友野雅志の『うつの仲間のHandinHandWorld』

友野雅志の『うつの仲間のHandinHandWorld』

ヨーロッパの1/4、日本の1/10が鬱である。どのようにして乗り越えてきたか、情報交換の場です。管理者も三年の病気経験があり、療養中です。書店店長2年、初期コンピュータ開発3年、書店システム開発38年。本、ギター、詩、俳句、料理、絵、写真が趣味です。

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私が鬱の最悪な状態の2年を過ぎて、本を読めるようになった時、鬱の経験を書いたいろいろな本、軽い鬱で仕事を継続できる人が書いた、頑張ればなんとかなるという本、アメリカの精神学会の治療法の本、日本の医学者が書いた、こうすれば良くなるという本、鬱なんか気分の問題だと主張する心理学者の本、もろもろ百冊ほど読んだ。

鬱の症状が残っている頃に読んだ本の内容ははっきりとは覚えていない。自分の行動すら覚えていない。ある日仕事の打ち合わせをしたと思うと、一週間なにもできず、日記も書けず、自分がしたことを思い出すことができない。連れ合いが話してくれてはじめて、そういえばそんなことをした記憶がかすかにあるということがたくさんある。

読んだ本でも、あっこの人は本当に鬱を知っているわけではなく、想像で書いているとはっきり印象に残った本や、ある医学者が、自分の奥さんが性的暴力を受けて鬱になり、それまでの本の内容とまるで違う姿勢で鬱に向かって書いた本ーーそれは借りものの理論でなく、家族と患者の心が通じないまま両方ともに苦しむ生活を書いたものだったーーそれまで人格者のように思っていた心理学者が実際は鬱の患者のカウンセリングを研究資料にしたいんだなぁと思わせる本とかは記憶に残っている。しかし、多くは過去の研究書から集めた言葉で鬱患者に決まった定義をしようとするものだったように思う。

今回、偶然山本文緒さんの小説をFBで知り、すぐ買って読んだ。鬱の回復期に彼女の『再婚生活 私のうつ闘病日記』と『そして私は一人になった』を読んでいたので、鬱を経験した作家として記憶に残っていたからだ。それは離婚、鬱、再婚という私がとおった道といっしょだったからである。そして、この人の鬱の始まり、症状の変化、記憶にうっすらとしか残っていない2年少しの時間、ある日はまるで鬱でないかのように活発に動き、仕事をして、翌日からはまったく動けず、生きていく意味があるだろうかと思いながら横になって何もできないという鬱の始まりと回復期の症状は、その頃の私の状態と似ていた。

それで『自転しながら公転する』の表紙を見て、すぐ読んでみたいと思った。伊野尾さんがストーリーや物語のポイントを書いてなかったので、復活したんだ、どういう作品か知りたいと思った。

正直、『そして私は一人になった』は私が失った記憶といっしょに薄らいでぼんやりしか思い出せない。しかし、『私のうつ闘病日記』は、仕事や家庭生活で疲れている方とそのご家族や仕事仲間には是非読んでほしい。多分、鬱を発病する契機はみんなどこか似ているし、回復するために大切なことはほぼ同じであるように思うから。








28歳までは大学ノートに毎日、夢からその日の出来事、考えたことやこころの中のことをなんでも書いていた。28歳からシステム手帳に変わり、現在まで同じ書式のカレンダーとメモのビジネス手帳を使っている。35年前に丸善心斎橋店で買ったAshfordの革の表紙をまだ使っている。
それにバイブルサイズの日記、テーブルマット式のカレンダー、これも20年くらいになる。ビジネスダイアリーと手帳、日記、テーブルマットカレンダー、この3つは長い付き合いだ。

手帳類と同じ数の病院へ通っている。11年前から心療内科へ。きつい時や薬の量の相談に今は3か月に一回程度。
また、近くの内科で月一回処方してもらえる薬もあるので、それは近所の内科でもらう。肉体的にきつい時に近いと楽である。
心療内科は遠い。そこに決めるまで数カ所行った。抗鬱剤は頭痛や吐き気をもよおすものもあるが、最初の病院で、薬の効能副作用の説明もなく処方され、激しい頭痛で動けず電話をすると、「来週、薬を替えてみましょう」だけ。
それで薬について詳しく説明して質問に答える医者を見つけるまで探して今の私と同じ歳のツルツル頭のお医者さんのところに通っている。薬をどうするかは、薬の事典を開いてその内容を私も読んで相談して決める。

それでも一年半近く休職するしかなく、病院へ付き添い付きで通う以外外出ができず、食事、風呂、トイレが精いっぱいで、時に錯乱したように生活のなかのひとつひとつのことそのものが不可能な時期が2年少しあった。今はすこし落ち着いているが。ーーーーその時ツルツル頭のお医者さんは入院を勧めた。入院した方が回復は早かったかもしれない、と今は少し思う。その頃は、私がお見舞いに行った精神病棟の記憶から、入院するとシャバに戻って来れない可能性が高いと思ってはっきりとNOと返事したが。

心療内科と内科の2ヶ所の他、あと一ヶ所通院している。昨年の正月にウイルス性腸炎になり、一日十数回ベッドとトイレを往復するようになった。それで始まった胃腸科の病院である。

そこでアルコールを絶った。数回、どうしてか、天候と記憶がビールや日本酒、ワインの気持ち良さを思い出させて、耐えきれない時はあったが、胃腸も心地よいのか、大丈夫だった。

半年ほどおさまっていたが、昨年のクリスマスから正月。暴飲暴食、酎ハイとお屠蘇。
それで再発し、年明けから粥だけの日が2週間続いた。前回の痛みと苦しみに懲りているので、粥だけでも身体も辛抱している。それでFBも書く力が無く、ちらっと見るだけだった。

最近はお正月に年賀状を書いていたが、今年はそれもできなかった。これを機会にもう書かないと思う。お付き合いくださり賀状をくださる皆さま、お許しください。

そして今週は、三つ目の胃腸科の病院で、内視鏡手術である。それでOKならいいのだが。

OKなら、その夜はステーキを食べるつもり‼️アルコールも絶っているので、赤ワインを一杯だけ、自分へのご褒美とお祝いに。ーーーー残念ながら、手術後一週間は肉やアルコールはダメとのこと。今の食事に白身魚が加わるくらいだと。ガクッ😩

しかし、自分のダイアリーと日記を見ていて、どうして書くことを続けようと努力しなかったのだろうと考える。目の前のコンピュータの仕事がどんどん大きくなっていくのが自尊心を満足させたからだろうなぁと思い返している。

30年かけて積み上げてきたノウハウとシステムを前の会社に残して一人で再スタートするしかなかった。まだまだ、30年かけてつくりあげたものにはまるで及ばず、35年前の創業時期と似た感じである。

やってみるか‼️と思うこの頃だ。先ず、腸を安定させる、肉と赤ワインを久しぶりに味わってから、少しずつエネルギーをためよう。残り少ない時間をふたつのことに集中して向かってみようーーーー今年の新年の決心は、マイナスに大きく揺れたり、なんとか持ち直して、冬の木の芽のようにすこし上向きになってきた。さて、それを維持しなくては!!

今週は辛抱の一週間だ‼️うまくいけば、ステーキと赤ワインにありつけるぞ‼️ーーーー2週間先に😭


下は以前に「Tomoのブログ」に書いたものである。今も心境は変わっていない。それどころか、生き続けるために一日中朝から寝入るまで、そして目が覚めたとき、何を考えるかで生きることに耐えれるかどうかが決まるのは、一層はっきりして来た。

毎日が心の中でのそのたたかいである。

多分多くの鬱の方は同じだろうと思う。少しは役に立つかも知れないと思い、もう一度載せることにした。

ーーーーー
【2019年に別のブログに書いた記事】

下のブログに書いたように、10年前にわたしは鬱になり一年半休職し、その半年後退職した。病名は、鬱症状を含む全般性不安症、及びパニック障害である。

https://ameblo.jp/handinhandworld

同じ症状で苦しんでいる方が多いと聞いたので、簡単に私の症状とリハビリについて書くのも役立つかもと思い書くことにした。

当初、自分の字が読めず、スーパーに並んでいる果物の名が出てこない、街へ出ても名前を知らないものばかりなのでパニックを起こす。それは、書店の本棚でも、長いあいだ使ってきたコンピュータでも同じだった。吉本隆明⁉️誰⁉️4GBメモリーのノートパソコン⁉️何⁉️という具合である。何しろ、林檎とタマネギとニンジンの区別がつかないのだから。

退職後、症状は残ったが少し改善された。時にひとりで電車に乗れるようになった。

しかし、その後、昔この病気の発生と似たような現象に出会うと再発した。昔ほどではないが、根本的な症状は同じである。それが、短い時間ーー10分とか30分とかーーひどい症状が出てくるまで辛抱できるようになった。

それでも人混み、罵声、悲鳴には耐えられない。

今は、静かな早朝や夜間の散歩、昼間は妻に付き合ってもらって人通りが少ない道の散歩を短い時間している。

お医者さんによると、環境、人間関係が完全に変わらないと完治は難しいという。また、南の島に引っ越したら、即治るだろうと言う。しかし、それも100%確実ではない。そこにも私の神経に突き刺さってくる音や言葉や状況がある可能性がある。

自分で読んだ専門書も数十冊になるだろう。そして、わたしは少しずつ改善するように生活をリハビリとして考えている、もちろん必要な仕事は処理するが、速度と内容では仲間に迷惑をかけているだろう。

責任ーーというほどのものではないが、まずそれを優先して、その中で病気が良くなるようにしていこうと考えている。

同病の方々には、まず環境、人間関係を変えることをお勧めする。それができない場合は、生き続けることを大切にして、自分に与えられた環境での最善をはかることだと思う。

生きていて良いことは無い、という考えがきたら即否定し、生きることが無意味でないことを確認すること。ーーー私はそれを一日に何度も行っている。正しいかどうかはわからない、しかし、それはひとつの方法だし、私にとっては最良だと思っている。

生きている間に完治するということは、私が東京で、あるいは日本の社会で生きている限りありえないだろう。

生き続けること。生きているのが苦しいと感じたら、それでも生きるのに意味があると思える何かを心の中で見いだすことで、暗い水底から呼吸できるところまで浮きあがる、全身の力を抜いて浮力に任せて浮きあがること。

浮きあがると呼吸ができる。その時は、宇宙にひとりぼっちでも、呼吸できるだけで、これまで生きてこれただけで良かったと感じる時が、たまに一瞬ある。

その一瞬のおかげで生き続けていけるように感じている。

そしてこの病気には、完全に受け入れて理解してくれる人がいるかどうかが大きなポイントである。理解していない人の言動は、たとえそれが励ましのつもりでも、さらに「そのくらい気持ちの問題だよ」という思いをもっている人からの場合、鬱の底に落下する引き金になり、パニックを引き起こす原因にもなる。

まわりのひとにはなかなか理解できないことが、いつまでも苦しみが続くことになる。

その時はひととの接触を減らし、社会から距離を置く方がいい。心が楽になったら、家の近くの静かなところを散歩することから始めて、早朝のガラガラの電車に乗れるようになったら、また社会との扉がすこし開いてきていると思うように、時間をかけるといい。

そしてもしひとりでも、鬱のあなたを受け入れてくれる人がいたら、それは大きい支えになるだけでなく、小さいが希望をまだもっていると感じることが時にできる。

その小さい望みを大切にすることが、あなたにとっての生きていくことの意味になり得る。

それを毎日心の中で確認できること、それは一日一日鬱の闇を生きることの苦しみを和らげてくれると思う。

(2020.10.14)





鬱という病気を、一時的になり、ある時回復するとそのあとは大丈夫になると考えている人は多い。

それは鬱症状といい、環境や人間関係の変化で回復することがある。

しかし、鬱はひとつの症状で、病気は不安障害やパニック障害の場合は、先ず回復はしない。

環境や人間関係が変わると、短い期間だが症状が軽くなる、しかし回復するわけではない。

一日の中でも波があり、一週間の間にも波があり、一ヶ月あるいは数ヶ月の間にも波があ。症状が悪くなると、一気に最悪の精神状態になる。

夜、一時間おきに冷や汗をかいて起き、腸は神経性の病気になる。食事の味が分からず、食欲がなくなり、朝起きて昼間活動するという日常生活ができなくなる。

また、鼓動が速くなり、動けなくなる。その時はパニック障害が既に起こっている。

深夜目が覚める時は、パニック障害で苦しく自殺を考えるほどになる。

そういう再発の契機になるのは、私の場合は、人の怒鳴る声だけや、車その他の大きい音である。しかし、状態が悪いとテレビの小さい音や子どもの笑い声までその契機となり、そういう状態の時は、薬を飲んでベッドで苦しんでいるしかない。

特に私をパニックに落とすのは、悪意が感じられる声で、それが大声ならたまったものではない。

眠れず、不安と死の衝動に苦しみながら、時が過ぎるのを待つ。短い時は一週間、長いと二、三カ月続く。

こうした生活を10年以上送っている。

だから時に散歩に出るチカラがある時は、短い散歩に出る。ただ、途中で私がパニックに陥った場合のために、連れ合いが同行する。それは、医者からの勧めでかる。

私の病気の原因である環境が変わるか、私が先に死んでしまうか、どちらかになるだろうが、それが与えられた道だと今は思っている。


鬱。鬱というと、気分転換すれば⁈と答える方がいる。その程度の鬱もあるだろう。

しかし、鬱がトラウマと結びついた場合はなかなか解消されない。原因が、その時の環境ではない、過去の記憶であり、患者の意識のなかそのものに原因があるからである。

すると、過去の記憶を呼び起こすこと、それはある情景を喚起させる罵声であったり、単なる子供の叫声であったり、テレビの長々と続く会話であったり、窓から入ってくる車のブレーキ音であったり、携帯電話の呼び出し音であったりする。日常の生活のどこにでも地雷のようにあることになる。

しかも、それが引き起こすのは簡単な鬱状態でなく、次に何が起こるかわからないという不安とそのことにどのように対したら良いかわからないというパニック状態まで引き起こす。

また、パニック状態になる前に、次に何が起こるかわからない不安を抱えると、神経が緊張状態になり、簡単な次の行動すら難しくなる。

診療内科のお医者さんによると、それから解放されるには、トラウマの原因から完全に遮断されることが必要だという。つまり、現在の生活を離れて新しい生活を始めることだ。

あるいは呆けが進むと新しい記憶から消えていくので、トラウマの原因も忘れられる可能性があるという。

いづれにしても大きい変化が必要ということだ。といっても、大きい変化は簡単にはできない。毎日悶々として生きながら、大きい変化を待ちながら、生きながらえることが目的となる。

ほとんど外出できないが、大きい変化がどのようにしてやってくるか、待つことが人生の目的になる。

待つことが人生の目的ーーーー多くの人がそうして生きているのだろうと考えている。



2012.9.16、「睡眠障害」について次のように書いた。それから症状は少し、本当に少し良くなった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最初は、そのまま朝まで天井を見て過ごした。目を閉じても頭は休まず、過去の仕事や人間関係、これからの仕事、それらが詳細まで無意識のまま頭に浮かび、考えたくないのにいろいろと私の頭が考えるのである。だから、朝にはぐったり疲れている。


これが、本に書かれている睡眠障害である。ただ眠れないのではない。考えようとしなくても、頭にいろいろと、しかも嫌な事が浮かび、頭が勝手に考え、心は沈んでいく。眠りたいが眠れない。その時は、睡眠導入剤も効かない。


交換神経から副交感神経への切り替えがなされて寝入るが、深夜に突然、交換神経に切り替わるわけだ。深い眠りから、一瞬で昼間の最も覚醒している状態に頭が変わるわけである。この症状は、軽いのはホルモンの異常で起り、私のようなものは、自律神経の過労による異常が起きていると言う。


注意するべきは、この症状は、病気の初期に起きたり、回復時に起きたり、第4段階の最も悪い状態の時も起りうる。つまり、いつ起きるか分からない、いつでも起こりうるということだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この頃は、もっとひどい症状があったので、睡眠障害にさほど配慮しなかった。


そして、一週間後、お医者さんと相談して、下のようにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

深夜、頭が冴えわたり、眠れない睡眠障害については、前回・前々回に書いた。


①睡眠導入剤を増やす。
②前日、睡眠を削り、疲れきった状態で眠りにつく。
③夕方、いつもより余分に散歩し、身体を疲れさせてベッドに入る。

④魔の夜中三時に目が覚めたら、苦しくても昼をそのまま起きて過ごし、翌日の夜まで寝ない。

⑤眼が覚めたら、即睡眠導入剤を呑んで横になる。

⑥眼が覚めたら、夕食から寝るまでにすることを最初は二時間でもう一度行い、徐々に短くする。


これらのどれも最終的に効果無く、下の⑦を始めることを決めた。


⑦精神安定剤として使われるデパスを、睡眠前に睡眠導入剤といっしょに呑む。


それが調子が良い。

これまで、目が覚めていたように目は覚める。しかし、頭が冴えわたるのではなく、正常に寝ぼけていて、トイレに行って帰ってくると、すぐ眠りに戻れる。仕事に復帰して疲れるのもあるかも知れない。


しかし、もし睡眠障害で悩んでいる方がいらしたら、ためしてはどうだろうか。デバスなら副作用はないし、安心である。そして、朝まで、二、三回トイレに行っても(私は血圧の薬を呑んでおり。トイレが近いのだ)、朝には、すっきり疲れが取れている。眠りの間、深く寝ているのが分かる。


睡眠障害への、考えもしなかった方法である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第一回目の復帰まで、そして第二回目までの復帰まで、睡眠障害は起こったが、さほどひどいものでなかった。なので、私はどこか軽く見ていた。


これで良くなったと思った。ところが、その後、同じ症状が出てきた。


夜中の二時から三時に、頭がスッキリとさめてしまい、いろいろなことを考えてしまうのである。本を読む、別なことを考えようとするが、思いのほうから勝手に頭に入ってくる。過去のいろいろな記憶や将来のことである。そして、眠れないのである。

それが八時間から十時間続くと、頭は疲れて、午後一時から三時の間に眠くなる。そして、二時間ほど寝ると、今度は後頭部コンクリートになったように考えることや会話ができず、頭痛に三時間から七、八時間苦しむ。


ほとんどの症状が消え、時々エアーポケットのようにうつ状態になる他は大丈夫だと思ったらこれである。いつ現れるか分からない、と本にあったのを忘れていた。


医者に相談すると、神経の疲労から、交感神経と副交感神経が狂っており、徐々に直るという。徐々にというのは、時々夜中に目が覚めない日があるのが、1/3になり、半分になり、という具合だそうである。


今回、睡眠導入剤とデパスを摂りながら、もうひとつ手を打った。下は前回効果がなかった方法であるが、私のうつと不安障害のレベルも良くなってきているので、今回は効果も違うだろうということで、⑤眼が覚めたら、即睡眠導入剤を呑んで横になる、という方法をとった。レンドルミンは弱いので一日二個までOKである。①から④までの方法はやはり効果がなかった。


①睡眠導入剤を増やす。
②前日、睡眠を削り、疲れきった状態で眠りにつく。
③夕方、いつもより余分に散歩し、身体を疲れさせてベッドに入る。

④魔の夜中三時に目が覚めたら、苦しくても昼をそのまま起きて過ごし、翌日の夜まで寝ない。

⑤眼が覚めたら、即睡眠導入剤を呑んで横になる。


これが効果があるのだ。毎日ではない。初めは1/3、そして1/2という具合に。もちろん、眠れない日の翌日の午後は頭痛で悲惨な状態になり、その翌日まで影響があるが、その回数が減ってくるのだ。こうしたブログも、ほとんど、朝目が覚めて書いている。夜、睡眠障害で寝れない日は、頭痛がとれる夕方に書いている。


あとひとつ、スクワットとつま先立ちで足先と腿の筋肉に運動を与えるようにしている。それは足先のむくみを取るのに充分だし、下半身の良い運動になる。


まだ確実に100%とはいえない。しかし、来週からもう一度、三度目の職場復帰を試みるつもりである。


私の方法がベストとは言えないかもしれない。症状の段階によって、効果がある方法は違うと思う。もし睡眠障害に襲われたら、いろいろ試すのが良いだろうと思う。


そして今付け加えるとしたら、苦しい時、薬やお酒で神経を楽にしないことである。大変であるが、いくつも波を過ぎていくとできるものである。


もちろん、その時でも、ある瞬間最悪な状態になりうることはあり得る。それを予測しつつ生きることーーーーわたしもわからないが、ひとの生きる意味と価値について、この世の秤では計れないというところが真実だと思う。


(2012.11.15)




鬱になったのが四年前。多分完治はしないだろう。というのは、鬱はトラウマと似ていて、似た状況に遭遇すると、発生すると分かったからだ。四か月前、退職し、これで鬱とは完全におわかれだと喜んだ。心臓の苦しみや呼吸の苦しさがなくなったので、最初快適に感じ、これで完治だと思った。

しかし、お医者さんは、薬をへらしていくのはゆっくりだった。睡眠導入剤を減らし、パキシルを減らす。しかし、安定剤のデパスはまだ先だと言う。私は、もっと早く薬はやめて良いと思っていた。

もちろん問題は残っていた。まず、寝入って三時間ないし四時間して、完全に覚醒することである。身体はときどき疲れていることがあるが、頭は完全に目覚めている。それが、夜中の一時から四時の間に起きる。すると、それからは簡単には眠れない。睡眠導入剤はもちろん効果ないし、頭は冴えわたっているのである。

お医者さんによると、若い時、それでも体力があったので、一日四時間睡眠で大丈夫だった。その記憶が神経にあるという。それは事実であるが、夜中目が覚めた瞬間、頭は仕事にむかってもよい状態になっているのである。

そして、一週間の間で、肉体と脳の疲労が限界まで来るとダウンする。それをさけるには、とにかく寝ることである。現在の私の脳は十時間近く必要である。個人差はあるだろうが、脳は寝る以外に休むことができない。しかも、精神的な問題を残さない状態で寝ることが大切である。

もうひとつの問題は、昔経験した、鬱の原因になったのと同じような状況・・・なんらかの事故であり、精神的に潰れる原因となった状況である・・・に出あうと、軽い鬱症状が発生することである。五段階で言えば、一あるいは二段階であり、四とか五段階の自殺の可能性があるところまではいかない。しかし、日常生活が苦痛になるのである。

これが現在のわたしの症状である。

しかし、書店に並んでいる「鬱」にかんする本は、多くが軽い鬱の状態の患者についてであり、第四、五段階の、死を望んだり、錯乱状態になっている鬱の患者についての本は少ない。多分、売れないから、専門医学書にあるだけで、多くの一般書の「鬱」の扱いが、職場替え、転地で治るように書かれている。しかし、患者にとっては、大きい苦しみがあり、それは死を選んでもよしと思うようなものである。

わたしのまわりの人たちは、そのことを全く理解していなかった。多分、「鬱」の症状がどんなものか、だれも知らなかったし、そのことを重要視しなかったろう。

以前のわたしの「鬱」の認識も、正直そうだった。

鬱には、睡眠障害による苦しみ、自己嫌悪による自殺願望、被害者妄想による自殺願望がある。
そのことを回りのひとびとが理解しないと、患者は、原因がある場・・・・職場、家庭、ある場合はこの世界・・・・を離れる事が唯一の逃れる道だと勘違いするだろうと思う。

今でも、昔の無理解と似た状況にあうと、自分の神経が活動を停止し、精神が停止しようとすることがある。多分、これは、戦場に行った兵士たちや殺人現場に遭遇した人びとや虐待にあった子どもたちがかかえるトラウマと似ていて、完治はしないだろう。

「鬱」とはそういうものだと社会がはっきりと認識するまでどのくらいの時間が必要だろうか、と考える。

(2013.12.01)



『快復期の心得』に、快復期の家族の注意について書いた。快復期に注意すべきことはいろいろあるが、その中で、わたしが経験して、それでいて、本には書かれていないことがいくつかある。そのひとつが、エアーポケットのようなうつ症状である。


【うつのエアーポケット症状】


食事中に突然気持ちが沈んで苦しくなる、歩いていると突然すべてが嫌になり、生きているのが苦しくなる。駅に立っていて、突然苦しくなり生きているのが嫌になる。


酷い症状はパニック障害と呼ばれるが、わたしの経験からすると、根本的にはすべて同じである。精神あるいは意識と呼ぶべきか、自分がコントロールできる意識が一瞬停止し、空白になった時、無意識のところが真っ暗になり、絶望を感じる。それをわたしは、うつのエアーポケットと呼んでいる。


わたしの場合は、家の扉を出る瞬間、大通りに出る交差点に来た時、最初の信号を渡る時、そして、本を読んでいてひとつの節が終わった時、日記を書いていて行変えの時、買い物をしていて商品をとった瞬間突然気持ちが一気に落ちて行く感じになる。


そして、短い時間だが、その時に感じるのは、うつの第三、四段階、つまりだいぶ悪い時の感覚に近い。


・うつ気分になる。

・動悸がとまらない。
・身体を動かすのが億劫になり、横になりたくなる。
・緊張し、ひとりになりたくなる。
・人との会話が億劫になる。


しばらくこの症状が続き、ほおっておくと、罪意識と被害妄想、その後は自殺の思いにまで進んでしまう。


【うつのエアーポケット症状への対応方法】


①自宅等、横になれる時

・横になり、身体を一度強く緊張させ、それから緊張を一気に解き、リラックスさせる。それを、足先、太もも、腹部、両手両腕、胸、首、顎と行うことである。それで肉体的な緊張を取ることができる。

・頭の中を空っぽにしないこと。できるだけ何かを考えることである。

・何か、ひとつのことを考える。それは、考えやすいことで、無理が無いことが良い。趣味のこと、楽しいことで、具体的な課題を考えるのが最も良い。例えば、ゴルフが趣味の人は、不得手としていて練習中のこと(深いバンカーの出し方等)を考えると良い。読書が趣味の人は、最近読んで理解できなかったことを考えるのも良い。


②外出時

・次の予定を思いだし、そのことを考えることで、頭を空白にしないことが簡単にできる方法である。歩いている時は、次の予定を心の中で確認することが良い。

・それでもとまらない時は、立ち止まり、数度深呼吸し、①と同様、何か、ひとつのことを考える。それは、考えやすいことで、無理が無いことが良い。趣味のこと、楽しいことで、具体的な課題を考えるのが最も良い。


うつは簡単に良くならず、良くなっては悪くなり、波打ちながら少しずつしか良くならない。その悪くなる時のきっかけのひとつが、このエアーポケットである。うつのエアーポケットからの脱出ができるようになることは、うつから快復していくための練習になるし、また、うつの原因やきっかけとなっている出来事や人間関係に出会った時の対応方法の練習にもなると思う。


(2012.10.22) 


5年半前に書いたがそのままである。




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うつの初期症状、第一段階、第二段階、そして、快復期を通して、はっきりしないことがいくつかある。その一つが、原因と症状である。

うつの症状として、下の八つがほとんどの本に書いてある。そして、私が経験したものである。


①抑うつ気分
②睡眠障害
③身体を動かすのが遅くなり億劫になる
④人混み、物がたくさんある場所に行くと緊張する。
⑤興味の喪失
⑥人の言葉が理解しづらくなる
⑦罪意識と被害妄想
⑧自殺の思い


この八つの症状は、私の場合、全く関係なく、突然ある症状が現れたりした。


【内因性と外因性の原因】


さて、快復期に入って、わたしは、薬(バキシルとデパス)を服用しつつ、自分で認知療法、行動療法、対人関係療法を本を読みながら、自分の症状を詳しく観察しながら、対応を考えて行った。


すると、ひとつの疑問にあたった。


例えば、うつの病気が原因で罪意識(自己嫌悪)が症状なのか、逆に、罪意識(自己嫌悪)が原因で、それでうつになっているのか、自分ではっきり分からなくなってくることがあるのだ。また、うつの病気が原因で死にたいと思うのか、逆に、自殺の願望があるゆえに、うつになっているのか、自分ではっきり分からなくなってくる。睡眠障害もそうだし、人ごみで緊張することもそうだ。


抑うつ気分、身体を動かすのが遅くなり億劫になること、興味の喪失、人の言葉が理解しづらくなる症状は、どう考えても、原因でなく症状である。

うつになる前には、全くなかったものだからだ。


しかし、睡眠障害や、人混み、物がたくさんある場所に行くと緊張すること、罪意識(自己嫌悪)、自殺というほどではなくてもこの世から消えても良いという考えは、以前から少しはあったのは確かだ。自殺は、絶望して死にたいとかでなく、この世から消えても魂は消えないだろう、しつこの世を去っても良いではないかという思いである。これらが、うつの症状なのか、これらの思いを持ったり、生活を続けた長い期間の影響でうつになったのかは、正直分からない。


精神医学では、原因を「内因性」「外因性」に分ける。その時の内因性原因とは、生まれつきの性質、性格、日常生活がもたらす感覚である。すると、うつの症状といわれるものに、同時に原因でもあり、病気になるとコントロールできない状態になって病気の症状と判断されるものがあると考えた方が良い。


また外因性原因が、環境、人間関係、仕事の内容等であり、それらが、人間の心の状態に影響を与え、規則的な動きができなくなったのが、もうひとつのうつ発病の仕方だと思う。


よって、あるところまでは病気でなく、同じ症状がコントロールできなくなったところでうつの行基と判断するということになるのだろう。


【内因性原因と外因性原因での対応】


従って、内因性原因が含まれる可能性がある場合の症状と外因性原因の症状への対応は違ってくる。また、症状によって変わってくる。


これは、わたしの全く個人的な考えである。


A.内因性原因が含まれる可能性がある場合の症状への対応



・抑うつ気分
・睡眠障害
・人混み、物がたくさんある場所に行くと緊張する。
・罪意識と被害妄想
・自殺の思い


抑うつ気分、緊張、強い罪意識(自己嫌悪)、自殺への思いについては、薬での緊張緩和が必要である。また、睡眠障害には誘眠剤がひつようである。同時に、認知療法で、「一度過ぎた、うつの最悪の状態を考えたら、他のことはたいしたことはない」と強い確信を何度も何度も自分に言い聞かせることである。一年、二年、あるいは数年かけて行うことである。


また、突然抑うつ状態になった時に、それが、強い緊張や自殺の思いになる前に、「大丈夫」と自分に言い聞かせ、心を落ち着かせることを身につけておくことが大切である。

横になれたら横になる。横になれない時は座って全身をリラックスさせる。一度強く緊張させ、それから緊張さわ一気に解き、リラックスさせる。それを、足先、太もも、腹部、両手両腕、胸、首、顎と行うことである。


B.外因性原因の場合の症状への対応


・抑うつ気分
・睡眠障害
・身体を動かすのが遅くなり億劫になる
・人混み、物がたくさんある場所に行くと緊張する。
・興味の喪失
・人の言葉が理解しづらくなる


これらは、主に外因性の原因が考えられる。罪意識と被害妄想や自殺の思いも外因性の原因によって起るが、「A.内因性原因が含まれる可能性がある場合の症状への対応」に書いたことに含まれているので、ここでは取り上げない。


外因性の原因で、心の状態がコントロールできなくなったら、初期状態で、経済的に可能なら生活環境を変えることはひとつの方法である。しかし、それでは、同じ刺激が外から来た時に、免疫ができておらず、対応方法が身についておらず、また発症することが考えられる。


この六つの症状が現れたら、薬を摂って休むしかない。そのうえで、心の状態が落ち着いている時に認知療法を試みると良い。しかし、「わたしの認知療法」に書いたとおり、下のことを思い、「大丈夫」と感じられたらokである。難しいことをひとりで考えることは、却って負担になる。


・今最悪って本当? あの時よりましかも。

・何をやってもダメ、なら、ダメを徹底させてみようか。

・わたしの人生、こんなはずじゃなかったと思う、でも、これしかないからいいか。

・今回の脱落が、今後の人生でどのくらい重要なのだろう。・あの人は成功。私は失敗。でも最後はいっしょ、死だから、いいか。


・これで終わって何か問題あるだろうか。


「これでも良いではないか?!大丈夫!!」と思ったところで止める。これを何度も何度も、日常生活の中でくりかえすことである。


(2012.10.19)


6年前に書いたが手は加えないことにした。





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前回「わたしの行動療法」の時に書いたが、わたしは短い期間で第五段階まで一気になったので、わたしは即薬療法に入った。よって、他の治療法は知らないまま快復期に来た。徐々に快復した時、認知療法等の本を読んだ。書籍に多く取り上げられているのが、「認知療法」であり、「行動療法」であり、「対人関係療法」である。


「対人関係療法」も「セルフ・カウンセリング」も勧められている。自分で、自分の症状を分析し、改善のための行動を決める、ことである。実際は、これは、うつでない人でも困難なことである。今日は一般的な「対人関係療法」から、実際的にわたしができた方法について書こうと思う


Ⅱ.【対人関係療法】


A.その欠点

対人関係療法の欠点も、先ず、面倒くささである。

「認識療法」「行動療法」と違い、相手があることである。まず、問題があるなら、カウンセラーに相談しつつ解決を目指し、必要ならカウンセラーを交えて話す必要がある。そのうえで、うつになっていないくても困難な人間関係の問題である。

基本的な方法が存在するとはいいづらい人間関係の問題であり、失敗したから、もう一度やり直すということが難しい。


もし、基本になることがあるとしたら、その難しい人間関係からの問題を解決するために、悪い想像をできるだけしないように、結果が良くなくても現在と変わらないと思いつつ、相手と話すことである。


B,対人関係療法のセルフ活用方法


「対人関係療法」をセルフで自分に適用するといたら、注意することをリストアップするとしたのようになる。


・「仕事が厳しい」と思った場合「上司・取引先との関係が厳しく、自由に相談できないのではないか」とうたがってみることである。

・配偶者と家族、友人や親せき、仕事での人間関係、とわけて、近い人間関係に問題があると影響が大きい。しかし、実際に本人には、どの関係も同じような負担に感じられる。

辛抱するのが当たりのえと考えてこれまで生活して来ているので、自分では、人間関係でなく、環境の問題と考えやすい。人間関係でないか、良くチェックする必要がある。

・問題の人間関係がわかったら、その相手に、冷静に正直に話すことである。必要なら、お医者さんからの「診断書」を持っていき、症状をせつめいすると良い。ただし、これは、要求を通すためでなく、相手と理解しあい、こちらが病気であること、その原因あるいはきっかけに人間関係の問題があることを理解してもらうことである。

・もし、改善の可能性がない場合は、仕事場の人間関係なら転職、親戚なら顔を合わさない、家族なら別居とい方法をとるしかないが、それでも、きちんと話し、症状と現在の関係では不可能な事を伝えることである。

・原因は、自分の性格であったり、過去のトラウマであったり、いろいろな理由で対人関係をもつことそのものが苦痛の場合もあり、苦痛でないが対人関係がうまく行かず悩みうつになる場合もある。これは、自分自身の内側や行動に問題があるので、自分で問題を発見し治していくことは不可能に近い。即、カウンセラーに相談すべきである。


C.「わたしの対人関係療法」のまとめ

まとめると次のようになります。


・仕事、環境が原因だと思えても、人間関係ではないかとかんがえてみること。

・配偶者と家族、友人や親せき、仕事での人間関係、とわけて、近い人間関係の問題の場合、環境の問題と考えやすい。人間関係でないか、良くチェックする必要がある。

・問題の人間関係がわかったら、その相手に、冷静に正直に話すことである。目的は、相手と理解しあい、こちらが病気であること、その原因あるいはきっかけに人間関係の問題があることを理解してもらうことである。

・もし、改善の可能性がない場合は、その人間関係から遠ざかることである。それでも、きちんと話し、症状と現在の関係では不可能な事を伝えることである。

・原因は、自分の性格であったり、過去のトラウマであったり、自分自身の内側や行動に問題がある場合は、自分で問題を発見し治していくことは不可能に近い。即、カウンセラーに相談すべきである。


「わたしの認知療法」にも書きましたが、もし、今、仕事に通うことが可能で、日常生活では、ときに会社と逆方向の電車に乗りたいと思うならそうするとよい。しかし、原因が人間関係にあるなら、まず、きちんと相手と話すことである。それだけが改善につながる方法だと思う。



(2012.10.19)


五年前に書いたものだが、修正はしなかった。


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