森羅万象・考える葦  インターネットは一つの小宇宙。想像、時には妄想まで翼を広げていきたい。

好きなアニメ・漫画、趣味の語学・数学・宇宙、真剣に防災・政治・少子高齢化まで興味の赴くまま自由に大胆に考えていきます。

7月22日、凡太郎柄にもなく宗教・人生を考える。(1)

2018-07-22 01:23:37 | 折角、人間に生まれた来たからには ; 生きる意味>宗教、哲学・死生観…

(仏像)




(仏像)




(曼荼羅図)




 ① 宗教も悟りも判りません。

   "森羅万象・考える葦"などと言う大風呂敷のサイト名をつけてしまったので、
  宗教や悟りの問題は一度考えるべき課題だと思っていました。正確に言えば、
  自分も相対主義であれこれ考え悩んでいるより、絶対無二の存在に帰依して考える
  ことを止めてしまえば楽だろうと思う時もあります。自由とは一つの重荷と
  考えるのに似ています。

   でも現実を見れば俗物の"似非坊主"は多いし、寺院といっても観光寺で料金を
  取ることが目的にしていることなどを揶揄することから始めたのですが、当然、これで
  重要な事など理解できるはずもありません。さらに、薬師寺の村上管主の不倫など、
  信長の比叡山の焼き討ちに拍手を送りたい位です。

  また、多くの宗教が愛とか救いとか、平和という美しい言葉の下で、現実は
 イスラムとキリスト教のうんざりするような長期にわたる闘い、そして、キリスト教
 の内部でもカトリックとプロテスタントの血で血を洗うよう戦い、イスラムでもシーア派と
 スンニ派は同族の争い的な苛烈な戦いが政治と絡んで、終わりが全く見えない状況です。
 
  これで、アーメンとかアラー・アクバルと唱えても自分には虚しい感慨しか浮かんで
 きません。
  また、前にこのカテゴリーで書いたように日ごろは、"南無妙法蓮華経"とか"南無阿弥陀  仏"とか唱えているようなお爺さんやお婆さん、これまたキリスト教徒でもない新郎新婦  が教会で結婚式をあげるので、なれない聖歌を歌ったり、どうみても神父には見えない若  いイケメンの外国人が夫婦の宣誓 をさせているなど…
  こんな状況では、自分のような真面目な(?)凡人には、「宗教も悟りも判りません。」
というのが、正直な所です。



  ② 夏目漱石の"草枕"にこんな一節があります。

  『山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。』

 この文章は、今の自分を代弁して呉れています。
 さて、仏陀が入寂されて2000年以上たっていますが、復活はないのでしょうか?
  どちらかと言うと、『智ちに働けば角かどが立つ』タイプなので、今日は現状
 分析としておきます。
  次は、マルクス先生が言われた"宗教は民衆にとってアヘンである。"について
 考えてみます。
   


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