天井(てんじょう)に手洗水(てあらいみず)のてりかえしゆらめく見れば夏は来にけり 三ケ島葭子(みかじま よしこ)
今では、トイレの近くに洗面所があり、そこで手を洗うことが常識となっているが、1970年代までは、トイレの入口に手水鉢を用意し、そこで手を洗い、側に吊るされている日本手ぬぐいで手を拭くということが、手洗いの一般な方法だったと思う。
芥川龍之介に<元日や手を洗ひをる夕ごころ>という句がある。元日の来客が帰った後に御不浄(トイレ)で用を足した後で、手水で手洗いをしている。(この句の味わいは、お客さんが帰って、寂しいようなほっとしたようなそんな夕方の心のありようを感じることにある。)
さて、本題の三ケ島葭子の歌だが、この手洗水が張ってあるのは、金盥だろう。
「トイレを出て金盥に入った手水で手を洗った。ふと天井を見ると、手水の照り返しが天上でゆらめいていた。そのゆらめきに夏がやってきたことを感じた。」
とても明るい。だが、あまりにもあっけらかんと明るく詠んでいるために、返ってある淋しさを感じてしまう。