『一連托生』
「一連托生」 byS
さあ、今日は2017年の最後の日。
毎年この、大晦日や新年は特別に感じますよね。
本質的には、変わらない「1日」ですが、人の知恵が創りだした時の流れも「良いもの」ですね。
今日の様に、味わい深い1日になるのですから。
そうやって、思考によって生み出された「特別な1日」を充分に味わいましょう。
私は、「禅」よりも先に「哲学」から入りましたので、「考える事」や「思考」を全く悪いものと考えておりません。
人から発生する、あらゆる「働き(感じる・思考・反応・無思考)」は、本来必要で大切な意味があるからこそ、与えられ備わっているものだと私は信じています。
ですから、私の中では「無思考」も「思考」も全くの同格です。
ただ思考が問題となるのは「正しく考える」という事が、「不安や心配」によって歪んでしまうからです。
「正しく思考」した、哲学者達も禅マスターと同じ境地に達していると私は推測しています。
どんな「道」を通っても、「本質」を求めていけば、必ず同じ「水源」にたどり着くはずです。
ですから
私たちは、自分の得意分野で、好きな道で、目の前に与えられた道で、大いに自分の道を突き進めば良いのだと思います。
そこで私達は本当の意味で「出会える」事でしょう。
まあ、私の場合、すぐに転び、嫌になり、飽きて、迷い、また歩き出しますので、
「あなた」より、ずいぶんと遅れて到着するでしょう。
だから気長に待っていてね(笑)
さあ、私にとって2017年は特別な年でした。
忘れる事は出来ない年です。
なにせ、なるべく人の前には立たず、ひっそりと生きていたかった、
この私が世間様に向かって「ブログ」を書いているのですから!!
※心の内はそうでも、人の前に立つ機会が少ない訳ではありません・・・
人生は分かりません。本当に。
私は「なっちゃん」の存在によって、言葉は適切でないかもしれませんが、「なっちゃん」の死を契機にして、私の「今」があるのです。
それは、正しくはないのかもしれませんね。
ですが、私にとっては、これしか道はありませんでした。
どうかお許し下さい。
「なっちゃんの生」が「私の人生」を変えました。
私はこの「生」に心から今、感謝をしています。
「なっちゃん」そして、「なっちゃんのご家族様」には、心より感謝致します。
本当にありがとう。
さあ、今年の最後にふさわしい、私の大切な詩をご紹介します。
私は結局、生きるとは「一蓮托生」だと思うのです。
※一蓮托生:結果の善し悪しに関わらず、人と運命や行動を共にする事。
ある種の人だけが、救われるというのは、
どうにも私は肌に合いません。
選ばれた人だけが救われるなら、「俺は選ばれたくない」という反骨精神が自然に生まれてしまいます。
そして、選ばれず残された仲間達とこの地球で一緒に生きていきたい。
俺には選ばれた人達と過ごすのは窮屈そうで嫌です。というか、面倒くさそう。
選ばれない人達の方が、俺と気が合いそうです(笑)。
では、ご紹介致します。
『ダライ・ラマ自伝』より
~わたしに素晴らしい霊感と決意を与えてくれる短いお祈りを読者と分かち合いたいと思う。 『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ著、山際素男訳(文春文庫)より引用。
世界が苦しみに耐え
生類が苦しみつづけて
いるかぎり
この世の苦痛を
取り除くために
願わくば わたしも
またそれまで
共にとどまらんことを
如何でした?私はこの詩に出会った時、
「ズッキューン」となりました。
つまり、心底惚れ惚れしました。
仏教って、かっこいいなって思いました。
こんな言葉を発する事の出来る人間が、
同じ地球にいる。
本当にいるんだなと。
それだけで、とっても嬉しくなりました。
では、今年はこれにて失礼致します。
皆さま、どうぞ、よいお年をお迎えくださいね。
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