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斎藤實絶筆 保管へ 紫波町が寄託 記念館、限定公開検討(岩手日日新聞社・2017/4/29)


内閣総理大臣などを務めた奥州市出身の斎藤實が揮毫(きごう)した書が28日、所有する紫波町から同市の斎藤實記念館に管理を寄託された。
この書は斎藤が二・二六事件で倒れる前日の1936年2月25日の消印で、東京の郵便局から当時の彦部村(現同町)に届き、斎藤の絶筆の一つとされる。
同町所有のまま保存することになり、同館は期間限定での公開を検討している。

同町教委の説明では、書は縦34センチ、横135センチ。
「處萬變主一敬」と記され、「萬變(ばんぺん)に處(しょ)する一敬を主(しゅ)とす」と読む。

中国の朱子学者・李迪(りてき)の1句とみられ、意味は「いかなる多くの変化に対しても、これに処するには一つの敬(誠実、真心)をもって主とせねばならぬ」。
斎藤の雅号「皋水」と、36(昭和11)年を指す「丙子春」が記されている。

斎藤は総理大臣辞職後の35年9月、当時の三井財閥が設立した三井報恩会(財団法人)による農村更生事業が進められていた彦部村を視察。
その際、当時の佐藤定八村長が揮毫を依頼したとする記録が同町に残っている。この年の12月に内大臣に就任し、二・二六事件で青年将校に暗殺された。

書は36年2月25日に四ツ谷郵便局の消印で発送され、二・二六事件後の同28日に村役場に届いた。

斎藤の書は2点届き、「處萬變主一敬」は55年の町村合併まで村役場に掲示されていたが、閉村後に所在不明となっていた。

紫波町教委が行方を調査し、2009年に閉村時の橋本長造村長の自宅(同町彦部地区)で発見。町村合併後に書を引き取っていたことが判明した。

16年に所有者が亡くなったため、相続した親族の申し入れにより同町に寄贈された。

紫波町教委の関係者5人が28日、同市水沢区字吉小路の同館を訪問。書を引き渡して保存・管理を依頼した。

書の発見者で同町文化財調査員の長澤聖浩さん(39)は「発見時に斎藤の書であることと、彦部村村長が引き取った経緯が分かった。今見つかっても(所有者が死亡したため)不明な部分が多かったと思う。斎藤の故郷の水沢で保管されることで、彦部村や書のいきさつにも触れてもらえる機会になる」と話していた。

同館の桐山信男館長(61)は「斎藤は依頼されると断れない性格で、休みの日には部屋にこもり、書の制作に励んだようだ。その時は春子夫人が墨を作り、斎藤の額の汗を拭ったという話もある。二・二六事件に関連する企画展開催に合わせ、期間限定の展示を検討したい」と話した。

同町教委によると、斎藤のもう一つの書「政於徳備於努」は同町内の佐藤村長の親族の家で保管されている。



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