僕自身が進学校でしのぎを削り、難関と言われる大学になんとか入学し、大学院に残って研究を続けるという道を歩み切った今なら、きっと東大に行けるからと大人に言われた姉さんの気持ちが少しは分かる気がする。
ふすまの奥で姉さんの声だけ聞いたあの頃には分からなかったけど、18歳のできすぎた女子高生には、その期待が際限のない重さに感じただろう。

もしも姉さんが真面目な努力家で、何をやってもうまくいく原因がその努力のおかげだと周囲のだれもが知っていたら、きっと姉さんはあんな風には悩まなかったのではないだろうか。
でも、姉さんはさほど努力をしたわけではなかった。
きっと、眼や耳や脳の配線がとってもうまくいっていて、授業中によくよく聞いて理解してしまい、あとは効率よく知識を広げていけたのだろう。
だから、周囲には…きっと、姉さんに自身にも…努力しているようには見えなかった。

努力というのは、失敗の免罪符になり得る。
しかし、努力をしないで物事を成してきた人にとっては、改めて努力をすることが、自分の価値を下げるような感覚になるのではないかと思い至った時、僕は姉さんの懊悩の本質に触れたような気がした。
姉さんにとっては、「母さんの手や気を煩わせないいい子でいること」が、何よりも大切だったのだろう。
そういう家族構成だったから、姉さんは早くから甘えたがりの子供としての自分を抑圧して、早熟な大人のように生きねばならなかったのだ。
もしもそれが、姉さんがもっと幼いうちに起きたなら、逆に「当たり前のこと」として、姉さんを子供らしく過ごさせたのかもしれない。
僕がそうだったように。
いや、やっぱり違う。
姉さんは、母さんの頼れる相棒として、僕の乳母として、こぶしを握り締め、歯を食いしばり、でも涼しい顔して見せていたに違いない。

5年も遅れて生まれた僕は、二人の心優しい女性に大事にされて、よく熱を出してはますます優しく看病されて、心配も迷惑もいっぱいかけて育った。
心配や迷惑をかけているなど、思いもせずに。
そんな僕を見て、姉さんはどんな思いでいたのだろう。

姉さんは結局、1か月とちょっと、高校を休んだ。
また通い出したのは、母さんが大学進学をあっけなく諦めたからだ。
「そんなに興味がないなら、無理に行くことないわよ。」
母さんは、どんなに学校を休んでもバイトは休まず、家にはきちんと帰ってくる姉さんにそう言ったのだそうだ。
「あたしも先生に東大に必ず受かる〜なんて言われて舞い上がっていたけど、よく考えたら大学なんてその気になればいつ行ってもいいものだもんね。
あんたが行きたいと思ったときに行けばいい。
あたしは、あんたのこと、あんたの人生が幸せになること、疑いなしだと思っているからね。

それより、高校はちゃんと卒業しなさい。
世間体のためじゃないわよ。
一度始めたことは、きちんと終わらせなさいね。
中途半端なんて、気持ち悪いじゃないの!」
そういう母さんに、姉さんは抱き付いて、「母さん、大好き!」とはしゃいだそうだ。
これは、姉さんの卒業式の夜、母さんの特製ハンバーグを食べながら卒業祝いをしていた時に、母さんが話してくれた。
隣で聞いていた姉さんがどれだけテレていたか、今思い出しても笑い出したくなってしまう。

高校を卒業すると姉さんは、地元の農家へ働きに行った。
おもしろいじいさまがやっている農園だった。
いろいろなものを育てていた。
野菜や果物だけでなく、鶏や豚や牛も育てていた。
無農薬だか有機農法だかで儲かるそうで、けっこういい給料なんだよと姉さんは笑う。

朝が早くて寝坊の僕は朝の姉さんには会えなくなった。
けど、夕方には帰ってきていて、母さんの代わりに晩ご飯を作ってくれるのが姉さんの日課になった。
食材の多くが、姉さんが「職場」からもらってきた野菜や卵などの現物支給品だ。
これがまた、スーパーのとは比べ物にならないくらい美味かった。
器用な姉さんは、料理もうまかった。
ごめんな、母さん、母さんの料理よりうまかった!
その美味い料理を、僕らは必ず3人で食べた。

僕の人生で幸せベスト5を選べと言われたら、姉さんが農園にいて、僕が高校にいた、あの頃は絶対に当選するはずだ。
小さなアパートで、贅沢とは無縁の毎日だったけど、幸せだった。

幸せというのは、疑いがないということだ。
今ないものを欲しいと思ったり、今あるものが失われるのではないかと心配したりする必要がないというのが幸せということだと、今の僕は思っている。
母さんや姉さんがどうだったか知らないけれど、僕はあの頃、確実に幸せだった。
だから、家を離れて東京の大学に行くことに、何の不安もなかった。
やりたいことをやりたい場所でやることに、姉さんほどの頭を持たない僕は疑問を持たず、心から望んで向き合うことにした。
母さんと姉さんの応援を受けて、僕は受験勉強に没頭した。
なんとか第一志望の大学に受かった時は、家族それぞれが自分のことのように喜んだ。

それなのに。







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