2018年01月26日
読みやすい文章を書くこつ
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本日は、読みやすい文章を書くこつについてです。
新聞記者と他の書き手とでは明らかに文体が異なります。
新聞記者も実際はそれぞれに個性があります。しかし、新聞の記事を読んでいると、どれも似たような文体だと思いませんか。
新聞社に入ると、個性のない文章を書くように訓練を受けるからです。
とはいえ、読みやすいのも間違いありません。
例外的に、朝日新聞の高橋純子さんのように個人名を前面に押し出したコラムの場合は、かなり独自色が出てきます。高橋さんについては、前に取り上げたことがありますが、やはり例外中の例外です。
何を言いたいかというと、新聞社に入りたいのであれば、まずは「読みやすい文章」を目指してくださいということです。
もちろん学生であっても、芥川賞を受賞する人がいますから、天才的な文才を持っている人はいます。そういう人は独自色を保ってください。
しかし、大学の先生や職員の方に作文を読んでもらって、「分かりにくい」「ここを直した方が良い」と一度でも言われたことがある人は素直に「読みやすい文章」を心がけてください。
さて、では具体的にどうすれば良いでしょうか。
昨日の記事でお伝えした「が」をなくして、短い文章にすることが、まず第一。
それから、文末に気を付けてください。
新聞以外の媒体の文章を見ると、文末が「である。」「なのだ。」となっていることがよくあります。
しかし、ニュースを扱う一般紙の記事で、「である。」「なのだ。」が使われることはないと言って良いと思います。
おそらく、小説、作家のエッセイ、雑誌やスポーツ新聞などでは「である。」「なのだ。」をよく見るし、違和感もないと思う人がいるでしょう。
一般の人に作文指導を頼まれたときも、「である。」「なのだ。」をよく見かけます。
でも、私はそのたびに「残念だな」と思います。
「である。」「なのだ。」を使うべきでない理由の一つは、簡潔な表現ではないからです。単純に「だ。」と置きかえることができるのに、余計に2文字追加するのは無駄です。これを5つの文で繰り返せば、計10文字。新聞の一行は11字です。「である。」を使えば使うほど、情報量が減るということです。
さらに、「である。」「なのだ。」は経験のある人が強調する時に使うべきなのであって、個人的な話題で使うとえらそうな印象を与えます。
例えば、
毎朝、散歩することが私の習慣である。
朝の散歩が私の習慣だ。
上の文を大学生が書くと、えらそうだと思いませんか。
しかも、同じことを書いているのに、下より7文字も多いですね。下は、「である。」を「だ。」に変えた上で、「習慣」に「毎日のようにやること」という意味が含まれているので「毎」を取りました。さらに、「散歩すること」は「散歩」にしても意味は同じですから「すること」を削除しました。
新聞記事は、このような感じで文字数をできるだけ減らすように文章を直してできています。
もう一つの例を見ましょう。次はどうでしょうか。今度は逆のことを説明するために、あえて極端な例を持ち出します。
わしはバカボンのパパなのだ。
私はバカボンのパパだ。
若い人には通じにくいかもしれませんが、赤塚不二夫さんの漫画「天才バカボン」に出てくるパパの言い回しです。
バカボンのパパのセリフであれば、ほとんどの場合、「なのだ。」を使わないといけません。常に「えらそうな態度」を取ることがバカボンパパのイメージとなっているからです。
バカボンパパのセリフは、簡潔さを目指すのではなく、「パパらしさ」の方が優先です。
もう一例、本日の新聞から。
朝日新聞の文化面に出ている「純文学 受賞作が決める賞の価値」にある一文です。
これは発案者である菊池寛の先見の明などという話ではなく、芥川賞はその歴史の中で、単なる新人賞では済まない役割を担ってしまったということなのだ。
本日の新聞に出ている文ですが、先ほど私が書いたことと矛盾しているわけではありません。これはニュースの記事ではなく、小説家の磯崎憲一郎さんによる評論です。磯崎さんという権威のある方が、知見に基づき判断したことを強調して語っているから、「なのだ。」で終わっているのです。
一般の記事であれば、次のように変えることができます。
発案者、菊池寛の先見の明ではない。芥川賞は長い歴史の中で単なる新人賞では済まない役割を担ってしまった。
磯崎さんの71文字の文を51文字に短縮できました。新聞記事で約2行も短くなったわけです。ただし、磯崎さんの文章と異なり、メリハリがなくなり、格調も消えてしまいます。
私がこのブログで毎朝書いている文章も、新聞記事のスタイルを取っていません。
理由は、皆さんに語り掛けるような文体にした方がなじみやすいだろうということがあります。
さらに、新聞記事の文体は書くのに意外と時間が掛かります。
書きたい内容を書くだけなら短時間で済みます。
しかし、冗長な表現をなくして、表記の統一まで厳しくチェックしていると、大変です。
まとまった分量の新聞記事を書くのは困難な作業を伴います。
だから、新聞社や出版社には、文章表現や事実関係を厳しくチェックする校閲部というものが存在します。
私には校閲の経験がほとんどありません。さらに、ずぼらな性格だということもあって、ブログをアップロードした直後に「あれ、否定文にしたつもりが肯定になっている」とか「読み仮名が抜けている」という間違いが多発しています。そのたびに直すのですが、なかなかうまくできませんね。
だから、皆さんも作文を書いたら、自分の書いた文章をきちんと直すことも練習してください。
最後は言い訳になってしまいました。
本日言いたかったことは、以下に要約されます。
簡潔な文章を心がけましょう
簡単に見える文章を完璧に書くのは難しい
引き続き質問をお待ちしています。
下のコメント欄にお書きください。
日中、気になったニュースをリツイートしたり、つぶやいたりしています。
https://fanblogs.jp/sagamimuneo/
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新聞記者と他の書き手とでは明らかに文体が異なります。
新聞記者も実際はそれぞれに個性があります。しかし、新聞の記事を読んでいると、どれも似たような文体だと思いませんか。
新聞社に入ると、個性のない文章を書くように訓練を受けるからです。
とはいえ、読みやすいのも間違いありません。
例外的に、朝日新聞の高橋純子さんのように個人名を前面に押し出したコラムの場合は、かなり独自色が出てきます。高橋さんについては、前に取り上げたことがありますが、やはり例外中の例外です。
何を言いたいかというと、新聞社に入りたいのであれば、まずは「読みやすい文章」を目指してくださいということです。
もちろん学生であっても、芥川賞を受賞する人がいますから、天才的な文才を持っている人はいます。そういう人は独自色を保ってください。
しかし、大学の先生や職員の方に作文を読んでもらって、「分かりにくい」「ここを直した方が良い」と一度でも言われたことがある人は素直に「読みやすい文章」を心がけてください。
さて、では具体的にどうすれば良いでしょうか。
昨日の記事でお伝えした「が」をなくして、短い文章にすることが、まず第一。
それから、文末に気を付けてください。
新聞以外の媒体の文章を見ると、文末が「である。」「なのだ。」となっていることがよくあります。
しかし、ニュースを扱う一般紙の記事で、「である。」「なのだ。」が使われることはないと言って良いと思います。
おそらく、小説、作家のエッセイ、雑誌やスポーツ新聞などでは「である。」「なのだ。」をよく見るし、違和感もないと思う人がいるでしょう。
一般の人に作文指導を頼まれたときも、「である。」「なのだ。」をよく見かけます。
でも、私はそのたびに「残念だな」と思います。
「である。」「なのだ。」を使うべきでない理由の一つは、簡潔な表現ではないからです。単純に「だ。」と置きかえることができるのに、余計に2文字追加するのは無駄です。これを5つの文で繰り返せば、計10文字。新聞の一行は11字です。「である。」を使えば使うほど、情報量が減るということです。
さらに、「である。」「なのだ。」は経験のある人が強調する時に使うべきなのであって、個人的な話題で使うとえらそうな印象を与えます。
例えば、
毎朝、散歩することが私の習慣である。
朝の散歩が私の習慣だ。
上の文を大学生が書くと、えらそうだと思いませんか。
しかも、同じことを書いているのに、下より7文字も多いですね。下は、「である。」を「だ。」に変えた上で、「習慣」に「毎日のようにやること」という意味が含まれているので「毎」を取りました。さらに、「散歩すること」は「散歩」にしても意味は同じですから「すること」を削除しました。
新聞記事は、このような感じで文字数をできるだけ減らすように文章を直してできています。
もう一つの例を見ましょう。次はどうでしょうか。今度は逆のことを説明するために、あえて極端な例を持ち出します。
わしはバカボンのパパなのだ。
私はバカボンのパパだ。
若い人には通じにくいかもしれませんが、赤塚不二夫さんの漫画「天才バカボン」に出てくるパパの言い回しです。
バカボンのパパのセリフであれば、ほとんどの場合、「なのだ。」を使わないといけません。常に「えらそうな態度」を取ることがバカボンパパのイメージとなっているからです。
バカボンパパのセリフは、簡潔さを目指すのではなく、「パパらしさ」の方が優先です。
もう一例、本日の新聞から。
朝日新聞の文化面に出ている「純文学 受賞作が決める賞の価値」にある一文です。
これは発案者である菊池寛の先見の明などという話ではなく、芥川賞はその歴史の中で、単なる新人賞では済まない役割を担ってしまったということなのだ。
本日の新聞に出ている文ですが、先ほど私が書いたことと矛盾しているわけではありません。これはニュースの記事ではなく、小説家の磯崎憲一郎さんによる評論です。磯崎さんという権威のある方が、知見に基づき判断したことを強調して語っているから、「なのだ。」で終わっているのです。
一般の記事であれば、次のように変えることができます。
発案者、菊池寛の先見の明ではない。芥川賞は長い歴史の中で単なる新人賞では済まない役割を担ってしまった。
磯崎さんの71文字の文を51文字に短縮できました。新聞記事で約2行も短くなったわけです。ただし、磯崎さんの文章と異なり、メリハリがなくなり、格調も消えてしまいます。
私がこのブログで毎朝書いている文章も、新聞記事のスタイルを取っていません。
理由は、皆さんに語り掛けるような文体にした方がなじみやすいだろうということがあります。
さらに、新聞記事の文体は書くのに意外と時間が掛かります。
書きたい内容を書くだけなら短時間で済みます。
しかし、冗長な表現をなくして、表記の統一まで厳しくチェックしていると、大変です。
まとまった分量の新聞記事を書くのは困難な作業を伴います。
だから、新聞社や出版社には、文章表現や事実関係を厳しくチェックする校閲部というものが存在します。
私には校閲の経験がほとんどありません。さらに、ずぼらな性格だということもあって、ブログをアップロードした直後に「あれ、否定文にしたつもりが肯定になっている」とか「読み仮名が抜けている」という間違いが多発しています。そのたびに直すのですが、なかなかうまくできませんね。
だから、皆さんも作文を書いたら、自分の書いた文章をきちんと直すことも練習してください。
最後は言い訳になってしまいました。
本日言いたかったことは、以下に要約されます。
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簡単に見える文章を完璧に書くのは難しい
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