3本立て
1本目
タップ交換をしてからそろそろ1年経つ、、、と思います。いつ交換したんだか良く覚えてないんですが、去年の夏じゃなかったっけかな。
ABさんの工房まで車で行って、無灯火のチャリを轢き殺しそうになった覚えがある。
撞き込んでいた時期ですら年に2〜3回しかタップ交換しませんでしたので、今となっては1年に1回とかそれ以下の頻度で充分なのですな。
(硬いタップを好んで使っているから長持ちするのだって言われた。そういうもんなのか。いや、昔は締めないブルーを使っていたこともあったけれど、タップ交換頻度同じだったぞ。単に適当なだけだ)
ただ、そろそろ交換時期かなと。ミスキューが多すぎて、タップに信用がおけなくなってきたからです。
S元プロとの相撞きでは1ゲームに5回くらいミスキューをやらかしたし。
Sプロとの相撞きでは、1ラックに4回ミスキューしましたからね。
ミスキューすれど先球には当たって激渋に残り、回ってきた球をミスキューして激渋に。。。。。を繰り返して1ラックに4回ですから、恥ずかしいやら申し訳ないやら。
Sプロにはハッキリと「替えた方が良いですね」と言われました。
そんな出来事から既に数週間経っているのに、まだ換えてません。中々ね。交換してる暇ないのよね。。。
ミスキューをした後って、ミスキューした箇所がツルツルになってたりエグれていたりしますから整形しますよね。そのまんまチョーク塗っただけじゃ、また同じ箇所でミスキューしますから。
ミスキューをした時、私にはどうでもいい拘りがあります。それが「ミスキューした直後にタップは見ないこと」です(笑)
ミスキューした後に「えっ」って感じで即タップを覗き込む人っているわけですが、どうもあの動作が言い訳がましく見えてしまいましてね。
相手に交代する場合は席に戻ってから見る。ミスキューしたけど入ったなんて時は、ゆっくりとチョークを塗りながら見る。
ほんと、どうでもいい拘りですねw
ちなみに皆様。ミスキューしたけれど先球が入ってプレイ続行って時、相手に待ってもらってタップの整形はしますか?それとも後回しにしますか??
私は相手に申し訳ないような気持ちになってしまうんで、とりあえずはチョークを塗るだけにしてターン終了してからにします。
けど、真剣に撞くんだったら、その場ですぐに整形した方が良いんでしょうなぁ。
さてさて。どうでもいい拘りから続きまして、気にする必要も無いだろうに気にしてしまうことについて。
シュートミスにせよ出しミスにせよセーフティーミスにせよブレイクミスにせよ、何かしらミスをした後に席に戻りながら、または席に戻ってから素振りをしてみたり、シャドウストロークをしてみたりすることってありますよね。
あれをね。「言い訳がましい」って嘲笑する意見を何度か聞いたことがあるんです。「『本来の私は、今みたいなミスはしないんですよ』って言いたいんでしょ?w」みたいなことを言っている人がいる。
そんなもんだから、ついつい気にしちゃうんです。素振りやシャドウをすることを。したくてもしなかったり、しても目立たないように小さくやったり。
けど、素振りやシャドウって、次に回ってきた時のイメトレになんだかんだで役立つじゃないですか。ミスをした後にはイメージの調整をしておいた方がいいと思うのですよ。
別に言い訳がしたいわけじゃなくて、意味があるからやっている。真剣だからやっている。
私、球撞きに気持ちが入っていない時はミス後の素振りやシャドウやりません。ミスをどうでもいいと思っちゃっているから。
真剣に撞いていて、なんとかしなきゃって思っているからこそやる。
でも「言い訳がましい」「そんなことをしても意味ない」っていう人もいるんですよね。
繰り返しになりますが、そういう人達の目を気にして、コソコソやったり、やるのを我慢したりすることがあって「別に気にせず堂々とやってりゃ良いのかなー」と思うことがしばしば。
どうなんだろうか。
やるにしても、あくまでも相手の邪魔にならない範囲で、ですけどね。
撞いている人の邪魔になるほどとなると、そりゃ駄目だ。
2本目
時間に余裕が無い時ってロクな球が撞けませんよね。
焦ってしまってミスが多くなるし。「もう負けで良いから」とか思い始めちゃうし。
しかも、そういう時に限って相手まで入れなくなるし。挙句にドロドロ展開になって時間がかかって、さらに焦るという悪循環。
「そんな時でも強いメンタルを!」ではなく「時間に余裕が無い時は相撞きするべからず!」が私の持論です(笑)
「もう負けで良いから、早く入れてー」って時に限って相手まで入れなくなることが多いわけですが、自分の焦りが相手にも伝わっている場合があるんじゃないでしょうか。
と言いますのも、私は自身には時間の余裕があっても、相手が時間のなさそうなソブリをしている時は「あ。テンポよく撞いてあげなきゃ」とか思ってペースを崩し挙句に球が入らなくなって、かえって時間がかかってしまうってことが良くあるからです。
自分がそうだから、同じような人多いんじゃないかなと思いまして。
結局は「普段通り」が最速なんですけどね。
ラストと言われたゲーム中に相手が「やたらと時計を見る回数が増えた」とか「さっきまでは全くイジっていなかったスマホを頻繁にイジるようになった」とかがあると「あ。急いでんのかな」とか思うわけですが、実際に急いでいる場合もあり、私の勘違いである場合もあり。
後者の場合は、なんか損した気分になりますw
3本目
不良とか犯罪者とかが改心して更生するってのはテッパンの美談で、フィクションでもノンフィクションでもそういうストーリーは良くあるわけですけども、悪かった人が普通になったからって美談として扱われるのには納得がいかないって人もいるわけですよね。元から悪人じゃない人の方がよほど偉いだろうと。
それと同じようなことをとあるA級さんが言っておりました。
普段全然練習しない初級者が、試合でちょっといい成績を出したからってチヤホヤされるのに納得がいかないって。普段から頑張っている人をチヤホヤしてくれと。
私が度々思うのはですね。頑張って勉強して良い大学行って良い会社入って良い収入を得るってのは納得出来ますでしょう。
それに対して、遊びまくって怠けまくって努力しない日々を過ごした挙句に、誰でも出来るような仕事に就いて社畜。
働けど働けど収入上がらず、会社に文句を言ったり「こんなに頑張ってるのに」とボヤいたり。。。
って人いますけど、それって「頑張ってる」じゃなくて、「頑張らざるを得ない」状況に自業自得で追い込まれただけだろうって思うんですよね。
頑張らなかったから今があるわけで、今更頑張ってるアピールして欲しくない。
頑張ったから楽を出来ている人に対して、頑張らなかったから苦労している人たちが嫉妬する、、、っていう構図、多すぎてなんだかなって思います。
「それは頑張ってるとは言わん」と言いたい話の球バージョンはといえばだ。
長いこと毎日のように練習をして試合に臨んだ。それは誰もが認める頑張りでありましょう。
しかし、日々の練習はほとんどせずに、試合当日だけ集中して撞いた事を「頑張った」っていう人います。頑張りと認めたくない。
無勉強でテストに臨んで単位を取るために必死になって答案用紙を埋めたことを「頑張った」って言います?ネタにしかならんですよね。
でも、その場限りの頑張りを「頑張った」と本気で口にする人、多いんだよなぁ。