トーキング・マイノリティ

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篠山紀信展 写真力

2014-10-24 21:40:12 | 展示会鑑賞

 先日、宮城県美術館の特別展『篠山紀信写真力』を見てきた。“写真力”とは決して誇張ではなく、やはり第一線で活躍する写真家の作品には相応しいコピーだった。以下の青字は特別展のチラシから。

1950年代後半から今日まで、第一線を走り続ける写真家・篠山紀信(1940年生)。ヌードや都市風景、スターたちのポートレートなど、次々と発表される写真は時に物議を醸し、彼の用いた「激写」などは流行語にもなりました。驚異的なスピードとエネルギーで、テーマやジャンル、手法も多彩に変化させながら、鋭い嗅覚で「いま」を撮り続けてきた篠山は、自身が時代のメディアであったとも言えます。

 その国内初の大規模な美術館巡回個展となる本展では、50年にわたり彼が撮影してきた膨大な写真の中から厳選した「人々」のポートレート約120点を、「GOD」(鬼籍に入られた人々)、「STAR」(すべての人々に知られる有名人)、「SPECTACLE」(私たちを異次元に連れ出す夢の世界)、「BODY」(裸の肉体―美とエロスと闘い)、「ACCIDENTS」(2011年3月11日―東日本大震災で被災された人々の肖像)の5つのセクションに分け、美術館の空間を生かした圧倒的なスケールで展示します。それは篠山が一貫して追求してきた写真の力を体感する場になると同時に、私たちの生きてきた時代や生きている今の社会に思いをはせる機会ともなるでしょう。
 数多くの有名人を撮影してきた篠山の展覧会らしく、全国巡回各地で地元ゆかりのスターの写真が出品され話題ともなっている本展。当館では宮城県出身のオリンピック金メダリスト・羽生結弦の高校時代の写真も展示されます。

 トップ画像はジョン・レノンオノ・ヨーコ(1980年)。このツーショットはあまりにも有名だが、今回の特別展で撮ったのが紀信だったことを遅ればせながら知った。この写真が撮られた年にレノンは殺害されている。



 三島由紀夫の写真も2点展示されていたが、どちらも1970年のもので、上の画像はそのひとつ。まるでスター気取りの物書き、というのがこの写真を見た際の第一印象。クリスチャンでもないくせに聖セバスチャンの殉教を真似たポーズは悪趣味で、自己陶酔の極致としか思えなかった。聖セバスチャンで検索したら、『三島由紀夫の愛した美術』という記事がヒットし、この聖人は19世紀の世紀末ぐらいには同性愛の守護聖人になったとある。
 写真で三島が割と毛深かったのを知ったが、撮られた同年に割腹自殺(三島事件)を遂げていたのは考えさせられる。撮られた時点で既に死の決意を固めていたのだろうか?レノンとは違う死に方にせよ、両者とも写真というかたちの「遺言」を遺したのだ。



「GOD」の中には夏目雅子もおり、上は1982年のもの。かなり大きな写真だったが、それでも実に美しい。享年27歳は痛ましいが、若すぎる死で彼女が永遠のスターになったのは確かだろう。



 上の山口百恵(1977年)は昔、何かで見たことがある。私が中学3年生の時、隣の席の男子が大の百恵ファンで、学校にまでブロマイドを持参する有様。その熱狂ぶりを私も含めクラスの女子からからかわれていたが、今見直してみると本当に色っぽい。1977年で彼女はまだ18歳だったのだ。今時の10代のアイドルにこれほど色気がある子がいるだろうか。

 紀信はヌードも多く撮っている。初のヘアヌード(この言葉を彼は嫌っていたそうだ)で話題となった樋口可南子の写真集 water fruit は父も密かに買っており、今回も展示されている。私の職場には宮沢りえのヌード写真集 Santa Fe を持ってきた男性の同僚もいたし、これが回し見されたのは書くまでもない。樋口や百恵とは違って、初々しくてキレイだったのを憶えている。

 だが、「BODY」の中で最もインパクトがあったのは女優のヌードではなく、№81「入れ墨の男たち」と№「入れ墨の男女」だった。前者は文字通り、全身に入れ墨した男たちの集合写真。身体だけでなく頭髪もそり落し、頭部にまで入れ墨をした男も何人か写っている。被写体の男たちの大半は堅気ではないだろうが、入れ墨男の集団というだけで迫力があった。
「入れ墨の男女」は、入れ墨がなければ何処にでもいそうな中年男女に見えるが、女は乳房にも入れ墨をしている。菊のような模様で乳首が花の芯のようになり、見た目も美しい。しかし、場所だけに入れ墨にはかなりの痛みを伴ったはず。おそらく女も堅気ではなく、極妻かもしれないが、誇らしげに入れ墨の身体を誇示していた。

「ACCIDENTS」では9作品が展示されており、東日本大震災被災者の写真は全てモノクロだった。老若男女の被災者の最高齢は77歳の老女で、最年少は7歳の少女。総て無名の一般人のはずなのに、存在感があるのも紀信の“写真力”のなせる技か。

 かつてのスターは1人だけでもオーラがあり絵になったが、AKB48のように今のアイドルは集団でしか存在感を出せない、というレビューを何処かで見た。アイドルに無関心なこともあり、私にはAKB48メンバーは皆同じように見え、あまり区別がつかない。やはり紀信の“写真力”は時代を写しているのだ。

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5 コメント

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山口百恵は「スタア」 (のらくろ)
2014-10-26 11:46:24
だったのだろう。

>私が中学3年生の時、隣の席の男子が大の百恵ファンで、学校にまでブロマイドを持参する有様。その熱狂ぶりを私も含めクラスの女子からからかわれていたが、今見直してみると本当に色っぽい。1977年で彼女はまだ18歳だったのだ。今時の10代のアイドルにこれほど色気がある子がいるだろうか。

あるわけない! AKBなどの48グループは、実態はともかく建前は未だに「恋愛禁止」だから、それを臭わせるような歌もかなり難しい。山口百恵は14歳ですでにこれを歌っていたのだ↓
https://www.youtube.com/watch?v=K8IdfNxS6To

これを封じこめたのは、私やmugiさんの同年代女たちが、その母親世代の「ペケ(P)、タワケ(T)、アホウ(A)のざーますBBA」を劣化コピー&拡大再生産し、「自分の目に入る所」から「この種の『汚らわしいもの』を駆逐するのに血道を上げていたからに他ならない。

話を戻して、山口百恵はアイドルだったのかどうかは疑問が多々あるように思う。「花の中3トリオ」などと桜田淳子、森昌子どひとくくりにされていた時期などはたしかにアイドルの要素もあったと思うが、「赤い」シリーズや「伊豆の踊子」などの映画でも有名なところは、他の2人の追随を許さない要素ではなかろうか。当時は落ち目だったとは言え、「映画会社に行けずにテレビ局に拾ってもらった」という世代がまだ現役の第一線にいたころだから、映画デビューはアイドルのままではできず、スターの要素も持っていなければならなかったはずだ。

そして、映画、すなわち銀幕デビューはテレビの「スター誕生」と一線を画す意味でも「スタア」への足がかりとなった筈。さらにスター性を際立たせているのは、'80年、わずか21歳で「完全引退」したということ。その後は女性週刊誌辺りが何度も「百恵復活!」を仕掛けたようだが頑として譲らず、三浦百恵夫人を貫徹しているのは敬服に値する。

彼女がある意味「神格化(=「スタア」化)」されてしまったのは、やはりこのスタンダードナンバーの影響が多大だろう。未だにコレだ↓
https://www.youtube.com/watch?v=cexB9B1ZvnQ
https://www.youtube.com/watch?v=nBZ6QxqhXos

今ではすっかり三浦祐太朗、貴大兄弟の母親で、どちらかのインタビューにあったエピソードだが、兄弟のどちらかがAKBなりモー娘。なりをipodか何かで聴いていたところ、「ちょっと貸して」と、イヤープラグを自分の耳に突っ込んでしばらく聴いていたそうだ。やがて外したかた思ったら苦痛そうな表情で「近頃のJ-POPはわからん!」とノタマッタそうな。私はこの記事をネットで視たとき、苦笑して思わずツッこんだ
「おまえが言うな!」
誤記失礼! (のらくろ)
2014-10-26 11:54:20
× 三浦百恵夫人
○ 三浦友和夫人
Re:山口百恵は「スタア」 (mugi)
2014-10-26 22:03:08
>のらくろ さん、

『ひと夏の経験』、懐かしいですね。これを歌っていた時、百恵はまだ14歳だったというのも驚きです。彼女は当時としても異色の大人びたアイドルでした。歌詞にある「貴方に女の子の一番大切なものをあげるわ…」は問題になったのを憶えています。尤も子供だった私には、大人たちが問題視しているのは理解できなかったし、『ひと夏の経験』の意味さえ分かりませんでした(笑)。

>これを封じこめたのは、私やmugiさんの同年代女たちが、その母親世代の「ペケ(P)、タワケ(T)、アホウ(A)のざーますBBA」を劣化コピー&拡大再生産し、「自分の目に入る所」から「この種の『汚らわしいもの』を駆逐するのに血道を上げていたからに他ならない。

 これにはいささか反論がありますね。私はこの種の『汚らわしいもの』を駆逐するのに血道を上げた憶えはないし、アイドルグループの「恋愛禁止」は下らないと感じていますから。アイドルに恋愛禁止を強いるのは、男がいれば「商品価値」が下がることを危惧するプロデューサーの意向と男性ファンの願望もあるのではないでしょうか?
 ただ、不倫に喧しいのはやはり女のほうです。不倫を叩くのは主婦とは限らず、若くはない独身の女でも不倫を攻撃しているのをネットで見ました。

 山口百恵の出た「赤い」シリーズ、私も見ていました。今年3月、父親役の宇津井健は鬼籍になりましたね。『いい日旅立ち』が未だにJRで使われているのも、ある意味スゴイ。現代のJ-POPが30年後に残っているとは思えません。

 仰る通りまさに山口百恵は「スタア」でした。わずか21歳で完全引退、その後は一切芸能界に復帰しなかったのは奇跡的でしょう。
写真は難しい (Mars)
2014-11-02 21:17:04
今晩は、mugiさん。

私はコンデジのカメラと携帯電話をよく持っていますが、なかなか思い通りの画像が撮れないです(涙)。

画像を撮る技術は専門家に任せるとしても、写真や画像って、その時の一瞬で、それも一部なのに、なんであんなに印象的なのでしょう。

人は見たいところ、見せたいところ、しか見ないかもしれませんが、言葉以上に写真はものをいいます。そして、見せているのは、真実の一部なのか、虚構の一部なのか。

それにしても、撮影の腕も絶望的な私的には、こちらの才だけでも欲しかったのですが、、、(涙)。
Re:写真は難しい (mugi)
2014-11-03 20:51:57
>今晩は、Marsさん。
コメントありがとうございます。

 紀信のような第一級のカメラマンでも、本当に満足できる写真は少ないと語っていました。そんな彼でも、たまに神が降りてきた…と感じることがあり、このような時は秀作が撮れるそうです。まして素人の凡人ならば、思い通りの写真を撮るのは極めて難しい。

 真実を写すように見えて、写真とは虚構の世界も写せるものにもなりますよね。捏造写真は19世紀から見られたし、技術の進歩した現代では捏造技術も進化し、玄人にも見分けがつかなくなりました。
 写真は被写体を実物以上によく写しますよね。人物はもちろん風景も同じだし、実際に訪れた観光地は写真ほどきれいでなかった…ということも少なくない。こうなると、観光写真は虚構の一部のようです。