Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

パリで一緒に

2024-04-20 | 映画(は行)


◾️「パリで一緒に/Paris - When It Sizzles」(1963年・アメリカ)

監督=リチャード・クワイン
主演=オードリー・ヘプバーン ウィリアム・ホールデン トニー・カーティス

ローマの休日」以降のオードリー主演作で観たことがないのはあと数本。そのうちの一つが本作「パリで一緒に」だった。観るチャンスはなくもなかったけど、敬遠してたんだろうな。だって、ウィリアム・ホールデンが何故か苦手なんだもの。

いろんな名作にあれこれ出演してるし、カッコいい西部劇もあるし、名優だとは認めてるんだけど、昔から印象に残っている主演作は、とにかく体たらくか女たらし。コテコテのメロドラマのイメージ。僕がクラシックかぶれの若造だった頃から、その印象は変わらない。僕のホールデンのイメージは「戦場にかける橋」よりも「慕情」、「ワイルドバンチ」よりも「サンセット大通り」、「第十七捕虜収容所」よりも「ピクニック」。印象が悪い最大の原因は、「タワーリング・インフェルノ」の憎まれ役よりも「麗しのサブリナ」のプレイボーイの次男役。結構観てるなww

さて、本作「パリで一緒に」はどうかと言うと、僕が期待する(?)嫌いなウィリアム・ホールデンが堪能できる映画だった😩。新作映画のシナリオがいっこうに進まない脚本家。悩んでる訳ではなく、単に仕事そっちのけで遊んでいるだけ。タイピストを雇ってプロデューサーとのアポイントまでに書き上げようとする顛末を描いた作品だ。雇われたタイピストがオードリー・ヘプバーン。こちらは誰もが期待する笑顔もファッションも素敵な役柄で、ズケズケとものを言い、脚本にケチをつける。しかし彼女から聞いた話や、彼女自身のイメージから、発想は膨らんでいき、脚本は進み始める。その間にも脚本家氏はタイピストに不意打ちのキス、話のノリで抱きしめる。あー、やっぱり嫌いなホールデンだよ😠

二人が編み出したストーリーは、劇中劇として二人が演ずるロマンティックコメディとして進行する。せっかくパリが舞台なのに、いかにもセットに見える作り物感漂うカフェテリアの舞台が用意される。それは二人の空想。しかし、話が進んでいくに従って、その舞台はだんだん見応えのある風景に変わっていく。ほほー、ホテルの一室からカメラが出ないと思ってたら、なかなかゴージャスな映像になっていく。結末はまぁお約束のラブ展開なのだが、どうも納得いかず。オードリーは期待通りに素敵なんだけど、最後まで嫌いなホールデンだった。

原語をきちんと聴きながら丁寧に鑑賞したら言葉選びがきっと面白いんだろうと思った。英語がもっと得意だったらなぁー😣。音楽も衣装もゴージャスな映画なのに、今ひとつ気持ちがあがらない作品でした。

 ◇

あれ?こんな二人が出てくる映画、他にあったよな。何だっけ…と考えて思い出した。

借金に追われる小説家が、期限までに新作を仕上げるために速記者を雇うラブコメ。ロブ・ライナー監督の「あなたにも書ける恋愛小説」だ!。あれも二人が書く小説の内容を二人が演じる劇中劇が登場する。そっかー、あれは「パリで一緒に」へのオマージュだったのかもな。そう思ったら、「パリで一緒に」がちょっとだけ素敵な映画に見えてきたw






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デュエット

2024-04-18 | 映画(た行)


◾️「デュエット/Duets」(2000年・アメリカ)

監督=ブルース・パルトロウ
主演=マリア・ベロ ポール・ジアマッティ グゥィネス・パルトロウ ヒューイ・ルイス アンドレ・ブラウアー

「デュエット」は、カラオケ大会に集まる6人の男女を追った群像劇。賞金目当てのカラオケハスラーであるリッキーに元妻が亡くなったと電話が入る。葬儀場で初対面した実の娘リブを遠ざけるリッキーだが、2人は行動を共にするようになる。セールスで出張続きのトッドは、家庭に嫌気がさして旅に出る。その道中で知り合った黒人レジー。彼は脱獄囚で追われていた。そして恋人を寝取られて自暴自棄のビリーは、酒場で知り合ったカラオケハスラー、スージーと成り行きで行動を共にすることになる。6人は高額賞金がかかったカラオケ大会に向かう。

音楽で結ばれる絆は深い。人をつなぐもう一つの言語とまで言うとオーバーかもしれないけれど、大なり小なり音楽を通じて関わった人々は、長い付き合いだったり、強い印象を受けていることが多い。僕もそう感じている。この映画の中でも、ギクシャクしていた関係が歌を挟んで変わっていく。

リッキーは「娘を紹介させてくれ」とリブをステージに上げ、スモーキー・ロビンソンのCrusin'を一緒に歌う。リブにとっては亡くなった母がよく歌っていた思い出の曲。トッドとレジーは、オーティス・レディングのTry A Little Tenderness。警察の目を逃れようとするハラハラと音楽の快感が同居する名場面。この2曲の見事なハーモニーは映画の中でも注目すべき圧巻のステージ。音楽好きなら、これを目的に観ても損はない。

自暴自棄になって、騒ぎを起こすトッドが痛々しい。貯まったマイレージでホテルに泊まりたいという願いが叶えられないことがきっかけで、トッドはレジーの銃で大暴れ。その彼をレジーが叱る場面がいい。
「中流家庭なんて牢獄だ」
「ほんとの牢獄を知りもしないくせに」
それでもレジーが最後までトッドを見捨てない姿はこの映画の感動ポイントだ。

実は映画に先行してサントラ盤を購入して聴いていた。グウィネス・パルトロウが歌うキム・カーンズのBette Davis Eyes、映画冒頭でヒューイ・ルイスが歌うジョー・コッカーのFeelin' Alrlghtが好き。ポール・ジアマッティはトッド・ラングレンのHello It's Meを歌って激しく踊る。切なさが好きな曲だけに笑いのネタにされる場面なのはちと残念かなー。マリア・ベロが歌うボニー・レイットのI Can't Make You Love Meもなかなか。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランナウェイズ

2024-04-16 | 映画(ら行)


◾️「ランナウェイズ/The Rnuaways」(2010年・アメリカ)

監督=フローリア・シジスモンディ
主演=ダコタ・ファニング クリステン・スチュワート マイケル・シャノン ステラ・メイヴ

ランナウェイズが活動していた1970年代後半は、やっと洋楽に目覚め始めた頃。聴いてたのはBCRやAbbaとか健全なものが中心だった。洋楽に詳しい友達から、こんなひと言を言われたことがある。
😼「takは育ちがいいから、ビートルズは聴いても、不良ぽいストーンズは似合わねー」
へ?音楽にそんな垣根があるもんかと思ったのだが、世間が"不良ロック"なイメージを持つジャンルは実際後追いで聴くことになる。育ちがいいとはちっとも思わないけど、言葉の呪縛って怖い。ランナウェイズは、当時存在は知っていたものの、色モノのイメージが強くって。もし聴いてたら母に「お父さんが喜びそうな女バンドなんか聴いて!😭」と怒られたに違いないw

本作はそのランナウェイズの結成から解散までを描いた作品。ギターのジョーン・ジェットが音楽プロデューサーに女子でバンド組みたいと名乗りをあげ、メンバーが集まっていく過程が示される。街でくすぶって男の玩具になっちゃうよりも、飲んだくれの父親を抱える家に縛りつけられるよりも、何かで自分を示したい。そんな気持ちが彼女たちを駆り立てていく。

シェリーのオーディションのためにあのCherry Bombが創られていく様子。あまりのテキトーさ、こんな酷い歌詞だったのかと驚かされた。まさに不良ロック。そりゃ小学生の時に言われた言葉もわかる気がするw。
「聴く男どもがどう思うか。煽ってギリギリでかわせ。チンコで考えるんだ。」
すげえ日本語訳w。でもその激しい音楽と、シェリー・カーリーの煽情的なイメージが、バンドの成功とは裏腹に色モノのイメージを決定づけてしまったのは間違いない。

日本での人気がこれでもかと描かれる。僕は当時お子ちゃまだったから知らなかったけれど、日本での熱狂ぶりって激しかったんだな。ただランナウェイズの写真集が当時出版されていたのは知っている。映画の中でも、日本から来たカメラマンが、「いいねぇー、いいねぇー♪」と言いながらセクシーな表情のシェリーを撮る場面が出てくる。そういえばあの写真集は、雑誌GOROの別冊だったよね…おぉ!あの「いいねぇー♪」は篠山紀信センセイじゃねえか!その写真が原因でシェリーと他のメンバーが対立する場面の痛々しさ。音楽に理想があったのにストレートに受け止められない現実。離れたかったはずの家族が恋しくなる気持ち。気づかないうちに、世間の玩具にされてしまっていた自分たち。

映画のラストはその後の彼女たちが描かれる。ヒット曲を出したジョーンが出演するラジオ番組に、シェリーが電話する印象的な場面で幕を閉じる。ロックンロールは終わらない。

ジョーン・ジェットは代表曲I Love Rock'n Rollも好きだが、個人的にI Hate Myself for Loving Youが好き。あんたに夢中なアタシにヘドがでるわ♪表現は悪いが結局行き着くのは誰かを思う愛。その境地をルーズなロケンロールで歌う。最高やん。不良ロックを遠ざけられた少年は、そんなこと言う大人になったのでしたw

クリステン・スチュワートのジョーン、ひたすらカッコいい。ダコタ・ファニングのシェリーも大熱演。ワンシーンだけだが、子供たちを残して再婚相手とシンガポールへと去るシェリーの母親が登場する。おっ!テイタム・オニールだ!。かつてオスカーを受賞したそばかすの少女は、こんな役やる大人になってたのか(懐)





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葬送のフリーレン

2024-04-14 | テレビ・アニメ



「葬送のフリーレン」は他のアニメとはひと味違う。僕の周囲でフリーレンにどハマりしてるのはちょっと年齢層が高め。職場でも
👱🏻‍♂️「あれっ、もうこんな時間。今日は時間が経つのが早いですよねぇ」
😌「人間の時間は…早いね」
👨🏻‍🦱「××さん、細かくチェックするんですね、さすがだなぁ」
😁「一級魔法使いだからね」
😎「勇者××ならそうする」
とまぁ、かつてガンダムの名言をビジネス会話に入れたがった大人たち並みに、時にフリーレン構文を交えながら会話する始末だ。

対して、若い世代も見てない訳じゃないけれど、進んで話題にしてこない。アニメ好きのうちの子供たちは最初から関心を示さなかった。確かに派手さはないし、魔法少女でもないしw。赤い石のついたフリーレンの杖が、
Stand By Ready, Set Up
と魔法少女のアイテムみたいに喋り出すこともないしw

28話を終えて、大人の琴線に触れる理由が理解できた気がした。勇者が活躍する時代が終わったところから始まる物語。それは、勇者ヒンメル御一行との旅を振り返りつつ、エルフであるフリーレンが人間を理解していくまでの物語。エピソードの中には、激しいバトルが描かれるものもあるが、大半は様々な"気づき"が用意されている。それは若いフェルンやシュタルクの成長でもあり、フリーレンがかつて自分にかけられた言葉の意味や、ヒンメルの気持ちを理解する瞬間でもある。

大人は昔を懐かしむばかりで…と世間の若い子は言うけれど、過去を振り返ることの意味を「葬送のフリーレン」は教えてくれる。振り返って何かに気づくことで、また一歩生き方が深くなる。人はいくつになっても成長できる。大人世代にも「フリーレン」にハマる人が多いのは、振り返ることを肯定してくれる優しさがあるからだ。

「なんで知ろうとしなかったんだろう」
ヒンメルの葬儀の後でフリーレンが呟く。大人に刺さるのは、きっと後悔の数が多いから。だから振り返ることは多くなる。

若い世代には彼ら彼女らの成長が描かれ、フリーレンや老いたかつての英雄たちにも昔なかった知恵や思慮が身につく姿が描かれる。ほんっとにいい話だ。

今どきのアニメだから激しいバトル描写も必要な要素。一方で、スネたフェルンやミミックに頭を突っ込むフリーレンが出てくる回にはこっちまでニコニコしてしまう。また、後半の一級魔法使い試験に臨む様々なキャラクターの誰かに、自分を重ねる方もあるかもしれない。ファンタジーなのにどこか自分を重ねられる何かがこの作品にはある。

印象的な台詞もあるのだけれど、台詞に過剰に頼っていない印象を受ける。口元の描かれ方と声優のちょっとした息遣いが、これ程雄弁なのかと驚く場面が幾度もあった。そしてEDテーマ曲、miletのAnytime Anywhereが誰かを思い続ける気持ちの尊さを教えてくれるのだ。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ココ・アヴァン・シャネル

2024-04-12 | 映画(か行)

■「ココ・アヴァン・シャネル/Coco Avant Chanel」(2009年・フランス)

監督=アンヌ・フォンティーヌ
主演=オドレイ・トトゥ ブノワ・ポールヴールド アレッサンドロ・ニヴォラ マリー・ジラン

ファッション界で並ぶ者のない成功を手にしたココ•シャネルの若き日々を描いた作品。当時のフランスは女性の生き方にまだ真の意味で自由がなかった時代。映画で見る限り、男性にすがる生き方がよしとされていたようだ。シャネルも酒場で歌っていたところを将校エティエンヌ・バルサンに見初められ、彼のお屋敷に居候することになる。そこで出会う英国人男性カペルとの恋。そして彼の協力でココは個性と才能を発揮し始める。

正直なところ、僕はこの映画にシャネルがいかにしてあのシャネルスーツを作るに至ったのかを知ることができるか、と期待していた。彼女がポロを観戦しているときに、寒さから騎手のセーターを借りたことがそのきっかけとされている。確かにポロをする場面は登場するが、ルーツを感じさせる場面ではなかった。

この映画が重視しているのは特に恋物語の方だ。”本当の私を理解してくれる男性”。そして彼との悲しい結末。シャネルを通じて、観客に「あなたの相手はあなたを理解してくれていますか?」と問いかけられているかのようだ。

「あなたは私を恥じているでしょう?」
とバルサンに言う場面は印象に残る。人誰もがつきあう相手から様々な影響を受ける。それは男も女も同じだ。シャネルが女性をコルセットから解放して動きやすいファッションを考案したのも、つきあっている男性からの影響が多大にあるのは事実なんだろう。

お屋敷での退屈な日々の描写が淡々と続くことに途中飽きてしまいそうになった。「成功の秘密」って部分は観客の想像や予備知識に委ねられたような感じ。でもこの映画を観る上ではそこを受け入れないといけないのかな、というのが感想。ハリウッド映画のように「伝記」としてわかりやすく示してくれることは、そもそもこの映画の目的ではないのだ。いろいろな経験をしながら、主人公が人間として強くなっていく姿が中心なのだ。

マリー・ジランが出演しているのも嬉しい。


オドレイ出演のシャネルCM。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛と哀しみのボレロ

2024-04-11 | 映画(あ行)


◾️「愛と哀しみのボレロ/Les Uns Et Les Autres」(1981年・フランス)

監督=クロード・ルルーシュ
主演=ジョルジュ・ドン ロベール・オッセン ニコール・ガルシア ジェームズ・カーン

この映画を初めて観たのは中学3年の冬。映画雑誌を毎月買い始めて、興味のベクトルが多方面に無節操に広がっていた頃だった。欧州映画にも興味津々。ハリウッド製ヒット作ばかりが映画じゃねぇだろ、と映画雑誌を眺めながら思っていたマセガキ。されど地方都市の映画館でヨーロッパ映画が上映される機会は少なくて。そんな時期に地元の映画館で「愛と哀しみのボレロ」上映の報が。マセガキは前売券を地元デパートのプレイガイドで購入し、公開日を楽しみに待ったのだ。

この映画を観たことで、映画を通じた視野が一気に広がった。映画を芸術として初めて意識する経験だったとも思う。知ってる出演者はジェームズ・カーンくらい。でも初めて観る欧米各国の役者たちの熱のこもった演技に感動した。ホロコーストの嵐が当時のヨーロッパをいかに揺さぶったのかを知るきっかけになった。華麗な音楽。ジョルジュ・ドンのバレエ。胸が苦しくなり、音楽でワクワクし、クライマックスのボレロでなんかすごいものを観たぞ、と高揚感でいっぱいになった。残念だったのは、当時まだ地元映画館にはドルビーステレオの音響設備がなく、「愛と哀しみのボレロ」終了後、「レイダース 失われた聖柩」で初登場したこと。

マセガキ少年はその年から、アカデミー賞の真似をして年間ベストを選出するようになる。第1回の監督賞は本作でクロード・ルルーシュ!なんて生意気な俺。

それからウン十年経った2024年3月、「午前十時の映画祭」で久々の鑑賞。14歳の頃と同じく感激したけれど、マセガキ時代とは違って、いろんなものを吸収しているから、映画の良さにいろいろ理由づけができる。出演者の他の作品を観ているのは当然だけど、その経験値以上に、少年だった自分が"違いが分かる"おっさんになってることを、認識することになったのだ(笑)。

例えば、ボレロを踊ったジョルジュ・ドンについて。後に興味がわいて振付のモーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画も観た。あの振付の裏側を知り、ジョルジュ・ドンの踊りがいかに全身を酷使しているものなのかを知った。今回改めて観て気づいたのは、腹筋でリズムをとっていること。拍の頭でお腹が大きく凹んでるから、全身の動きが大きくなる。あの頃じゃ気づかなかった。さらに、空中で足先が交差するアントルシャ。これをスローで捉えた映像には惚れ惚れする。

もともとフランシス・レイが好きだったから、ミシェル・ルグランとタッグを組んだ本作には14歳で観た時も音楽に感動した。ウン十年後の僕は、ジャズミュージシャンとしてのミシェル・ルグラン作品が好き。CDも何枚か購入して、アレンジや演奏の凄さを思い知った。メロディはレイ、アレンジはルグランが手がけているようだ。同じ楽曲がアレンジ違いで繰り返し奏でられる。その使い分けの見事なこと。戦時中は歌詞がなかった「サラのセレナーデ」が、物語の進行と共にアレンジが変わる。ドイツの占領下となった前後で、パリで奏でられる音楽はガラリと装いを変える。アレンジで時代の変化、演奏する側の変化を表現している。

登場人物はとにかく多いし、同じ役者が二代、三代演じるから、ボーっと見てると混乱しそうな映画ではある。14歳のオレ、理解してただろうな?w。でも、その複雑さを感じさせないのは、ルルーシュ監督の映像によるスマートな進行にある。帰還した音楽家の家がパーティで盛り上がるのと対照的に、窓越しに向かいの家で訃報が伝えられる場面。カットは変わらないし、ズームしてるだけ。上手いよなぁ。

改めて観ると、リシャール・ボーランジェやジャック・ヴィルレなど、ウン十年の間に好きになった映画に出演した面々の若い頃も見られる。初めて観た時もエブリーヌ・ブイックスに惚れたのだけど(マセガキw)、やっぱりお綺麗。彼女も二世代を熱演している。

映画の良さはもちろん、自分があの頃とは観る目が変わっていることを改めて思い知る映画鑑賞でした。観ることは糧になってる。それは実感。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オッペンハイマー

2024-04-09 | 映画(あ行)


◾️「オッペンハイマー/Oppenheimer」(2023年・アメリカ)

監督=クリストファー・ノーラン
主演=キリアン・マーフィー エミリー・ブラント ロバート・ダウニーJr. マット・デイモン 

クリストファー・ノーランがオスカーを制した「オッペンハイマー」。これまでノーランはSF、サスペンス、アメコミ、戦争映画を手がけ、時系列と既成概念をぶち壊す大胆な演出で一時代を築いた。歴史に残るヒット作の中に作家性を保ち続ける作風。何もここまでめんどくさい映画にしなくても…と毎回思ってきた。非現実と非日常を描いてきたノーランが次に手がけたのは現実世界の出来事。しかも原爆の父と呼ばれた物理学者オッペンハイマーの伝記映画だ。

おそらく僕ら世代の映画ファンなら「シンドラーのリスト」を撮ったスピルバーグを重ねてしまうのではなかろうか。ファンタジーを撮る映画少年が、ホロコーストという厳しい現実を撮る。誰もが驚いたし、その出来栄えに賞賛を送った。ノーランも同じ道を辿っているように思える。

被爆国日本での公開は諸般の事情で大きく遅れた。その意見や感情は理解できる。正直なところ、僕も映画館に駆けつけたい程の気持ちにはなれなかった。スクリーンできのこ雲を観て、冷静な気持ちになれるだろうか。ロスアラモスで開発が進むシーンを観ながら、心の片隅で「やめろ」と声がする。結末も歴史も分かっているのに。

映画は原爆投下を正当化している訳ではない。正直なところ、もっと米国万歳な話になっているのではないかと疑っていた。あくまでもオッペンハイマー自身の心境の変化と、彼をとりまく人々の人間模様と対立を徹底した会話劇で示していく。

原子爆弾の開発という目的のために物理学者が集められる。「これは学問の集大成だ」と彼らは言う。学者としてこれ以上ない大実験の機会が与えられたのだから。そんな中でも、オッペンハイマーの友人でもある物理学者ラビが「学問の集大成が大量破壊兵器でいいのか」と冷静なひと言を発する場面は強く印象に残る。しかし、戦争という時代の空気はそうした声をかき消す。さらに、ユダヤ人としてナチスによるホロコーストを許せないオッペンハイマーの気持ちは揺らぐことはなかった。

原爆投下の罪はアメリカ政府にある。ホワイトハウスでのオッペンハイマーとトルーマン大統領との会話はそれを強く印象づける。
「私の手は血塗られている気がします」
オッペンハイマーの言葉を「泣き虫」だと罵る大統領。ロスアラモスにいた物理学者たちも、ナチスドイツが降伏した後、敗戦がほぼ決定的だった日本に原爆を使うことは望んでいなかった。こうした人々や意見が描かれたことで、否定的な意見があったことが広く知られたらいい。本当に憎むべきは、新型爆弾を使う発想しかなかった戦争なのだ。その政府は水爆開発に否定的な彼が都合が悪い存在になり、赤狩りで表舞台から退かせる。

スティングの歌の中で、Oppenheimer's deadly toyと歌われる核兵器。恐ろしいおもちゃ。

作ったことが罪なのか。
使ったことが罪なのか。
本当の破壊者って誰なのか。

広島、長崎の惨状をオッペンハイマーが映像で目にする場面は無言でサラッと過ぎていく。そこで何を見たのかが描かれないことに不満はある。NHKで放送された「映像の世紀バタフライ・エフェクト」では、この場面について次のようなエピソードを流していた。

長崎の惨状を見てきた一人が「爆弾で立て髪の半分を失った馬がいたが、幸せそうに草を食っていた」と報告したことに、オッペンハイマーは「原爆を善意ある兵器かのように言うのはやめろ」と言い放った、という。映画のオッペンハイマーの口からこの台詞を聞きたかった。

3時間近い時間、人間の弱さと醜さを見せつけられた気がした。視点の違い、現在と過去を色彩の差で構成した演出は見事だ。この映画は、戦火が収まらない今の世界に核兵器について考えさせるきっかけを作ったかもしれない。アメリカの観客にどう受け取られているのかは気になるところだ。それにしても、2023年のアカデミー賞で、本作と核が産んだ脅威である「ゴジラ」が揃って受賞したことに因縁のようなものを感じてしまう。これも日本人の身勝手な感想なのかもしれないけど。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SPY×FAMILY Season2

2024-04-07 | テレビ・アニメ



長女とキャアキャア言いながら楽しんでいるSPY×FAMILY。第2シーズンは初回からファミリー向けのほんわかムードで、このまま害のない路線で押し通しちゃうのかなと、微笑ましく見つめながらも、どこか物足りなさを感じていた。

ところがどっこい。政府広告にまで使われたファミリー向けなパブリック・イメージを覆すエピソードが待っていた。第30話「戦慄の豪華客船」から数週間に渡る回。長女は愛犬ボンド不在にやや不満。だが父親たる僕は、ヨルの殺し屋相手の大活劇、並行する別の危機を救うロイドの活躍、その間で奔走するアーニャのグッジョブに、ワクワクがおさまらないっ!しかも描写がこれまでにない、暴力、流血、スリル😱

🤩エレガントっ!実にエレガントっ!
ヘンダーソン先生のように讃える父親。
🧑🏻すごい!すごいけど、これファミリー向けアニメよね?
とまどう長女。
😣悪役こんなに来やがったぁ!
劇場版のヨルもカッコよかったけど、このアクションをテレビで楽しめるとは!しかも無双ぶりっ!絶体絶命からの起死回生。ヨルさんファンには感動もんです。
🧑🏻うわっ!殺し屋が他の奴殺した!えー、血が、血が🩸ええーっ!?部長さーん💦

SPY×FAMILYで人が死ぬシーンがっ!小さいお子ちゃまも一緒に見てるご家庭はびっくりしたかもな。それでも毎週人が死ぬようなメガネの少年探偵アニメよりは、教育的にマシだと思いますw(個人の感想です)。

最後のベッキー回もよかった。ロイド様っ♡少女の憧れが微笑ましいのが、エスカレートする行動にもう笑うしかない。髪を振りほどく場面には、こっちも頭振りながらケラケラテレビの前で笑ってました。

湯浅政明監督によるオープニングが好きっ。そしてED曲の「トドメの一撃」が素晴らしい。長澤まさみ出演のPVがドラマ仕立てでこれまたカッコいい(本編と関係なくてすみません💦)。Cory Wongのギター、カッティング🎸がかっちょよくって、彼の作品を検索してあれこれ聴いた。カラオケ🎤で歌いたいっ♪

近頃、長女に家事のヘルプを頼むメールの件名にひと言添えることにしている。例えば、こんな感じ。
📱「件名:オペレーション・ストリクス🦉
雨が降りそうなので、洗濯物を取り入れるべし🧺」
変なノリの父娘ですみません💧



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

52ヘルツのクジラたち

2024-04-05 | 映画(か行)


◾️「52ヘルツのクジラたち」(2024年・日本)

監督=成島出
主演=杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨

いざ観てみればいい話だし、役者のいい仕事も見られるし、もちろん感動させられる。だけどついつい重いテーマを扱う日本映画を避けてしまう。別にお気軽なエンターテイメントだけを求めて観る映画を選んでる訳じゃなくて、社会が問題としている事から目を背けるつもりもない。ただ映画館で辛い思いをしたくない。

それに重いテーマを前にした自分が、どんな感想をもってしまうのかが怖くなることもある。他人事にしか思えなかったらどうしよう、逆に身につまされる要素を何か感じ取って過剰に感情が揺さぶられてしまったらどうしよう。スクリーンに向かう自分が試されているような気持ちになって、劇場鑑賞に二の足を踏んでる映画はあれこれある。観たけれどうまくレビューできないものもある。「52ヘルツのクジラたち」も正直なところ、観ようと思うまでに時間を要した。

ヤングケアラー、ネグレクト、ドメスティック・バイオレンス、トランスジェンダーと多くのテーマを抱えた原作小説。それだけの要素がきちんと描かれているのか。表面的な話にとどまっているのではないのか。観る前に少なからずそう思っていたのだが、それは杞憂だった。文章では描けても、映像化するために補完しなければならないことに真摯に向き合った映画だと思えた。観てよかった。

杉咲花ら、出演者は当事者の方々に不快な思いをさせないように役作りをしていたと聞く。画面に登場する人それぞれが、自分の思いに真っ直ぐ。辛い場面やエピソードも出てくるけれど、言動の裏にある気持ちを考えること、手を差し伸べてくれる人の温かさを思い知ることができる良作。魂のつがい、いい言葉だな。

届かない声だけれども、映画でなら誰もがその気持ちに寄り添える。気持ちを知ることができる。それは物事に向き合うための第一歩だ。

少年の身寄りを探して訪れる小倉では、小倉駅とチャチャタウン小倉の観覧車が登場。毎度思うが、北九州ロケはほんっとに自己主張強めw。海を見下ろすバルコニーは、大分の別府湾を見下ろす高台にある住宅を使ってロケが行われた。確かにこの風景を撮るためには、穏やかな海に向かって斜面が広がる別府市は格好の場所だろう。海に面した佐賀関の風景と倍賞美津子や金子大地の大分弁がちょっと温かな気持ちにしてくれた。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アガサ・クリスティー 奥さまは名探偵〜パディントン発4時50分〜

2024-04-03 | 映画(あ行)


◾️「アガサ・クリスティー  奥さまは名探偵〜パディントン発4時50分/Le Crime Est Notre Affaire」(2008年・フランス)

監督=パスカル・トマ
主演=カトリーヌ・フロ アンドレ・デュソリエ キアラ・マストロヤンニ メルヴィル・プポー

カトリーヌ・フロとアンドレ・デュソリエによるおしどり探偵シリーズ第2作。アガサ・クリスティの原作「パディントン発4時50分」は、ミスマープルシリーズの一編。原作では、家政婦に謎の屋敷への潜入を依頼するのだが、この翻案では好奇心の塊である素人探偵プリュダンスが自ら乗り込んでいく。気難しい屋敷の主人と変わった家族たちに、持ち前の明るさとバイタリティで接していく姿がスリリングで楽しい。前作同様、夫ベリゼールがそれに巻き込まれる。

予告編の編集が実に見事で、細切れでつながれたカットだけで判断すると、とんでもなく危険なお話のように見える。いざ本編を観ると、それぞれがユーモアあふれる場面ばかりだと気付かされる。予告編から観る方々は気持ちよく騙されるw。

皮肉の効いたやり取りは前作同様なのだが、本作は登場人物も多く、お話をテンポよく進める必要もあるから、前作に感じたオシャレ感はやや控えめ。だが、本格ミステリーと出しゃばり夫婦の推理劇の楽しさは、うまい具合にブレンドされていて、死体も殺人も出てくるエンタメ色と、ハッとする謎解きの展開はこちらの方が上かもしれない。まぁ、好みの問題でしょうけど。

キアラ・マストロヤンニ、メルヴィル・プポー、イポリット・ジラルド、それにクリスチャン・バディムと共演陣も名の通った面々。個人的には、謎解きよりも雰囲気に浸りたいタイプの映画だと思えた。そのために繰り返し観てもいいかな。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする