我が家のBOSS。
コテっちゃん、髪をセットするために付けたヘアスプレーの匂いが気になりますか?
さてさて、本日【ねこねこ横丁】にて、虎徹くんの飼い主、煉くんとワタシの対談記事(後編)がUPされましたよ。
よろしかったら、覗いてみてくださいね。
【新連載『れんコテ』特別企画 柴田亜美先生×THE BLACK SWAN 煉さん対談インタビュー】
前編⇒コチラ
後編⇒コチラ
【れんコテ公式twitter】⇒https://twitter.com/lenkoteofficial
現在ペソペソ【れんコテ】2話目を執筆中のワタシを監視している、伽羅(きゃら)さん。
前回の記事でお伝えしましたが、伽羅はブリーダー崩壊現場からレスキューされ我が家の子になったチワワの蛍ばばしゃまから、老犬をいたわることを教わりました
上のお写真のように、大好きなチワレスリングの時も、ちっこいちっこい蛍ばばしゃま相手の時は、いつも『参ったでちー』と降参ポーズ。
そんでもって、ちっこいちっこい楽じじしゃまにも、降参ポーズ。
伽羅は、もんのすごく気が強いチワジョさんですが、自分よりもちっこい方々には目線を下げてお話します。
体格は同じでも、脳に障害があって里親さんが決まらずに我が家で看取ったマルチーズのはなちゃんのことは、側で静かに見守っていました。
元気な子たちとは思いっきり遊び、高齢だったり疾患があったりする自分より弱い者は守る。
そう伽羅は、我が家で今まで預かってきた保護犬たちから学びました。
んでも、茶壺には容赦なかったけどね。
茶壺と伽羅は保護犬でなくもともとワタシが飼っていた子たちで、小さい頃から常に側にいた8歳年上のポじちゃまに伽羅は甘えたい放題でしたよ。
常に茶壺や保護犬たちとにぎやかに暮らしていた伽羅。
でも、蛍が空へ旅立った後、はなちゃん、楽、茶壺と次々に家族との別れがありました。
蛍と はなちゃんが旅立った時は、伽羅は静かにそれを受け止めていました。
しかし、はなちゃんが旅立って5ヶ月後に楽まで旅立ってしまった時、楽のカラダをお寺の火葬場に連れて行く際に、伽羅は連れて行くなと怒ったように吠えました。
それからわずか2ヶ月後に茶壺が息を引き取った時、伽羅はジッと耐えていました。
今思えば、脳に障害があったはなちゃん、腎臓癌の楽、そして16歳で認知症となった茶壺の介護と看取りでボロボロになって、睡眠も食事もとれなくなったワタシのことを気遣っていたのではないかと思います。
そう感じたのは、茶壺が亡くなった後にずっとみなで通っていたペットサロンにシャンプーに行った時、伽羅はそこで初めて自分だけになったと感じ軽いパニックを起こしました。
伽羅にすごくガマンさせ、辛い想いをさせてしまったと後悔しました。
茶壺が旅立った後も、真那伽(まなか)ちゃん、ミライくんと、保護犬を預かりました。
真那伽(まなか)ちゃんは更紗(さらさ)ちゃんという名前、ミライくんは鼓太呂(こたろ)くんという名前を付けてもらい、今は里親さん御家族と幸せに暮らしています
そして現在、【れんコテ】の主役 虎徹くんが、飼い主さんの煉くんがツアーに出た時に我が家にお留守番で滞在する機会ができております
ワタシも伽羅も猫と暮らした経験がなく、しかもテレビでもヤンチャ猫で有名な虎徹くんが来てどうなるんだろうと口から心臓が飛び出そうでしたが、結果は拙ブログの読者の皆さま御存知のとおり、上のお写真のようにマイペ~スにうまくお付き合いすることができましたよ。
ワンコであろうと、ニャンコであろうと、我が家に来た子たちとうまくお付き合いしてくれる伽羅。
伽羅の協力があるからこそ、ワタシは保護犬の預かりボランティアができています。
そして、伽羅にそのことを教えたのは、幼い頃からずっと側にいた茶壺だと思います。
茶壺が空に旅立った時に伽羅が必死で耐えてくれたのは、自分が居なくなった後はオマエがこの家を守るのだと、父親代わりであり毛玉さん達のBOSSである茶壺が教えていたと思います。
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原稿上がったら、またどっちゃりお散歩行こう、伽羅