、日本の品物をインドに持ってくる構想を聞いてもらっていた時、「インドから持っていく物も探すように。」と言われた。

 

その時、本当のインドの問題と、ずっと言われている「インド巨大市場」という煽り文句についての違和感がクリアになった気がした。

 

インド市場のストロングポイントとしてよく労働人口の増加などが挙げられており、

確かに、富裕層は言うまでもなく、都市部の大企業勤務の人などの所得の増加で、高級品や嗜好品への購買力がどんどん高まってきている。

 

しかし、それはただの氷山の一角である。

 

 まあ、氷山の一角と云っても日本の総人口ぐらいはすっぽりと収まってしまう規模だから、文字通り外側の人として接するつもりであれば、そこだけを相手にするのは賢明かもしれない。

 

しかし、肝心の10倍ぐらいある氷山の本体はというと、1人で出来るような仕事でも複数人でシェアして毎日を凌いでいる状況である。

(もしくは使い捨てである。参考文献→JILAF|2017年 インドの労働事情(人物招聘事業) )

 

原因は違えども、新しい場所(外部)への活路を見出さないと食べていけないのは、日本もインドも同じなんだと思った。

 

そして、この分業制というのはカースト制度によるものだが、殆どの人はこの足かせがあるから豊かになれないと思っている。

 

しかし、世界の各地に存在した似たような差別(差別された職業の種類や理由がほぼ似通ってる事から構造は同じだと推測する)を見るに、

カースト制度の始まりは、公衆衛生の観点からの隔離といった、一部を犠牲にしてでも集団を生き延びさせようとする知恵である。

 

 もちろん、現在では一部の人を生贄にする事は許されない事だし、彼らの尊厳の回復は一刻も早く完遂されるべきである。

 

しかし、現在多くの人が、これらの事やイギリス統治下での悪印象から、まるでアレルギー反応のように「カースト制度は邪悪」という所で思考を止めてしまっていて、

叡智としてのカースト制度の活用までをも拒否している事が残念に思われる。

 

 果たして、13億人を巻き込んで数少ないポストを争うのが「善良」なのだろうか?

 

そもそも、現在「富裕者のシンボル」となっている職業でも、もともとは同じ賤業扱いだったものもある。

 

「穢れ」とされながらも結局は必要不可欠であったり、一度に大多数に影響を及ぼす事のできる性質から、徐々にパワーバランスが逆転され今に至るのだ。

 

職業選択の自由についても、マイナスイメージがない職業についてはインド以外の国でも特に問題がなく継続されている事もあるし、

工芸品などでは継続されてきた事によって技量が上がり、それによってステイタスが上がったり、全く関係のない所からの志願者が出てきたりする。

 

つまり、問題なのは「嫌な職業を強制されている」事ではなくて「それが嫌な職業だとされている事」なのである。

 

そして医療や科学技術が発展した現代では、そのイメージの払拭は雇用の安定やサラリーの増加によって実現可能だと思う。

 

 いずれにせよ、「カースト制度の問題」を解決していくには人々のマインドセットを変えていく必要があるが、

 

カースト制度に細かく細かく職を割っていく特徴が入っているのは、「独り占めするより、皆で分けよう。」というある意味、本来のインドらしい思想でもあるように思える。

 

今後、さらなる人口の増加が避けられない限り、人権の問題だけで忌避するのでなく、ワークシェアリングとしてのカースト制度を健全化していく事が肝要だと思うのである。

 

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