そのあと星空を忘れる期間がある。鹿児島、東京、ロンドンでの十二ヶ年だ。途中で、全く違う色と迫ってくる強さの東南アジアの星空を半年見た。しかし、鳴くゲコ(ヤモリの一種)や足に這い登っってくる蛭、自動小銃を持って歩き回る軍人に注意が向かってしまい、星空の記憶があまりない。一緒にいたガールフレンドの面倒をみることがもっと大切だったこともある。
ロンドンでは星は見えない。見えるかもしれないが、わたしの記憶には残っていない。東京では見えない、それは誰も否定しないだろう。
次は、沖縄と長野県だ。そこでの星空は、わたしに死んでもいいと思わせるほどだった。死んでもいいと思ったくらいだから、その頃の細かい記憶はない。記憶は選択されて一部が明確に残っているが、他はぼんやりとしており、何が実際に起きたことかはっきりしないこともある。
最近、ある音楽を聴く。音から映像を想うことはありえるし、映画のテーマソングならその画面が想いうかぶ。また、波の音なら海、川のせせらぎの音なら清流、鯨が獲物をいっぺんに口に呑み込む音なら鯨が海からそそり立つ場面、飛行機の離陸の音なら、どの飛行場からボーイングの何型が離陸するところか言いあてれる。(これは嘘)
しかし、星空の音。どうだろう、想い浮かべることができるだろうか。わたしはしばらく星空の音にはまっている。聞いたことがない星空の音、これこそあの時の空の音だと確信できるのだ。