トーキング・マイノリティ

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トルコのクーデター未遂事件に思うこと その二

2016-07-24 21:40:06 | 世相(外国)

その一の続き
 1960年の春、「自由を我らに!」の叫び声がイスタンブルアンカラの大学生から始まり、知識人層や都市生活者がこれに加わり、次第に「打倒メンデレス!」の叫び声に変った。ちなみに60年代半ばのトルコの大学生の数は5万人未満に過ぎず(※総人口は約3千万人)、文字通りのエリート。それでも義務教育の普及により、中近東では文盲率50%を割る唯一の国がトルコだった。
 激化するデモに対し、メンデレスは軍部にその鎮圧を命じたが、民主党政府より長年軽視され続け、政府の対米追従主義に不満を重ねてきた軍部は、もはや政府の言いなりにならなかった。軍隊は逆に学生側に加わり、メンデレス打倒のクーデターを決行する。

 偶発的に起こったかのようなクーデターだったが、一部の軍人は以前から蜂起計画を進めていたらしい。尤も計画首謀者の具体的な名は、CIAも掴めなかったとか。
 5月27日朝、37名の陸海空三軍の将校は、ギュルセル将軍をリーダーに担いで一挙に首相、閣僚、参謀総長らを逮捕、数時間の地に全権を握ったが、殆ど無血クーデターにちかいものだった。全権を握った軍部は「国家統一委員会」を組織、民主党は非合法化する。そしてメンデレスら590名の民主党のメンバーはヤス島(現アブダビ)の刑務所に収監された。それにしても、何故国外のヤス島だったのか?

 軍事裁判の結果、旧民主党の要人はメンデレス首相以下15名が死刑判決を受けたが、実際に執行されたのは3名だった。この裁判に対し世論は複雑な反応を示し、軍部内でも意見は別れる。軍部に担がれたはずのギュルセル将軍さえ、クーデターで逮捕された者の死刑を回避することに努めたが、メンデレスと閣僚2名は軍部により拒絶された。
 拘禁中に睡眠薬自殺を図ったため、メンデレスは判決の場には居なかった。軍事裁判が国際的な非難を受けたのは書くまでもないが、その圧力にも係らず、1961年9月17日、閣僚2名と共にメンデレスは絞首刑にされた。

 いかに反動の権化と化したにせよ、仮にも民主的に選ばれた首相を軍事裁判で処刑したのも凄いが、この初クーデターは後のトルコ政局に大きな影響を与えた。71年「書簡クーデター」は逮捕者がなかったが、80年の「9月12日クーデター」はメンデレス政権裁判とは比べものにならないほどの大量の逮捕者を出す。
 70年代のトルコは左右双方の武力闘争が激化、暴力の応酬とテロが頻発し治安が極度に悪化していた。テロを含むクルド人の分離独立運動も活発化、イラン革命の影響でイスラム主義勢力も台頭する。

 社会の混乱を受け、軍首脳はクーデター計画の立案を1979年の夏ごろから始めていたという。クーデター後、軍当局により治安維持の名目で約65万人が身柄を拘束され、うち23万人が起訴、当局のブラックリストに載せられた人物は実に168万3千名に上ったという。被拘束者がかけられた軍事裁判では、およそ3,600件の死刑判決が出され、うち20件が実際に執行された。
 こうした一連の治安維持活動で、政治テロの発生件数がクーデター前の90%以下に激減した一方、治安維持活動に伴う失踪者は数千人に達したと云われる。但し軍事政権はクーデターから3年後、民政移管している。

 そして今回のクーデター未遂事件。この事件は多くのサイトで取り上げているが、「トルコのクーデターはなぜ失敗したのか」は面白かった。執筆者の奥山真司氏は軍事史、軍事戦略研究が専門の米国人学者エドワード・ルトワックの分析を紹介、クーデターの失敗原因を書いている。エルドアン支持者らの「唱えていたスローガンは愛国的なものではなく、イスラム的なものであった」という指摘は興味深い。
 クーデター鎮圧からまだ一週間余り、情報は未だ錯綜しており、主導者が誰なのかは未だ不明である。エルドアンは反乱の黒幕を端からギュレン師と決めつけ、この間だけでもギュレン師との関係を理由に国家公務員だけで既に5万人を解雇している。他に停職処分を受けた公務員も多く、拘束された軍高官や司法関係者らは約9千人とされるが、反乱分子と見なされた人の公職追放や粛清がさらに勢いを増すのは確実だ。

 3ヶ月間の非常事態宣言を下したエルドアンは、かつてのクーデターの時と同じく治安維持の名目で、集会やデモの制限、メディア統制を強化するはず。さすがスルタンと綽名されるだけあり、事実上の独裁体制への布石となろう。欧米諸国は例によってトルコの人権抑圧と民主主義の後退への危惧を表明するが、それ以上のことは出来ない。
 欧米諸国にとって何よりもトルコの政情不安は悪夢であり、結局は現政権を支持する他ない。冷戦中に起きたクーデターと同様に、口では強権体制を批判しても黙認するのだ。トルコも西欧諸国の足元を見ている。今回は軍と体制側が攻守所を変えたにせよ、世俗派の敗退でイスラム主義が強まる可能性が高い。

 クーデター未遂事件を論評した朝日新聞の社説を紹介したブログもあり、、その結びはこうあった。
日本の安倍政権は、トルコへの原発輸出に向けて協定を結ぶなど関係強化に動いてきた。あらゆる対話を通じて、国内の融和を図るよう求める責務があることを忘れてはならない
 米国にやれぬことが日本に出来るはずもなく、朝日の毎度の不見識の見本だが、「イスラムの戒律が強化され「女性の人権」は制限されることになるでしょう」というブログ主の見方は私も同感だ。

◆関連記事:「オルハン・パムクの『雪』
 「トルコ大使館前乱闘事件に思うこと

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2 コメント

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7月25日のイランイスラム国際放送のトルコ関連ニュース (madi)
2016-07-25 18:28:45
イランイスラム国際放送のHPからです。
外からは平穏にみえるように努力している姿がみえます。


テヘラン駐在のトルコ大使が、イランとの二国間関係、クーデターに対するトルコ政府の措置に関する自国の政策について説明しました。

IRIB通信によりますと、トルコのハカン・テキン大使は、24日日曜、記者会見で、イランとトルコの大統領による電話会談について、「両者はこの電話会談で、地域問題における両国の更なる協力を強調した」と語りました。

ハカン・テキン大使は、「地域問題におけるイランとロシアの更なる協力に基づくトルコ大統領の表明は、一部の地域問題において両国は見解を異にしているが、トルコ政府は現状において対立を最小限にしようとしていることを示した」と語りました。

また、「イランの大統領、国会議長、外務大臣は、トルコの関係者との電話会談で、またメディアのインタビューの中で、はっきりとトルコの政府と民主主義を支持した」と述べました。

さらに、トルコのクーデター失敗は、トルコに民主主義が根付いていることを示すものだとし、「トルコ国民は、重要な局面に参加することで、トルコにおける団結や連帯をこれまで以上に強め、トルコ政府もギュレン師の支持者に対して強い意志を持って断固立ち向かっている」と語りました。

ハカン・テキン大使はさらに、「アメリカ当局は、クーデターに関与したという証拠を提示すれば、ギュレン師の引渡しを検討するとしている」とし、「クーデターの前、ギュレン師の引渡しの問題はアメリカに提示されていた。クーデター後、証拠文書が準備され、数日以内にアメリカ側に送られる」としました。

Re:7月25日のイランイスラム国際放送のトルコ関連ニュース (mugi)
2016-07-26 21:55:22
>madi さん、

 イランからの興味深い情報、有難うございます。やはりトルコ政府は周辺諸国、殊に中東の大国イランとも連絡を取っていたのですね。トルコ大使も言うように、一部の地域問題において両国は見解を異にしていても、イラン政府は現トルコ政府を支持するのは当然。トルコがシリアの様な内戦状態になって困るのは、イランも同じだから。

 エルドアン政権はイランからの支持声明をしっかり利用するだろうし、欧米諸国も結局はトルコを支援するのです。シリア難民問題にトルコの協力が欠かせず、ロシアも睨み対応するのは冷戦と同じパターンですね。