おそらく生きてる人は普通はあんまり死にたくないよね。
だから、もし死を宣告されたり、
死の危険が近づいたら…
きっと、ものすごく真剣に、
・どうか死にませんように
・どうかもっと生きられますように
・死の危険が去りますように
って願ってるはずだよね。
なのに、結果的にその願いが叶わなかった人は、きっと大勢いるよね。
だから、願いが叶うなんて嘘だって言いたくなるんだよね。
分かるよ。
本当に痛いくらい分かるよ。
僕が前に書いた「願いが叶う方法」が正しいとすると、こういうことになるんだ。
(願いが叶う方法)
1 願いごとをしていい気分に浸ってればその願いごとは叶う
2 願いごとが叶うまでにタイムラグがある
3 願いごとが叶わないとしても願いが叶ってる
もし、人が死にたくないと願っても死んでしまう理由を、この1~3をもとに説明するとすれば、こうなるよ。
1 死が怖いし、死なないなんて信じられないから、もちろんいい気分になんて浸れない
2 せっかく信じられても、完全に死の危険から免れるまでにタイムラグがある。すると、1に戻ってしまって、死が怖い、死なないなんて信じられないから、いい気分に浸れない
3 本当は死ぬことを受け入れてる。本当は死ぬことは悪いことじゃなくて、本当の自分=魂は、そろそろこの人生を鑑賞するのを終わりにしたがってるのかもしれない
僕はまだ死にたくないし、
この人生が大好きだけど、
もし、人が誰も例外なく確実に死ぬとしたら、死は決して悪いことじゃない気がするの。
1 死なないと信じられていい気分に浸れるかどうか
2 タイムラグがあっても信じていい気分に浸れるかどうか
この2つは、個人差あるじゃない??
それにもかかわらず、例外なく、個人差なく、
人がもれなく確実に、本当に「意に反して」死ぬのだとしたら、
もう3しか考えられないの。
つまり、本当の自分は、すべて魂として1つで、その魂は死を願ってるの。
僕もあなたも、本当の自分は魂というたった1つのものなの。
だから、こんなに人それぞれに願いや生き方に個人差があるのに、死だけは誰にもやってくるの。
これはもう、死ぬという意思は顕在意識上のあなたや僕という各個人の意思じゃなくて、たった1つの存在の意思としか思えないよね。
つまりね、
「死ぬべき時期が来たら死ぬ」っていうことに、僕ら全員のたった1つの魂が同意してるというか…
「よし、もういいや、この人生は終わりにしよう」って望んでるというか…
僕らの魂は、「死ぬべき時期が来たら死ぬ、それまで人間として生きる」って「願って」生まれてきたんだよ≧(´▽`)≦
だからね、
「人は皆死ぬ、それでも願いは叶ってる」
っていうことなの。
でも、願って死んだのか、願いが叶わず死んだのかは証明できないっていうだけなの。→この記事ね
だから、もう怖がらないで、疑わないで、
今ある命を精一杯生きようよ(⌒∇⌒)
この記事を読んでるあなたは、今は間違いなく生きてるんだから。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ
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