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2018年03月26日
皆はテレパシーを使っています
どうもカイリです
コミュニケーションについて思うことがあります
難しくない?
言葉に意味ってあるじゃないですか?辞典に書いてるように
こんなにもみんな同じ日本語を使っているのに
うまくいかないときってありますよね。
まあそれはみんな使う言葉が違うし、とらえ方のニュアンスとかもあるからなんだろうけど、、、
以上のことからコミュニケーションが非常に不安定なものであるということはわかると思います
人間にテレパシーの機能はないのに疑似的なテレパシーを使っているみたいです
言葉を受け取る側、送る側、コミュニケーションは送受信の繰り返しです
そして互いに頭の中で、相手の言葉の意味を受け取り理解し返信してます
この国で発行されてきた辞書とみんなの頭の中にある辞書は違うと思います
ですので、自分の辞書、相手の辞書があるということを念頭にいれば
もっとうまくいくとおもった
所詮自分の頭の中だけで完結しているんだ、コミュニケーションなんて
不確かである。
宇宙人としゃべる気持ちでいきます
以上
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2018年03月25日
性別という見えない生き物
生まれた時からまとわりついているもの、ジェンダー感覚
自分の中で養わなければならない大きな事項だと思う。
なぜなら、生まれた時から男女のどちらかに分かれているからだ
それは名前と同じくらいのアイデンティティであるが、ジェンダーに至っては、生物としての男,女以外に文化的で精神的であり、名前とは違い、自分以外も男女であるというところが重要な点だと思う。
昔のドラマや漫画は男女がくっきりと分かれている傾向があり、ここのキャラクターに含み、女であるか、男であるか、というのがまずキャラクターになっているところである。
それは現代の男女差を取り払おうという流れとは別に娯楽としては重要なエッセンスになっており良き文化であるとおもう。しかし自分のアイデンティティとなると、社会の男女感と自分の男女感という二つの視点がある。私の場合は生まれた時から男であり、漠然と男『らしさ』というレールが用意されている雰囲気のなか非常に生きづらさを感じていた、しかしその私の目からみる女という感覚は文化が用意した女らしさという眼鏡をかけ、影響されていたのかもしれない。反抗期特有の決めつけられたくないという衝動で、男でありたくない女でもありたくない、という性別という縛りからの離脱を試みていたがいつのまにか忘れていった。ジェンダー感というものは現在もどんどん変化しているように感じ例えば極端な例になるが男尊女卑からの離脱への傾向など、ジェンダーは成長し続けている。つまりジェンダーというものはヒストリーがあり、変化が当たり前なのであった。それに気づくと、ジェンダーという固定観念に縛られる理由はなくなるとおもう。ファッションのようなものだと思った。つまり男女というものには役柄であり、男役、女役という雰囲気の物である。だから自分なりのキャラクターを作っていいと思った。もはや想像上の生き物である。そして社会のなかにいるときはその文化的ならしさというものに身を任せると物事がすいすい進むことがある。それは社会の中での暗黙の了解があるということである。ジェンダーとは見えない生き物だ