子どもの目を持つお父さん | 風のたまごを見つけた   

風のたまごを見つけた   

for pilgrims on this planet.
この惑星はなんて不思議!

 

 

ヨガをなさる方はご存じでしょうか。

ガヤートリという、とても美しい音魂のマントラがあり

朝の瞑想時に窓辺で唱えている。

朝は鳥の鳴き声に慣れており

これまで全く気づかなかったけれど、、なんと虹

 

唱えている間、

鳥たちが一緒にちゅんちゅんと

さえずってくれていた!

 

ほんとなんです。びっくり

 

 

てっきり、たまたまリズムが合っているものと

思い込んでいた。けれど

ちゃんと、やめたら鳴き声がとまり、

はじめると、またさえずる。

ここ数日変わりません。クローバー

 

何かが共鳴するのでしょうね。

ご存じの方、是非ぜひ試してみて下さい。

嬉しくなりますよ♪

きっと、歌なんかもトーンが合うと

デュエットになるのかもキラキラ

 

 

それにしても

大人になるとはカナしい、、

 

ひとと鳥の境をつけていた私。

早く気づかなくてごめんよぉ、鳥たち。

 

 

 

今日は、

こんな鳥の伴奏には、瞬時に気づいたと思う

ベルギーの作家さんのお話です。

 

 

「『物語』を書くとは

国境の向こうを見ること。

境目は自分にとって

息苦しいものです」

 

 

ベルギーの児童文学作家で、

国際児童図書評議会会長の

ワリー・デ・ドンケルさんの言葉。

 

 

先月、来日されて童話について、

大人向けにお話をされた。

 

 


 

 

境目、というと日常的だけれど

それはやはり、とても魂的な感覚だと

わたしは思った。

 

見えている世界の

見えない部分や、聞こえない声を

すくい上げることで、自由になる。

そこにあらわれるつながりに、気持ちが高揚する。

そんな書くときの気持ちの流れが

がとてもよくわかる。

 

ベルギーは四国ほどの広さで

フランドル地域では、初期はフランス語のみ

後に労働者階級の言葉としてオランダ語が

使われたという。

 

日本人に有名な『フランダースの犬』は

英国人作家によるもので、現地ではあまり

知られていないそう。

「ネロとパトラッシュゆかりの地」の

観光地化は、日本人があまり騒ぐので

実施されたのですね。

 

 

ワリーさんは小さい頃、本を通して

他人や、異なる文化を理解することを

学ばれたという。

本は一緒に生きる人の

心の世界を体験する

扉だったのでしょう。


教職を経験なさってきたからか

とても対話好きな方のように感じた。

 

『 I  Miss Myself 』 (僕がいないとさみしい)

という作品がある。

ワリーさんは子どもの頃、

とても長い時間鏡を覗きこんで

自分の目をずっと見つめているうちに

鏡の自分が別人に見えはじめた。

そして、もし自分がここにいなかったら?

と思うと、問いが次々に湧き上がった。

母さんは?友人は?どう感じるだろう。

 

そこから本のテーマがはじまる。

 

 

 

子ども時代の

ミクロな視点から生まれる問いは

壮大な心の広がりを生むけど、

たくさんの情報に囲まれると、

あまりにも取るに足らない問うのように思いはじめ

やがて、その空間が縮小してゆく。

しかしワリーさんは、ずっと少年期の

センスオブワンダーを持ち続けている

貴重な男性だと思う。

 

あるとき子ども向けの講演会で

こう子どもに質問したそうだ。

 

「もし自分がここにいなかったらこの部屋の

「壁」はさみしがるだろうか?」

 

詩的かつ哲学的な問いだけど

子どもは、すらすらと答える。

ワリーさんが印象に残ったのは

ある少女が確信を持って

 

「壁だってさみしさを感じるわ!」

 

と、答えたこと。

少女の弟は交通事故にあい、図書館の前で

亡くなってしまったのだという。自分は図書館の前を通る度

弟を感じるのだと語ったそうだ。

会場はしんとした。

ワリーさんは愛する弟を失った少女が壁に感じたリアリティを

ずっと大切にしている。

 

 

 

 

近年の『Shadow』 (影)という作品は

お孫さんといっしょのとき、自分の影を踏む

お孫さんに触発されてできた作品。

影が、自分を踏まれて「イタっ」と言う場面からはじまる。

 

ワリーさんは会場でニコと笑うと

私たちに

 

「君たちは影になにを質問したい?」と

 

問いかけた。

 

参加者は大人ばかりだったけれど

おじさんたち、考えを巡らせて

 

「どっちにゆく?」

「おなかすかない?」

 

なんて、

無邪気に答えてゆく。

その空気が心地よかった。

 

きっと、子どもみたいなワリーさんの瞳のせいだと思う。

 

 

 

 

以前ワリーさんがベルギーで

子どもたちに尋ねたとき、影に

 

「何歳ですか?」

 

と質問した子がいた。

その子は

 

「自分が生まれる前は別の人の影だったんじゃない?」

と感じていて、「影」という存在をとても尊重していたのだ。

 

子どもにとって、影がそんなに重要なものだとは、、と

会場の大人には、大発見だった。

 

 

 

ワリーさんの作品の「問い」は

素朴でありながら

いのちと、その先の

「境目」を超えてゆく。

そして、とても広い空間を

こころをに開く。

 

子どもの心との対話を大切にしている

ワリーさんにとって、絵本は、家族の心のつながりを

深めるものでもあるのだろう。

 

 

最近はお父さんの読み聞かせも

増えているそう。

(うちの父も、就寝時に自己流読み聞かせ?を

してくれて、今も時々思い出す→☆☆

 

 

子どものような目の輝きのお父さんを持った子どもは

ほんとうに幸福だと思う。

こころの広がりを、共有して

大切に育てることができるから。

 

 

 

書籍や会場写真など、撮影一切禁止と、

なかなか厳しかったので全く写真がなく、すみません。

そして、優しい瞳のワリーさん、

素敵な時間をありがとうございました。

 

 

父の日もまじか。

こちらは全く文学的ではないけれど、最後の

蛇足に昨年の父の日ブログを貼らせてくださいね。

 

天国の父へ、今年も父の日。

ぱぱは最高だったね♪ ありがとうね。あじさい

 

 

 

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