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(「その3」から続く)
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東京というのは、良きにつけ悪しきにつけ、生きるための街、
未来にだけ向いた一方通行の街、、、だ。
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この街では、富める者、権力を握った者、美しい者が
善(価値) であることが疑われることはなく、
人はより富もうとし、より高く権力の階段を上がろうとし、
女性はより美しくなろうとする。
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人は、東京という大都会にいる間は、何の疑いもなく
この明瞭かつ単純な価値ゲームに興じる。
( もしくは、興じているフリをする )
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マネー、セレブといったこの街の価値ゲームのルールに疑いをはさむことは、
この街では御法度だ、、、、というか、
それはそもそもヤボというものだろう。
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そんな価値観の単純明快さが、この大都会の、ひいては、この国の
ダイナミズムを生み出していることだけは間違いないのだから。
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他方、貧しい者、老人など弱き者、病んだ者などは東京という街では
マイノリティだし、 反・価値 だ。
( 少なくとも、弱者が生きやすいような場所ではない。
たとえば、家賃の高さ一つとっても、生きにくいこと甚だしいハズ )
ましてや、死んだ者のことなどはすぐに忘れさられてしまう。
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これに対して、京都という街はどうか ?
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(東京との対比で)あえて図式化すれば、京都というのは
過去(歴史)に向けて開かれた街、
記憶に生きる街、死者と共生する街、
(少なくとも)多様な価値観が共存する街だ。
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そして、東京 ⇔ 京都の二地域居住にもし積極的な意味があるとするなら、
それは、東京と京都という対極的な価値観の2つの都市の間を絶えず往来し、
相互参照を繰り返すことで、
(片方の街だけで暮らしていると見失しないがちな)全体性を回復することにある、、、、、
と思うのだがどうなんだろう ?
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(「その5」に続く )
(「その1」から読む)
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( 追記 )
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冒頭の写真は、現代日本(東京)の象徴的場所である
渋谷のスクランブル交差点。
この街では、「若さ」という価値がすべてで、
それに疑いをはさむ者はいない(というか、
そういう人はそもそも シブヤ には来ない)。
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下は、小林玖仁男さんという方の書かれた、
「死ぬなら、京都がいちばんいい」
という究極の京都移住本、終活ガイド。
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死ぬなら京都(のような場所)がいちばんいい、、、、
というのは多くの 日本人が意識の古層で抱いている
共通の感情 ではないか ?
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死ぬなら、京都がいちばんいい | |
クリエーター情報なし | |
幻冬舎 |
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「 命の終わりを意識した時、いちばん美しく見える都は京都以外に考えられない。
ありそうでなかった。最期の日々を過ごすための、京都ガイド。
著者は2015年7月不治の病の「間質性肺炎」に冒されていると診断され、
余命は平均で約2年半、長くもっても約5年、という宣告を受けた。
突然の難病宣告に恐れおののき、死ぬという現実を見つめ、
身辺整理を済ませ、死と向き合い、最期の時を待っていた。
しかし、友人の「最期に京都に住めば」というひょんな一言から、
大好きな都、京都で最期の時を迎えたいと思い立ち、
埼玉の自宅を捨て、京都に引っ越してしまう。
京都で人生の最後にやりたいこと、食べたいもの、会いたい人、見たいもの。
最期の時のための京都ガイド 」
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「 難病で余命わずか。 生まれる場所は選べなくても、死ぬ場所は選べる。
間質性肺炎を患った著者が人生の最期に京都で見て、食べて、考えたこと。
「銀閣寺」の終焉の美に魅了され、 「哲学の道」の葉桜のはかなさに心打たれる。
人生最期に味わいたい ! 究極の古都ガイド。
第1章 そうだ、最期は京都に棲もう
第2章 「終の棲家」生活の極意
第3章 最期の京都がもたらす幸せ
第4章 京都の街に溶け込んで生きる
第5章 悔いなく人生を全うする智恵
著者について
1954年生まれ。埼玉県北浦和の有名会席料理屋「二木屋」の主人。
薪能の開 催でも知られる同店は、国登録有形文化財にも指定されている。
著述家とし ても活動、絵や書もたしなみ、郷土玩具研究家、雛人形研究家でもある。
著書に『あの世へ逝く力』(小社)。 」(内容紹介)
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