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タニウツギ,会津地方(By Qwert1234 - wikimedia comons)


 





      朝

 わたしは寝過ごしてしまった
 青々とした森の袖
(そで)に抱かれて:
 のはらで遠い叫びがきこえ
 眼をこすってひらくと
 もう明るい真昼だった。

 わたしの夢は過ぎ去った
 あの重苦しい悪夢は! いま
 わたしの周りはきれいに整えられた世界
 わたしのようなさまよう旅人たちを
 受け容れる余裕もある里だ。

 日よ、おお若き日よ!
 わたしはおまえの世界の隅々まで歩き尽し
 おまえのなかで時を忘れてよいのだ
 われを忘れ、これから来るだろう重苦しい
 すべてを忘れてよいのだ。 







 夜の歩行で歩き疲れ、「森の袖」に倒れてビバークした朝の光景です。起きてみると、もう太陽は高く上がっています。まぁ、晴れた日でよかったのですが...

 「森の袖」は、森林の周囲にある草原との境の帯状の“へり”のことで、“そで群落”“マント群落”という独特の草花や蔓草が密集する植物相が見られます。暗い森の奥や、乾燥した草原を避けた植物が、狭い境界に集中して繁り、花や実をみのらせている、にぎやかな場所なのです。日本の本州で言えば、ヤエムグラ、アカネ、クズ、アケビ、ニワトコ、ウツギなど、色あざやかな花や大きな実をつける蔓状の草や灌木が多いようです。(↑上の写真は、マント群落のタニウツギ。何年も前に撮った自撮りがすぐに出て来ないので、ウィキメディアから借用しました)

 “そで”には、“そで植物”の実をめあてに虫や小動物も集まります。森の奥とちがって明るく、また草原にいる大きな動物や猛獣の脅威を避けられる場所に集まってくるのです。人間の祖先のふるさとは、こうしたマージナルな場所ではなかったかとさえ思われます。






      風の強い6月の日に

 湖面はガラスのように凝り固まる
 急な丘の斜面では、か細い草が
 銀色に吹かれている

 誰の死を悼むのか不安げな
 タゲリの叫び声が渡る、ゆらゆらと
 顫
(ふる)えるような弧をえがいて飛ぶ

 向こう岸から風にのって来る
 草刈り鎌の刈り払う音、せつせつたる牧場
(まきば)の匂い



 



 この詩を鑑賞するには、「タゲリ(田鳬)」という鳥を知ってもらわねばなりません。タゲリは、鳩ぐらいの大きさの渡り鳥で、「田鳬」という名前から分かるように、日本では刈り入れの終った冬の田んぼなどに主にいます。

 ミーッと長く尾を引くような、か細い哀し気な声が特徴です。仔猫の鳴き声にも聞こえます。こちらで聴いてみてください⇒:日本の鳥百科:タゲリ。タゲリの生態ビデオは、youtube にもいくつか出ていますが、残念ながらどれも音がよく撮れていません。→こちらの「鳴きながら飛行するタゲリ(動画)」が、いちばんよく聞こえます⇒:Wiki「タゲリ#生態」

 聞いていると淋しくなってしまうような哀しい声で、日本の伝統的な悲哀の感性にはぴったりじゃないかと思うのですが、近縁のチドリと違って、古い和歌俳句には取り上げられていないのがふしぎです。冬の季語だそうです:



「田鳧啼き雨晴れてゆく薪村  野口喜久子」



 Wikipedia を見ると、ヨーロッパでは、東欧・北欧・中欧では夏鳥(繁殖地)、フランス・イタリアでは冬鳥ですが、ヘッセの生活圏:ライン河谷からスイスにかけては、1年中いる留鳥のようです。だから、6月にも見かけるわけですね。



 「草刈り鎌」は、死神が人間の生命を奪い取るための道具です。ここでも、川の向うでは死神が活動していて、作者にも死の危険が迫っていることを感じさせます。しかし、作者はそれに対して畏れるどころか、むしろ憧れを抱いているかのようです。作者は、伐られた草のかもしだすなつかしい匂いに浸り、切々たる憧れの思いを表白するのです。




 

 



タゲリ(By Alpsdake - wikimedia commons)





 木や草花と違って、鳥はすぐ動いてしまうので、撮影がむずかしいですw バードの写真を撮る方々は尊敬するほかありません。

 ギトンも、山の植物の観察を始めて最初のころは、オペラグラスを持って行って、高い木のこずえを見上げていました。葉っぱの形を見ないと樹木の種類がわからないので、葉っぱが付いている上のほうの枝をいつも見上げていました。馴れてくると、樹木全体の形や枝ぶりから種類を見分けられるようになります。

 でも、オペラグラスで見上げているかっこうを、ときどきバードウォッチングと勘違いされて、バードの人によく声をかけられました。そうやって話をする機会ができると、バードの方からいろいろなことを教えていただいて、とてもためになったし、楽しかった思い出があります。






      湖上の夕べ

 水の中から夜がこちらを見つめている
 私の眼をまっすぐに;私は櫂をやすめている
 こうしてまた一日が暮れる――
 日のあたる明るい草地ではじまった
 一日が!
 夜よ、死んだ者を裁こうというのか?

 私の心の奥深く静まるのは
 太陽と光るものだけを受ける鏡
 なのか、熾火
(おきび)のように発光しているのか?
 いつの日にか私の櫂は
 勝利の栄冠を得て夕べに挨拶するのか
 それとも敵に追われ戦いに疲れて
 ただ鎮まるほかはないのか?

 湖面に沿って夏の長い日の
 枯れはてた時間がただよっている
 大きな花冠を編み上げている:
 そんな花冠がきょう一日
 数かぎりなく舞いおりるのを私は見た
 招くようにまたたき花冠を編み上げる
 巨きな御手
(みて)のなかから。



 

 

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