3本立て
1本目
「高額なキュー」って聞くと、どれくらいの値段をイメージします?
少々前の話ですが、「高額な楽器を預かったまま閉店」なんていう見出しのニュースを見ましてね。
私「高額な楽器」っていうと、名器と呼ばれる億単位のものが頭に浮かんで来てしまったので、いざニュースを見てみてら50万円のギターということで「なんだ」と思ってしまいました。
しばらくして我に返って「いやいや。50万は高いぞ」と思い直し(笑)
もし「高額なキューが盗難」なんていう見出しがあったとしたら、いくらくらいをイメージしますでしょうかね。
私は「わざわざニュースになるくらいだったら」ってことで、100万越えをイメージするかなぁ。
2本目
うちの母は人目を物凄く気にするし、「お金がなさそう」とか「ケチ臭い」とか思われるのを極端に嫌う人でして、装身具にかなりのお金をかけます。
「高級そうに見える安物」も駄目。「安っぽく見える高級品」も駄目。「高級そうに見える高級品」を身にまとい、自他ともに納得出来なきゃいけない様子。
反面、実用面にはほとんど拘らない。それが最も良く表れていると思うのがスキー用品なのです。
私は幼少期から家族でスキーに良く行っており、私が社会人になってからも度々行っているのですが、母が全くスキー用品を更新しない。
ウェアやグローブ、インナーの類なんて、何十年も前の物と今の物とじゃ防寒性や防水性が全然違うってのに、気にする様子が無い。
見かねた私が買い替えてあげると「全然違うね!」「凄い!」などと感動する。
ゴーグルや板なども、昔の物と今の物じゃ全然違うが、母は気にしない。なので買い替えてあげる。「全然違う!」と感動する。
人から与えられれば使ってみて感動もするが、自分で買い替える気はないらしい。
かつ、私が新しいものを買うと「すぐそうやって物に拘るんだから」と馬鹿にしてくる。おいおい。新しくしてもらって感動してたのはどこのどいつだい。
あろうことに「弘法は筆を選ばず」などと言ってくる。
現実の弘法はメッチャ筆を選んだそうですよ?
「弘法は筆を選ばず」って「トッププロはハウスキューを使ってもアマチュアよりは上手い」みたいな話ですよね。「超一流はハウスキューでも世界選手権で優勝出来る」って話じゃないでしょう?
そしてそもそもの話、たとえばウェアの防寒性なんてのは「筆を選ばず」とかいう話じゃない。
母の持論に基づけば、外面は着飾らなければ人から評価されない。内面は自分の力で対処すれば良いってことなんでしょうかね。
内面の力を増幅させる道具ってのも大事だと思うんですけどねー。
価値観の違いと言ってしまえばそれまでなんですが、外面(そとづら)を気にするか中身を気にするかって人によって分かれますよね。
3本目
とある飲食店の口コミを見ていたら「決定的に経営が下手(いい意味で)なので、食べに行ってあげてください」みたいな投稿がありました。
なにやら、とにかくお客様を満足させたいと思って、色んなサービスをした挙句に、トータルで赤字になってた!なんてことがしょっちゅうあるらしい。
凄く良い人そうですよね。友達にいたら仲良くなれそうです。
でも社会人目線からしたら、、、、評価出来ませんよね。
某店店主の「何もしなくたって、常連なんて勝手に来る」という発言を何度か槍玉に挙げておりますが、それは「言っちゃいけない発言」であって、言ってること自体が間違っているとは思いません。
一度定着した球屋常連は、よほどのことが無い限りは離れませんでしょう。特に、毎日のように来る常連となると。
そういう客に向けたサービスを拡充しても、冒頭の飲食店の例と同じで、人は良いかもしれないが経営者としては二流ってことになってしまう。
一般客が増える。一見客が増える。常連が増える。来店頻度が増す。客単価が増す。
そういうサービスなら良いんですけどね。単に満足度が上がるってだけじゃ、何も意味がない。「いい店だったのにー」と惜しまれながら閉店して終わり。
付加価値ばっかり高めても意味がないぞっていう話なんですけども。
「もっとサービスを良くしろ」「客だぞ」「こんだけ来てやってんだぞ」みたいな口うるさい常連ってのもいますから、仕方のない部分もあるのかもしれませんが。。。