トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

外人部隊 その二

2015-08-29 21:40:12 | 読書/欧米史

その一の続き
 ドイツは三十年戦争で国土は荒廃、人口が激減したが、長期間にわたる戦闘や傭兵による略奪によるところが大きい。略奪して食っているのだから、傭兵は楽して豊かになれたと思いきや、話はそれほど単純ではない。「傭兵たちの掠奪」というサイトには、この時代の傭兵の背景が載っており、結論をこう結んでいる。
彼らは儲かるから傭兵となったのではない。傭兵とならなければ生きていけなかったのである。掠奪しても、そのほとんどは酒保商人によって巻き上げられる傭兵たちは、結局刹那的・享楽的になり、略奪品を蕩尽する以外のことをしなかった。実は、ここで扱ったような掠奪経済の中で、最も経済的抑圧を受けていたのは他ならぬ傭兵たちだったのである
 
 フランス革命時にも“外人部隊”が登場している。バスティーユ襲撃前、国王政府は治安悪化を理由に軍隊をパリに集結させ、武力行使も辞さない姿勢を取った。この時の強硬派の中心こそ王妃マリー・アントワネットであり、国王ルイ16世はパリ民衆に対する武力鎮圧には消極的だったという。だが、既に国王政府は強硬派で占められ、ルイ16世の意向が通らないほどになっていた。
 小学生の頃ベルばらを見て、何故チュイルリー宮殿広場にドイツ人騎兵がいたのか分らなかったが、外人部隊が当たり前だった欧州史を知り納得した。ドイツ人近衛部隊を率いていたのはフランス貴族のランベスク公だが、部隊は民衆を剣で攻撃し始め、暴動に参加していなかった一般市民まで殺傷する事態に発展する。これに対しガルド・フランセーズ(フランス衛兵)の一部は民衆を支援、ドイツ人部隊と交戦するに至った。

 合衆国第3代トマス・ジェファーソンは当時米国大使としてフランスに駐在、興味深い記録を残している。ジェファーソンは武力鎮圧に集結した軍隊の無気力さに驚く報告書を本国政府に送っていた。実は兵は民衆に対し発砲することを拒み、むしろ民衆に同調する態度なので、指揮官は形勢を静観していたのだ。6月末には近衛兵が営舎から脱走する事件があり、兵士が民衆に親近して発砲を拒否する事例が全国で頻発していた。
 フランス兵が同民族に銃を向けるのを拒むのは当たり前なのだ。対照的にドイツ人近衛部隊が民衆を殺傷したのは、異民族ということがあろう。王妃も元は外国人、やはりオーストリア女と陰口を叩かれたことはある。この時点で王妃は国母の資格を失ったのだ。

 傭兵でも虐殺を受けるケースもある。フランス革命時の8月10日事件で、スイス傭兵は王宮に押し寄せた暴徒たちから必死に王家を防衛するも多勢に無勢、26名の将校と6百名の兵士が虐殺された。スイス傭兵は鉄の規律とフランス王への忠誠心で知られていたが、それが仇になる。スイス・ルツェルンには彼らの慰霊碑があり、犠牲者の姓名が刻まれている。
 スイス傭兵の他に国民衛兵も王宮警護の任についていたが、彼らの多くはデモ隊に寝返ってしまう。群衆の暴行は凄まじく、スイス兵を切り刻み惨殺したが、デモ達には女達も加わっていた。彼女らは死体の軍服をはぎ取って全裸にし、群がっては性器を弄び損傷した。

 8月10日事件の目撃者にナポレオンもいた。広場で血に酔った女たちが、宙に投げ上げては落下する生首を槍の穂先に突き刺し、笑い興じる様を見て、チュイルリー宮攻防のような残酷な闘争は生涯に2度と見たことがない、と後年述懐している。残虐行為を働くのはプロの傭兵に限らなかったという事実は絶句させられる。

 戦国時代でも外人部隊のいなかった日本は実に幸いだったと思う。傭兵について2008-04-09付で、mottonさんから次のコメントがあった。
傭兵は「戦争をするから悪」なのではなくて「非合法に(国民の承認なしに)戦うから悪」という国際法の精神はたぶん正しいと思います。戦争から「同胞を守るため」という合法的建前がなくなれば、裏で儲けていた者が表で好きにやり始めます
 但し、国際法の通じないのが紛争地帯である。蛮行を働くのは非合法の外人部隊ばかりではなく義勇兵も全く同じであり、“イスラム国”の実態は義勇兵なのだ。そんな暴力を封じ込めるためには、また武力による解決以外にないのも事実。平和を唱えるだけでは何も出来ない。

◆関連記事:「戦争の犬たち
 「平和と唱えて世界が救われるなら…

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2 コメント

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雑感 (スポンジ頭)
2017-12-03 10:52:26
 おはようございます。
 
 スイス衛兵たちは王政復古時代にルイ18世が兄とマリー・アントワネットの為に建設した「贖罪礼拝堂」に眠っているそうです。彼らの魂が故国へ戻れたことを祈ります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%96%E7%BD%AA%E7%A4%BC%E6%8B%9D%E5%A0%82


 また、未読ですが、「ナポレオン 獅子の時代」と言う漫画ではこの虐殺事件も描かれており、バラバラの手足が広場に突き立っていたり、首やら何やらを突き刺して更新する民衆の姿が描かれていました。近頃はそう言う暗部も漫画で描く傾向があるようです。
「私が何をしたの!」と言いながら可憐な少女が連行され虐殺を暗示されたりとか、とにかく革命の狂気は怖い。
Re:雑感 (mugi)
2017-12-03 21:10:55
>こんばんは、スポンジ頭さん。

「贖罪礼拝堂」のことは知りませんでした。wikiに目を通したら、スイス衛兵で埋葬されたのは一部だそうですね。それでも埋葬された分、マシでしょう。礼拝堂の名前自体、何とも凄いですが、内部は素晴らしい。国王夫妻が彫像になっているのはとかもく、『たゆまぬ信仰に支えられるマリー・アントワネット』には吹きました。あまり敬虔な女性だったとは思えないのですが。

「ナポレオン 獅子の時代」という漫画は私も未読ですが、画像をググったら青年誌らしい絵柄でしたね。8月の事件も悲惨ですが、9月虐殺はさらに惨い。私が後者を知ったのはツヴァイクのマリー・アントワネット伝からです。ランバル公妃の死体損壊を知って仰天しました。

 それにしても、フランスの君主制支持運動って未だに続いていたとは意外でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%A0