現代社会・技術の評論・雑感

時論的に諸問題に持論を展開します

9条改正は必要か-集団的自衛権をめぐって-(自民党憲法改正案批判11)

2013-11-28 | 憲 法

          目  次

    1.改正案は自衛権を明記した
    2.自衛権などに関する日本の現状
    3.集団的自衛権に関する自民党改正案
    4.憲法で集団的自衛権を認めるとどうなるか
     (1)例えによる集団的自衛権
     (2)アメリカはお友達か
      ○アメリカの戦争と爆撃の実態
      ○アメリカの国際法遵守状況
      ○アメリカの軍事同盟とアメリカ軍の駐留状況
     (3)集団的自衛権は中小国のためのもの
     (4)集団的自衛権を行使するとどうなるか
    5.現行憲法9条は今のままで良いのか
    (参考)
     注
    (付録 現行憲法及び自民党改正案の法文)



1.改正案は自衛権を明記した
 自民党憲法改正草案(2012.4.27)は安全保障に関し、現行憲法の9条2項の廃止と多くの新設規定を提案している。その内容は、自衛権、国防軍、国際平和活動、軍事審判所、領土保全など多岐にわたる。ここでは、そのなかから自衛権のみを取りあげる。
 改正案は9条2項で自衛権を明記したが、これは集団的自衛権を行使可能とするためである。この権利は、自国は攻撃されていないが同盟国が攻撃された時に武力行使を認めるものである。歴代政府は現行憲法の解釈としてこれを認めていない。

 ここで、自衛権についてごく簡単に説明しておく。
 自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権がある。前者は他国が自国を攻撃してきた場合に自国が反撃する権利である。
 集団的自衛権は、自国は攻撃されていなくても、同盟国が攻撃された場合に、その敵対国に武力攻撃を認めるものである。これは国連憲章51条「この憲章のいかなる規定も、……個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」が根拠とされている。国連憲章は1945年に制定された。

2.自衛権などに関する日本の現状
 自民党改正案の検討に入る前に、まず、現行憲法の解釈及びそれに基づく自衛隊の状況をみておこう。
 現行憲法の法文はつぎのとおりである。
第九条
1項
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 1項は日本特有の規定ではない。模範となったのは1928年にパリで調印された不戦条約(15ヵ国署名)である。この1項と似た規定を憲法にもつ国は多数あるという。
 いっぽう、2項は日本だけの規定である。
 9条1、2項についての政府の解釈をごく短く要約すると次のようになる。
「わが国も憲法以前の権利として自衛権はある。しかし、2項に戦力は保持しないとあるから、自衛のための必要最小限度の実力が認められるだけである。」

 これについての詳細な解説として、阪田雅裕(弁護士)の発言を紹介しておこう。阪田は2004年8月から2006年9月まで法制局長官だった。
「日本国憲法が独特で、他に類を見ない平和主義であると言われてきたのは、その一項以上に二項の規定だと思います。戦力を保持しない、それから交戦権を否認するということで、九条一項とあわせて見れば、これはおよそ正義の戦争のようなものを含めて一切の戦争を禁止しているというふうに読めるし、そう読むのが素直なのだということです。したがって、単に違法な戦争だけでなくて、正しい戦争も日本国憲法は禁止しており、それゆえに平和主義に立脚した憲法だと考えられてきた。政府もそう考えてきたということです。
(中略)
 どうして自衛隊が合憲だと政府は考えるのか。これは、もちろん九条で戦争は放棄しているのですが、国家には国民が居住しており、その国民一人ひとりには、平和的に生存する権利がある。……その国民の生命、あるいは財産が外部からの武力攻撃によって危険にさらされる、あるいは現に侵害される状況に立ち至った時に、指をくわえて見ていることは、やはり主権国家として、ごくふつうに考えても許されないだろうと思いますし……9条がそういう意味での自衛権まで放棄をしたとはとても思えないというのが政府の考え方です。
(中略)
 政府の憲法解釈というのは……国民の生命、財産を守るための必要最小限の実力組織として存在するもの、それが自衛隊である。……ただ、そういう性質の自衛力ですから、専守防衛ということで、もっぱら攻撃をするときにしか使えないような兵器は保持することができないと言ってきました。たとえば航空母艦とか長距離ミサイルの類の兵器で、こうしたものは、いまも保持していないわけです。
 もう一つ言えることは、自衛隊はまさに国民の生命、財産を守るために存在することから、海外で武力行使をするということは基本的には考えられない。……海外、特に外国の領土、領海、領空で武力を行使することは許されない、というのが政府の解釈なのです。ですから、集団的自衛権であれ、集団安全保障であれ、それは直接的には国民の生命、財産が危険にさらされている状況ではない。にもかかわらず、自衛隊が海外に行って、たとえ国際法上違法でないにしても、武力を行使することを憲法九条が容認していると解釈する論拠は、日本国憲法をどう読んでみても、個別的自衛のための軍事行動とは違って、見出すことはできない、ということだと思います。」(注1)

 歴代の政府は、このような解釈のもと、自衛隊の組織と行動を決めてきた。
 もっとも自衛隊員は陸海空で22万人おり、必要最小限度の実力以上だとの批判もある。しかし、先制攻撃用の兵器はもっていない。また、自衛隊によるインド洋でのアメリカ軍などへの給油活動(イラク戦争に流用された)は集団的自衛権の行使にあたると指摘されているが、ベトナム戦争での韓国軍やイラク戦争でのイギリス軍のように、アメリカ軍と共同参戦することはしてこなかった。

3.集団的自衛権に関する自民党改正案
 自民党は集団的自衛権に関する政府の憲法解釈そして自衛隊のあり方に大いに不満である。理由は、集団的自衛権を行使してアメリカとの軍事協力関係を密接にしなければ、日本の安全は確保できないため、ということのようだが、日米軍産複合体が日米安保の利権を確保するためといったことも指摘されている。
(9条改正論者は「集団的自衛権を行使して、アメリカ軍に貢献しなければ、日本を守ってもらえなくなる」と言う。いっぽう、外交経験者などは「アメリカ軍はアメリカの世界戦略のもとで動くのであり、それに反すれば日本を守ることはない」と言う。また、軍事評論家の中には「既に、日本は基地提供などで十二分にアメリカ軍に貢献している」と指摘する者もいる。)

 自民党は改正理由を明確にしていないが、集団的自衛権を行使できるような文言を改正案に折り込んできた。まず、法文をみておこう。
(自民党改正案)
第九条1項
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2項 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 1項は、文言に多少の違いはあるが、ほぼ現行憲法と同じである。大きな違いは2項である。現行憲法は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」であるが、自民案は「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」とした。
 これについて自民党の『日本国憲法改正草案Q&A』には、「自衛権の行使には,なんら制約もないように規定しました。」とある。個別的自衛権も集団的自衛権もということである。元法制局長官の阪田雅裕は、2項が日本独自の規定と解説していたが、それを削除したのである。そして、「自衛権の発動を妨げるものではない。」との文言で、個別的自衛権も集団的自衛権も憲法上は一切の制約がないことを意味するとしている。

4.憲法で集団的自衛権を認めるとどうなるか
 集団的自衛権を認めると、日本は同盟国が攻撃を受けた際、日本の軍隊が海外にまで行って、同盟国を攻撃した相手国と戦争をできることになる。とはいっても、現在の日本の同盟国はアメリカ一国である。そして、この先、当面、他の国との同盟は考えにくい。そこで、改正案がとおると、日本はアメリカが攻撃を受けたとき、その相手国にアメリカと共同で武力攻撃をすることになる。
 では、このことは正しいのだろうか。以下に判断材料を提供しておこう。

(1)例えによる集団的自衛権
 集団的自衛権という用語が広まったのは、今から20年ほど前のことである。そのため中高年者にはなじみがうすい用語である。そのためもあってか、自民党議員の石破茂は次の例で説明している。
「あなたには山田さんという仲良しの友達がいたとします。もしあなたが強盗に襲われたことが山田さんの耳に入ったら、山田さんは助けに来てくれるでしょう。もちろん、山田さんがやられたら、あなたは助けに行くはずです。友達ですから、当然です。
 しかし、あなたにはそれが出来ないのです。山田さんが危害を加えられているのを見ながらこう言うしかありません。「山田くん、きみは大変な目にあっているけど僕は助けに行けないんだ。ごめんね。家の掟でそういうふうに決まっているから。でも、僕がやられたら助けに来て。」
 おそらく山田さんは、あなたを本当の友達とは思ってくれないでしょう。
 国と国でも同じことです。お互いに守り合うことで信頼関係が築けるのではないでしょうか。いざというときに助けに来てくれない国と、いったい誰が仲良くしたいと思うでしょうか。」(注2)
 この例に日本をあてはめると、「あなた」は日本、山田さんはアメリカである。そして、山田さんがやられとき、あなたが山田さんを助けにゆく、即ち、強盗に向かって攻撃することが集団的自衛権の行使である。
 石破が示した例を読むと、集団的自衛権は、法律以前の権利、即ち、人間の根源的な権利のような感じもする。
 そこで、次ぎにアメリカが「あなた」の友達の山田さんと同列に置けるかどうかについて検討しよう。

(2)アメリカはお友達か
 日本が集団的自衛権を行使することに関し批判が多いのは、反対論者がアメリカの軍事的性格を多かれ少なかれつかんでいるためだと私は思っている。そこで、ここではアメリカの軍事的行動を3つの角度から示しておこう。

○アメリカの戦争と爆撃の実態
 アメリカの軍事的性格は、アメリカの係わった戦争と爆撃である程度分かる。
 以下は、インドの女流作家アルンダーティ・ロイが調べた第二次大戦後に米国が戦争、爆撃した国の名前と時期である。
「中国(1945-46、1950-53)、朝鮮(1950-53)
 ガテマラ(1954、1967-69)、インドネシア(1958)
 キューバ(1959-60)、ベルギー領コンゴ(1964)
 ペルー(1965)、ラオス(1964-73)
 ベトナム(1961-73)、カンボジア(1969-70)
 グレナダ(1983)、リビア(1986)
 エルサルバドル(1980年代)、ニカラグア(1980年代)
 パナマ(1989)、イラク(1991-99)
 ボスニア(1995)、スーダン(1998)
 ユーゴスラビア(1999)、そして現在、アフガニスタン」(注3)
 これは1999年までのものだが、アメリカは2000年代に入ってからも、アフガニスタン攻撃やイラク戦争を行っている。

○アメリカの国際法遵守状況
 アメリカが戦争と爆撃を数多く行っていても、それが国際法を守った上でのものであれば、正当性があり非難できないことにもなる。
 では、実態はどうか。ここでは、日本の軍事ジャーナリストの清谷信一とアメリカの言語学者のノーム・チョムスキーの解説を紹介しよう。

清谷信一
「アメリカは、自作自演の事件をでっち上げて戦争をふっかけるのが大得意だ。
(中略)
 直接関係のないヴェトナム内戦に、これまたCIAが猿芝居「トンキン湾事件」を起こし、介入の口実にしたのが、ヴェトナム戦争。
 駐米クウェート大使の娘に「私はクウェートから逃げてきました。イラク兵たちが病院で赤ん坊を殺しているの。助けて」と言わせ、それをテレビ放映し、米国世論をイラク派兵へ向かわせ、大手を振って始めたのが、湾岸戦争。
 単なる警察と解放軍の銃撃戦を「セルビア治安当局がアルバニア系住民を虐殺、“民族浄化”している」として介入したのが、コソボ空襲。
 そして、「大量破壊兵器がある」と決めつけて始めたのが、イラク戦争である。
(中略)
 つまるところ、自分の意見は絶対善で、それに対抗する者は絶対悪という「信仰」をもち、軍事介入の理由となる自作自演の事件をでっち上げ、いんちきのプロパガンダを使って世論を操作し、目的のためならば犯罪者とも平気で手を握るのが「アメリカのスタンス」なのだ。その点ではアルカイダやアラブ・ゲリラと大差ない。」(注4)

ノーム・チョムスキー
「一九八〇年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで起きた悲劇よりはるかにひどいものだった。彼らは、ワシントンで爆弾を破裂させることで応えなかった。国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた。しかし、米国は、判決を侮りとともに斥け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。そこで、ニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。」
「米国は、国際司法裁判所によって国際テロで有罪と宣告され-裁判所の言い方では、政治的目的のため「力の非合法な行使」に対し-これらの犯罪を中止し、相当額の賠償金を支払うよう命令された唯一の国である。」
「世界の大半において米国が、十分な根拠をもって、「テロ国家の親玉」と見なされている事実を認めるべきである。」(注5)

「アメリカは国際法にまったく拘束されない、卓越した無法国家であり、自ら公然とそう言い放っています。われわれの思い通りにことを運ぼうというわけです。事実、アメリカは、国連憲章に対する重大な侵害であるにもかかわらず、イラクを侵攻しました。」
「アメリカは、何が起ころうとも、自分がそう決めたら暴力を用いる権利を持っているのです。誤って別の人々を攻撃しても、「ソーリー、攻撃する相手を間違えてしまった」と言うだけでしょう。アメリカの力に訴える権利に制約があってはならないのです。」(注6)
 これを読むとアメリカの怖さが良く分かる。

○アメリカの軍事同盟とアメリカ軍の駐留状況
 アメリカは世界の警察などといわれているが、そのことは、アメリカの軍事同盟やアメリカ軍の駐留状況からも推察できる。

・アメリカの東アジア諸国との同盟状況
 政治経済学者の副島隆彦は「日本人は「日米安保条約」しか知らないし、外交問題と言えば、日米安保のことばかり論じる。即ち、安保と護憲こればっかりである。実は東アジアの他の諸国も、ほとんどが、それぞれアメリカとの安保条約を結んでいるのである。」(注7)と言ったのち、東アジア諸国とアメリカとの軍事同盟の概要を次のように紹介している。
・安全保障条約を結んでいる国
  日本、韓国、台湾、フィリピン
・三カ国同盟(アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド)
・アメリカ軍と共同軍事演習を行っている国
  インドネシア、インド、シンガポール、タイ、マレーシア

 さらに副島は次のように言う。
「東アジアだけでこうだから、世界中で見てゆくと、アメリカとの同盟国はたくさんあり、安保条約や基地使用協定はたくさんある。いちいち説明ができない。我々、日本人の、せま苦しく日米安保と日本国憲法のことばかりを中心に議論するクセは、もうそろそろやめた方がいい。」(注7)

・アメリカの世界各国での駐留状況
 アメリカ軍が千人以上駐留している国は次のとおりである(2007年)。
   ドイツ     68,400人
   日本      38,450人
   韓国      37,140人
   イタリア    10,790人
   イギリス    10,620人(海外領土含む)
   クウェート    8,388人
   アフガニスタン  7,500人
   サウジアラビア  4,408人
   バーレーン    4,200人
   トルコ      3,860人
   カタール     3,300人
   スペイン     2,160人
   ジプチ共和国   2,120人
   キューバ     2,039人(グァンタナモ米軍基地)
   ベルギー     1,290人
   (注8)

 以上みたところから、アメリカは、石破の言う「あなた」の友達の山田さんとは、まったく同列に置けないものであることが分かっていただけたと思う。

(3)集団的自衛権は中小国のためのもの
 自然権という言葉がある。これは、法律をまつまでもなく、すべての人間に認められる根源的な権利のことである。人間、だれでも、自分の命を狙うものに対しては本能的に抵抗する。こういったものが自然権である。
 集団的自衛権は、国レベルの話であるが、仲間を助ける性格があるから自然権的なところもある。私は、集団的自衛権の勉強を進めるなかで、「これは軍事的に弱い中小国が、助け合って、強国の侵略に対抗するための権利だ」という感じがしていた。そして、なお調べてみると研究者の解説もそのとおりであった。
 このことは、自民党の石破茂や山崎拓も同じ見方である。大事なところなので、二人の発言を紹介しておこう。

 石破 茂
「そのため、1945年国連憲章を起草する時に、こうした事態(いざこざが起きると国連に知らんぷりされるかも知れないということ)を懸念した中南米の小国が集まりました。彼らは独自にお互いを助け合うという協定(チャプルテペック協定)を結び、その概念を国連憲章に入れてくれという申し出をしました。それに応えるかたちで生まれたのが、国連憲章第51条です」(注9)
 山崎 拓
「(国連憲章の)「集団的自衛」の文言は、サンフランシスコ会議において地域的共同体制を目指す中南米諸国の要求を背景に挿入されたもののようだ。」(注10)

 自民党改正案は9条2項を改正して、集団的自衛権を行使し、 アメリカと共同行動をとる範囲を広げようとしているのであるが、問題はアメリカが安心して同盟を組める相手としての条件を満たしているかどうかである。
 答えは明らかである。満たしていない。アメリカは戦争多発国であり、国際法を守らない国であり、世界各国に駐留して世界を支配しようという強国であるからだ。
 そのアメリカのみを対象として集団的自衛権を使えるようにしますと言っても、大きな反論が起きるのは当然である。

(4)集団的自衛権を行使すると
 日本が、集団的自衛権を憲法上の制約なしに行使するとどうなるか。3つあげておこう。
 ひとつは、アメリカの不法・不当な戦争に加担することなってゆくこと。
 つぎは、自衛隊が攻撃的なものに編成替えされること。そして、日本は東アジア諸国から警戒される。
 3つ目は、自衛隊から多くの退職者が出ること。隊員は海外派兵を前提として入隊したわけではない。
 こうしたことから、現在の日本に憲法上の制約なしに集団的自衛権を認めることには大きな問題がある。

 もっとも自民党も集団的自衛権を無制限に認めようとは考えておらず、「草案では、自衛権の行使には、何らの制約もなくなりますが、政府が何でもできるわけではなく、法律の根拠が必要です。国家安全保障基本法のような法律を制定して、いかなる場合にどのような要件を満たすときに自衛権が行使できるか、明確に規定することが必要です。」(『日本国憲法改正草案Q&A』)と言っている。しかし、憲法での制約と法律でのそれとでは大違いである。
 私は憲法で無条件に集団的自衛権を認める自民党改正案に反対である。

5.現行憲法9条は今のままで良いのか
 私は自民党の改正案に反対したが、そうすると、憲法9条をそのままで良いのかという問題がのこる。
 現行憲法には、22万人の隊員を擁し、数十年の歴史がある自衛隊の規定がないなど、実態と遊離している。私は、憲法と実態とを合わせようとすることは必要だと思う。しかし、「9条を変えようとすると、それに乗じて軍事拡大をしようとする勢力の歯止めがきかなくなるから、改正しない方がよい」といったことを、私の信頼できそうな人たちが何人も言っている。ここでは、そのなかの一人、喜納昌吉(民謡歌手、元沖縄県選出の民主党参議院議員)の発言を紹介して終わりとする。
「私からみれば自衛隊は端的には違法です。だけどもし自衛隊が無視できない存在であるとすれば、憲法が不完全なんです。不完全な憲法を改革するのはあたりまえのこと。しかしさらに悪く改悪しようとしたのが、自公政権のやり方ですね。」(注11)

(参考)
 本文に書ききれなかったことを3つ書いておく。
1.いわゆる護憲派に対して、「平和を求めるなら、平和をこわす戦争を勉強すべきだ」との批判がある。ここでは2人の発言を紹介しておく。
小室直樹(政治学者)「平和憲法を誇りに思い、世界平和を翼(こいねが)うのなら、まず徹底的に戦争の研究をするのが平和国家の使命というものでありましょう。戦争がなぜ起こるのか、その理由を知らずして平和を得ることはできません。」(注12)
伊勢崎賢治(元アフガニスタン武装解除日本政府代表)「「軍事」とか「自衛隊」に関することは何でもだめだと頭から否定するんじゃなくて、まず軍事というものを直視して、その意味をきちんと理解したうえで、何が必要なのかを判断する。そうした姿勢があってこそ初めて、非武装による平和構築が可能になるんです。」(注13)

2.大田昌秀(元沖縄県知事、元参議院議員)は「改憲すると戦後の日本民主主義は死滅する」と言い(注14)、喜納昌吉(沖縄県選出元参議院議員)は「日本が憲法9条、憲法前文が問題でやかましいならば、わが沖縄がそれをもらって独立しますよ。極端にいえばね。」と言っている(注15)。現行憲法の評価は本土人より沖縄人の方が高いようだ。

3.本文の4でアメリカの軍事的性格をみたが、沖縄の基地問題は、強引なアメリカの世界戦略と深く関連していることを再認識した。

(注)
(注1)浦田一郎、 前田哲男、半田滋『ハンドブック集団的自衛権』岩波書店、2013
(注2)石破茂『国難』新潮社、2012
(注3)ノーム・チョムスキー『9.11アメリカに報復する資格はない!』(文芸春秋、2001)の訳者・山崎淳の後書きから
(注4)清谷信一『自衛隊、そして日本の非常識』河出書房新社、2004
(注5)ノーム・チョムスキー『9.11アメリカに報復する資格はない!』文芸春秋、2001
(注6)ノーム・チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』NTT出版、2008
(注7)副島隆彦『属国・日本論』改訂版、五月書房、2005
(注8)データはウィキペディアの「アメリカ軍」から、表現形式は小川和久・阪本衛『日本の戦争力』(アスコム、2005)による。
(注9)石破茂『国難』新潮社、2012
(注10)山崎拓『憲法改正 山崎拓』生産性出版、2001
(注11)喜納昌吉『沖縄の自己決定権』未來社、2010
(注12)小室直樹『日本人のための憲法原論』集英社、2006(注13)『マガジン9条』編『使える9条』岩波書店、2008
(注14)大田昌秀・佐藤優『徹底討論 沖縄の未来』芙蓉書房出版、2010
(注15)喜納昌吉『沖縄の自己決定権』未來社、2010

(付録 現行憲法及び自民党改正案の法文)
 現行憲法第2章「戦争の放棄」と自民党改正案(日本国憲法改正草案)第・章の前文を掲載しておく。

1.現行憲法「第二章 戦争の放棄」
第九条
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

2.自民党「日本国憲法改正草案」2012.4.27「第二章 安全保障」)
第九条
1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2項
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
第九条の二
1項
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2項
国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3項
国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4項
前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5項
国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。
この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
第九条の三
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

(追記)「憲法に関し、矢内原忠雄に学ぶ」も参考になるかと思います。

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