科学と科学主義の差異、あるいはマルクスとマルクス主義の差異について。
小保方晴子事件についての東大教授たちの発言を観察しながら、私は、柄谷行人が力説する「マルクスとマルクス主義の差異」について考えていた。小保方晴子事件で、私は、「科学と科学主義の差異」について何回も書いてきたが、それは、私が、柄谷的な「マルクスとマルクス主義の差異」について、かなり以前から考えていたからだ。
マルクスは、その思考過程で、「実存の深淵」や「存在の虚無」に直面し、その前で、立ち往生し、打ち震えたことがある。しかし、マルクス主義者は、そんな実存的体験をしていない。マルクス主義者たちは、マルクスの歩いたあとを追いかけているだけだ。マルクスの苦闘と苦悩を知らない。つまり、マルクス主義者たちは、マルクスではない。
小保方晴子博士を批判=罵倒する東大教授やエセ科学ジャーナリストの言説は、典型的な「科学主義者」の言説であった。つまり、マルクスの言説ではなく、マルクス主義者の言説だった。言い換えれば、科学主義者たちは、科学者の苦闘も苦悩も知らない。マルクス主義者たちが、マルクスの苦闘も苦悩も知らないうように。
マルクスはマルクス主義者ではなかった。マルクス主義者たちの思考は、マルクスの思考とは無縁である。つまり、マルクスの思考(思想)を体系化し、いわゆるマルクス主義という思想体系を作り上げたのはエンゲルスである。したがって、マルクス主義者たちは、エンゲルスによって体系化されたマルクス主義という思想体系を学習し、暗記し、反復しているにすぎない。しかし、われわれは、マルクスとマルクス主義を混同し、あるいは同一視しがちである。ここには、決定的な差異がある。
柄谷のマルクス論の本質は、マルクスとマルクス主義の差異にある。いや、ここにこそ柄谷思想の思想的核心がある。柄谷は『トランスクリティーク』で、こう書いている。
《マルクスは膨大な著作を残したが、それらは基本的に断片的であって、マルクスの哲学とか経済学とかコミュニズムというものをそれ自体で取り出すことはできない。最初にそれらを体系化しようとしたのは、マルクス死後のエンゲルスである。》
これは、重要な指摘である。マルクスとエンゲルスは、思想的同士であり、協力者だった。しかし、その思想的立場が、決定的に異なるというわけだ。
マルクスの著作は「断片的」であって、「体系的」ではない、と柄谷がいうのは、マルクスは、マルクス主義という思想体系とは、厳密に言えば無関係だということだ。マルクスは、容易に体系化されないような問題に直面し、その体系化されにくい問題の前で立ち止まり、苦闘と苦悩を繰り返していたということだ。
むろん、柄谷は、マルクスの苦闘と苦悩を評価する。
柄谷は、エンゲルスを評価しないわけではない。しかし、マルクスへの評価とは、決定的に異なる。
《彼(エンゲルス)はへーゲルの哲学大系に合わせて、マルクス主義の体系を構成した。弁証法的唯物論(論理学)、自然弁証法(自然哲学)、史的唯物論(歴史哲学)、経済学と国家論(法哲学)など。以後、マルクス主義者はそれを文学・芸術論(美学)をふくめて完成させようとしてきた。だが、それらは根本的に疑わしいのだ。》
エンゲルスは、マルクス主義を体系化した。しかし、マルクスは、体系化そのものを拒絶した。
マルクスが「体系化」をしなかったことを、柄谷は、マルクスの能力不足と考えたり、体系化する時間的余裕がなかったとは考えない。マルクスは、「体系化」そのものを拒絶したと考える。そこにマルクスの思想的本質がある、と。
《マルクスが一度も思想を体系化しようとしなかったのは、時間がなかったからではない。それを拒絶していたからである。》
マルクスが、マルクス主義の思想体系に関心がなかったのは、マルクス自身が、それを拒絶したからだ。思想の体系化よりも、「思想そのもの」に立ち向かおうとしたからである。言い換えれば、容易に「体系化されえないような問題」に、マルクスは、関心があったということだ。
(続く)
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