2018年06月04日
ファッションポジウム―男女の垣根を越えたファッションの未来を考える
という案内が来ました。
案内文によると、
アパレル業界の閉塞の根底には、ファッションを切り分けて思考する態度があります。
そして、さまざまの切り分けの中で、もっとも根源的なものが、男女の切り分けです。
なぜ、男女で違うものを着なければならないのか。
“切り分け”という発想そのものを問い直し、性別を超えることはできないのか。
そのためのいくつかの試みを通して、ファッション業界に新しい風を吹き込みたいと考えております。
安田講堂という象徴的な空間の力を借り、既存のファッションショーのような、“みせる側”と“みる側”という切り分けも取り払い、開かれたコミュニケーション空間を作り出します。
今回のシンポジウム最大の見どころは、東京大学大講堂(安田講堂)で行われるファッションショーです。
東大安田講堂と言えば、日本の大学の象徴であり、1960、70年代の学生運動の頃は、大学権威の象徴として、過激派学生に占拠され、機動隊との攻防がありました。
これによる、荒廃は激しく、その後、長い間使用されず、耐震改修され、使用されるようになったのは、ほんの数年前です。
なお、講演会など、イベントがない日は、今でも原則立ち入りができません。
この東大安田講堂でファッションショーとは、どう考えてもあり得ない組合せです。
司会は
タコツボでの局所最適を目指すのではなく、全体を俯瞰して、win-winな関係を
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専門分化し、分断され、タコツボ化した、「優秀な人々」は、タコツボ内で、あるいはタコツボでの価値観に基づき、タコツボ間で、
自分を他者より、優位な立場に置こうとし、立場を失うことを極度におそれ、ありとあらゆる手段を駆使し、ごまかそうとする。
一方で、学問、組織など、全体を俯瞰する人は、基本的な礼節をわきまえ、他分野の人と信頼関係を構築し、
それらの人々に依存することにより、自立した生活ができる
>
で書いた、女装でも有名な、安冨歩教授です。
ファッションショーでは「男」「女」のカテゴリーがあるが、これを外すとどうなるか?興味深いイベントです。
人々は人間、業界、学問など、いろいろな物事を利便性のために分類、カテゴリー化してきました。
本来、便利のための分類だったはずですが、それを「女の子なのだから」「理系は」「製造業とは」など、無理矢理、枠組みに当てはめようとして、息苦しさが出てきました。
社会の枠組みを外してみると、ずっと自由に、楽に生きることができたりします。
人工知能、IoT時代の人材育成とは
に
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以前は、工学部は、土木、建築、化学、電気、機械のように縦割りで、工学部が主として対応する製造業関係のメーカーも同様の枠組みで、業界内のニーズ、技術シーズはメーカーと大学間で共有され、大学の研究は業界に反映される形でした。
社会が複雑になり、相互に関連しあうようになると、工学系学科とメーカーの対応も複合、輻輳化するようになりました。
時代、技術、社会の進歩が急激で、求められる人材像も変わる中、、大学の学部、学科の枠組みも文理融合、学際化は叫ばれつつありますが、組織の再編は時間がかかり、追いつかないのが現状です。
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社会の枠組みは、それが暗黙の裡に、当たり前とされているため、気づかなかったりします。
それを外して、再構築してみると、楽しいことになりそうです。
という案内が来ました。
案内文によると、
アパレル業界の閉塞の根底には、ファッションを切り分けて思考する態度があります。
そして、さまざまの切り分けの中で、もっとも根源的なものが、男女の切り分けです。
なぜ、男女で違うものを着なければならないのか。
“切り分け”という発想そのものを問い直し、性別を超えることはできないのか。
そのためのいくつかの試みを通して、ファッション業界に新しい風を吹き込みたいと考えております。
安田講堂という象徴的な空間の力を借り、既存のファッションショーのような、“みせる側”と“みる側”という切り分けも取り払い、開かれたコミュニケーション空間を作り出します。
今回のシンポジウム最大の見どころは、東京大学大講堂(安田講堂)で行われるファッションショーです。
東大安田講堂と言えば、日本の大学の象徴であり、1960、70年代の学生運動の頃は、大学権威の象徴として、過激派学生に占拠され、機動隊との攻防がありました。
これによる、荒廃は激しく、その後、長い間使用されず、耐震改修され、使用されるようになったのは、ほんの数年前です。
なお、講演会など、イベントがない日は、今でも原則立ち入りができません。
この東大安田講堂でファッションショーとは、どう考えてもあり得ない組合せです。
司会は
タコツボでの局所最適を目指すのではなく、全体を俯瞰して、win-winな関係を
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専門分化し、分断され、タコツボ化した、「優秀な人々」は、タコツボ内で、あるいはタコツボでの価値観に基づき、タコツボ間で、
自分を他者より、優位な立場に置こうとし、立場を失うことを極度におそれ、ありとあらゆる手段を駆使し、ごまかそうとする。
一方で、学問、組織など、全体を俯瞰する人は、基本的な礼節をわきまえ、他分野の人と信頼関係を構築し、
それらの人々に依存することにより、自立した生活ができる
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で書いた、女装でも有名な、安冨歩教授です。
ファッションショーでは「男」「女」のカテゴリーがあるが、これを外すとどうなるか?興味深いイベントです。
人々は人間、業界、学問など、いろいろな物事を利便性のために分類、カテゴリー化してきました。
本来、便利のための分類だったはずですが、それを「女の子なのだから」「理系は」「製造業とは」など、無理矢理、枠組みに当てはめようとして、息苦しさが出てきました。
社会の枠組みを外してみると、ずっと自由に、楽に生きることができたりします。
人工知能、IoT時代の人材育成とは
に
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以前は、工学部は、土木、建築、化学、電気、機械のように縦割りで、工学部が主として対応する製造業関係のメーカーも同様の枠組みで、業界内のニーズ、技術シーズはメーカーと大学間で共有され、大学の研究は業界に反映される形でした。
社会が複雑になり、相互に関連しあうようになると、工学系学科とメーカーの対応も複合、輻輳化するようになりました。
時代、技術、社会の進歩が急激で、求められる人材像も変わる中、、大学の学部、学科の枠組みも文理融合、学際化は叫ばれつつありますが、組織の再編は時間がかかり、追いつかないのが現状です。
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社会の枠組みは、それが暗黙の裡に、当たり前とされているため、気づかなかったりします。
それを外して、再構築してみると、楽しいことになりそうです。