3月、彼岸ウィークがありましたね
その週は、3回おだんごを仏様にあげる習慣があるので、私はおじいちゃんのことを思い出していました。
(長くなるので、時間と興味のある人だけどうぞ)
書いてみたいと思います。
fuwari のある車庫は
おじいちゃんが昔、働いて買ったのです。
今から50〜60年前、自宅の敷地は狭くて
車を置く場所も物置もありませんでした。
(え?? 敷地広いじゃん)とウチを知っている方は思ったはず。
私が子どもの頃、車庫と自宅の間には、
もう1件、家がありました。その後、売地となり
今はちょっと不自然な
店より広い駐車場となっています。
車庫も、昔は一軒家で、(マッサージ屋さんがいたらしい)曳家(ひきや)で後ろにひき、
前に車庫をくっつけたんだそう。
おじいちゃんは、生きている時はそれが当たり前でしたが、死んでから思い出すと、不思議な人でした。
(私が生まれる前のおじいちゃん情報は人から聞いたものです)
おじいちゃんについて
病院と市役所に勤めて、事務仕事が得意。
出たがりで、旅行や集まりの幹事を進んで引き受ける。
真面目で几帳面な性格。
孫にはふざけて明るく振る舞う。
児童の登校を見守る挨拶運動を長くつづける。
おじいちゃんは20歳くらいの時、不運にみまわれて、左肘下を失い、義手で障害者手帳を持っていました。
その後、おばあちゃんと知り合い、恋愛結婚(大正生まれでは珍しい)をしています。
片腕なのに、とても器用な人で、大正ミシンを使いこなし、義手をツールのように洗濯物を干したり家事をたくさんこなし、原付バイクや自転車に乗り、一人で買い物に出かけていました。
フック船長のような、義手の先には、よく輪ゴムがかかっていて、細かい作業も工夫してやっていたようです。
おじいちゃんは、片腕でも強いんだなと昔から思っていました。
でも、ある人から聞いた話、腕を失ったばかりの頃は、人目を気にして、朝弁当を持っては毎日山に行き、山菜を採ったり、人目を避けるようにしていた時期もあったらしいのです。
つづく