けれど、本当の事言えば、人間のやる事なんて行き当たりばったりの方が多い。多いってのはなまぬるい。ほとんどが雑でイイカゲンできちんとしたものなんてほぼ何1つ無い。
街を見ていると道路に自動車がたくさん走っている。あれは自動車会社のデザイナーさんが考えに考えてやっている物だ。ボディーの横に前から後部に向かって斜めに長ーくプレスラインが入っている。スポーティな感じにしようとかスマートにしようとか色々考えているらしい。
さあ、それが車の後ろ端面のところに来るとどうなるか?だいたいの車にはそこにはハッチがあって荷物を出し入れしないといけない。それで、そのスポーティな線どうなるかと言うと、何だか曖昧になってうやむやになると言うオチ。イメージより都合が優先されるのだ。車に限らず世の中だいたいこんなもの。
建築デザインの勉強なんかすると、初学者は (自分含めて) 秩序と言うのを考える。パリの街並みは美しく見えるのに日本の都市はどうして?、などと。それで秩序を持ってデザインとかしようとする。統一的な印象をデザインの全体に入れ込もうとする。するとだいたいこじんまりとした素っ気ない物がポコリと出来る。あれ?、となる。
そのあたりが人間の前頭葉の限界なのじゃ無いかと感じる。
でも、ヒントはあるかもしれない。例えば植物を人は植える。あれは上手く成長したらどうなるかだいたい想像できるにしても、細かいところまでは無理だ。でも、実は人はそのコントロール出来なさが好きだ。猫を飼う。猫がどんなものでどう生きるか雑誌にも書いてあって想像できるけれど、実際はそんなに単純じゃない。たった猫1匹で毎日が驚くほど複雑になる。変になる。でもそれも実は好きだ。
人間は元々、そう言うのが好きなのだと思う。人生だって子供の頃に思ったようになっている人って、野球のイチロー位しかいないんじゃないだろうか? 人生のほとんどは偶然で構成されているかもしれない。わかっているのはいつか死ぬってだけだろう。
そこまで来て、さて、と考える。どうしたら良いの?
答えは、「考えるのを止める」が最有力じゃないかな。
どうせ全体を通しての破綻の無いデザインなんてできないとすれば、逆手に取って、1番大事なポイント以外、わざと諦めて何もしない事にする。破綻しないように全体をどうにか統一しようとする、つまり「収める」と言うやり方をすると、それは即ち、都合に負けると言う事になる。勝ち負けで言えば、どんなに上手く出来ても負けは負けだ。
負けないために出来る事と言ったら試合放棄しかない。何しろ相手は「都合」なのだ。いつの世も都合には絶対勝てない。凡人には。天才は違うと思うけれど。止めてしまえば車のボディーに訳のわからない穴とかプラスチック部品を追加しないで済む。下らない事にウンザリしないで済むかもしれない。
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