不育症の記録 あなたの産声を

6度目の妊娠で第一子を出産しました。記録を残すことで誰かの助けになればと思います。
旧 不育症記録 虹の向こう側

29・手術

2018年03月09日 | 3度目の妊娠
診察の結果、私は左卵管に着床した子宮外妊娠と診断されました。
もう胎児の大きさに母体が耐えられるギリギリの時期になっていて、
実際に腹腔内にはすでに出血が始まっているから
今すぐに手術で左卵管を摘出しないと母体の命が危ないということでした。

今すぐ手術しないと、いつどうなるかわからないと言われても
手術の同意書には夫のサインが必要です。
夫が病院に来るのを待って、手術は2時間後に始まることになりました。


その間に私は説明を受けました。

子宮以外の場所に着床した子供は、今の技術ではどうあっても助けられないこと。
恐らく子供には何の問題もない、母体にも。
子宮外妊娠は子供や母体に何か問題があって起こるものではない、運が悪かっただけ。
手術は腹腔鏡を使うから、回復は速いでしょう。

何度も、子供は助けられないんですか?方法はありませんか?と聞きました。
何度聞いても、方法はないと言われました。

卵管を残す方法はないわけではない、けれどお勧めしませんと言われて、卵管はあっさり諦めました。
子供が生きているのに諦めないといけない瀬戸際に、卵管の片方を諦めるなんて些細なことです。
子供が命懸けで頑張ってるんだから、それでも助けることができないんだから、
私は子宮を失くしたとしても大したことではないと思いました。


夫を待ってる間に、手術しなくても流産すればいいんだという考えが浮かびました。
どうしても、今生きている子供を摘出するというのが酷に思えて、
自然に流れてしまった方が、子供が楽なんじゃないかと思えたからです。
この時期の胎児が苦しいとか痛いとか感じるのかどうか、私は知りません。
それでも、どうしてもそんな考えが浮かんで消すことができませんでした。


私はさっきまで流れなくてよかったって思ってたのに。
一ヶ月一緒に過ごせて嬉しいと思ってたのに。
その気持ちは今も変わらないのに、今はまるで逆のことを考えてる。
A先生はそこまで見越してたの?
自分の気持ちが、自分でもコントロールできなくなってるのを感じました。


夫が到着した時、私はまだ手術を了承していませんでした。
どうあっても生まれてこないというなら、せめて流産するまで待って欲しいと思っていました。
病院の先生と看護師さんに、今まで待ったけど流れなかったからもう待てないんです、
今この時にもあなたがどうなるかわかりません、と何度も説得されました。

夫に説得されて、夫が同意書に署名をして、それから私は手術を受けますと口にしました。

本当は受けたくなかった。
本当は受けたくなかった。
本当は受けたくなかった。


「あぁ…外妊なのね…残念だけど、でももう2人お子さんがいるのよね。それならまだよかったわね!」
私のカルテの「過去2回の妊娠」という部分だけを読んで、誤解して慰めてくれる看護師さんに
曖昧な返事をしながら手術の準備をしました。


手術台の上で「これから麻酔をします…大丈夫です…少しぼーっとしますが、まだ麻酔は効いていません。5,4、…」という声を聞いたのが最後でした。