JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

訃報 三遊亭圓歌師

2017-04-24 | 旅立った方々
<訃報>三遊亭円歌さん85歳=落語家「山のあな、あな」

戦後の寄席を支え、爆笑新作落語で人気だった落語協会最高顧問の三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか、本名・中沢円法=なかざわ・えんぽう)さんが23日午後1時25分、結腸がんによる腸閉塞(へいそく)のため死去した。85歳。
関係者によると、23日午前に体調を崩して病院に搬送された。5月には東京・三越劇場で「米寿を祝う会」が予定されており、最後まで現役にこだわり続けた。
東京都墨田区向島の出身。戦争中も寄席に通い、防空頭巾をかぶって落語を聴いていたほどの落語好き。国鉄(現JR)を退社し、終戦直後の1945年月1日に二代目円歌に入門し歌治。48年歌奴(うたやっこ)で二つ目昇進。「山のあな、あな」のフレーズで知られる「授業中」をはじめ、「浪曲社長」「月給日」などの新作落語で人気を呼び、寄席を活気づけた。
58年、戦後入門組としては初めて真打ちに昇進。興隆期のテレビにも数多く出演し、初代林家三平らとともに、大衆にアピールする落語の新時代を開いた。
70年、三代目円歌を襲名。71年「三味線栗毛」で芸術祭優秀賞を受賞した。

毎日新聞
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この師匠は歌奴時代に作った「浪曲社長」が一番の功績。・・・「浪曲社長」好きやなぁ。
まだまだ浪曲が日常にあった時代ではありますけれど、浪曲社長があったればこそ浪曲に親近感が持てたわけですから。

寄席通いするようになってからは舌足らずの割に上から目線のセンスがどうも好きになれず、敬遠する事が多かった。

「中沢家の人々」は当時漫談扱いで記録を残していない。よく聴かされた。

記録に残ってるネタは

「西行」 昭和55年3月18日 末広亭

そのほ他「坊主の遊び」「浪曲社長」「月給日」「授業中」「G&G」とメモが残ってました。

テレビ隆盛期に売れた師匠は映画にも出演

「落語野郎 大馬鹿時代」
「落語野郎 大脱線」

私の好きな二代目は円歌と表記し、この師匠は圓歌。
落語家の円はほとんど圓だけれども、
円歌の場合は何だか偉そうな風に感じるのも師匠らしくて面白い。

やはり「浪曲社長」で追悼しましょう。

三代目三遊亭圓歌 浪曲社長

ご冥福をお祈りいたします。







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