【全国パワースポット紹介 第四回】
「玉置神社」
玉置神社は、奈良県吉野郡十津川村にある神社で、霊峰玉置山の山頂付近に位置する、大峯奥駈道の靡のひとつである
「大峯奥駈道」とは、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道で、「靡」とは、神仏が宿るとされた道沿いにある拝所・行所(霊場)をいう
「大峯奥駈道」とは、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道で、「靡」とは、神仏が宿るとされた道沿いにある拝所・行所(霊場)をいう
祭神
【本社】
国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大御神・神日本磐余彦尊
【摂社】
倉稲魂神・天御柱神・国御柱神
【末社】
大巳貴命
【本社】
国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大御神・神日本磐余彦尊
【摂社】
倉稲魂神・天御柱神・国御柱神
【末社】
大巳貴命
社伝の『玉置山縁起』では、崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に、熊野本宮(和歌山県田辺市本宮町)とともに創建され、古来より十津川郷の鎮守であったとされるが、諸説あり定かではない
起源としては、山容を神奈備として崇拝していたことからで、名称の由来は、神武東征のとき、この地で兵を休め「十種神宝」の「玉」を鎮め(置き)武運を祈願したことからとされる
また、平安時代には神仏混淆から、玉置三所権現、または熊野三山の奥の院と称し修験霊場として栄えた
その後、神仏分離により玉置三所大神、更に玉置神社となった
摂社である三柱神社に祀られている倉稲魂神は、京都府の伏見稲荷大社で農業や商売繁盛などの神として、また天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風を司る神として祀られていることで知られており、三柱神社は別名「稲荷社」とも呼ばれ、稲荷信仰が盛んになる前から地主神として祀られており、厄除けや心願成就さらに精神の病、また海上安全にも特別の霊験があるとされている
古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、 末社・玉石社として、玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座するが、社殿がなく、ご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残している
また、玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願していたとされ、大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしと なっている
境内には、樹齢3000年以上の神代杉をはじめ、常立杉、大杉などの巨樹を含む杉の巨樹林が成立され、神社神殿には、日本書記で第一神とされる国常立尊が鎮座する
玉置神社には梵鐘があり、梵字を刻んだ釣鐘は神仏混淆時代のもので、昭和34年に国指定重要文化財に指定され、銘のある鐘では、全国で11番目に古いとされており、現在は十津川村郷土資料館に展示されている
修験道においては、山林中を自らの足で歩いて修行する抖擻によって、廻峯行を行なう山岳修行が重視されており、峯中路には「宿」と呼ばれる霊地が設けられ、宿は神霊や祖霊を迎える場所としての意味がある
修験道においては、山林中を自らの足で歩いて修行する抖擻によって、廻峯行を行なう山岳修行が重視されており、峯中路には「宿」と呼ばれる霊地が設けられ、宿は神霊や祖霊を迎える場所としての意味がある
玉置神社は、「参籠(宿泊)」の施設となる宿であったが、山岳修行が低調となるにつれて、徐々に宿の語は用いられなくなり、かわって「靡」と呼ばれるようになった
玉置神社は参籠宿としての機能を持つが、単なる宿泊施設ではない
玉置神社は参籠宿としての機能を持つが、単なる宿泊施設ではない
本来の入峯の姿とは、峯中路上の行所を廻るだけでなく、参籠宿を拠点として峯中路から外れた周辺の聖域を訪れて拝礼するというものであった
しかし、大峯奥駈の衰退とともに、峯中路から外れた行場や聖域の多くは退転し、宝冠の森や、大日岳など少数のものが、今日に伝承されるに過ぎない
こうした点からするならば、玉置神社の成立とは、宿機能を備えた社殿の成立を意味するものであった
そして、玉置山と宝冠の森をつなぐ尾根道上の祭祀遺跡は、入峯修行の本来の姿を今日に示唆する山岳信仰遺跡なのである
大峯奥駈道は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に認定され、霊峰玉置山に鎮座する玉置神社は、大峯奥駈道の極めて重要な聖地として、同じく世界遺産に含まれている
修験道の開祖・役行者、さらには弘法大師・空海、天台宗の智証大師・円珍もこの地で修行したとされ、また、「大和なる玉置の宮の弓神楽弦音すれば悪魔退散」と詠まれ、 全国的にも珍しい「悪魔退散」という特殊なご神徳があり、古くは皇族の悪魔祓いが行われていた
ここ玉置神社の神は、非常に厳しい神で、邪心があると受け入れられず、 呼ばれないとたどり着けないというぐらい、最も参拝の困難な神社と言われている
途中で事故に遭ったり、急な体調不良、仕事の都合がつかなくなったなど、さらに「カーナビが壊れる」「落石で通行止め」という理由を多く聞く
もし、この玉置神社にたどり着くことができたなら、それは神の導き、神に呼ばれたということなのかもしれない
信じるか信じないかはあなた次第です!!