連休明け以降、同じ水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』ネタで引っ張って恐縮なんですが、これ、物凄い重要だろうって思う。殆んどすべての時事問題やワイドショウネタも、その背景で繋がっているよなぁ…なんて考えさせられる。

「金融資産を保有していない二人以上の世帯の割合が2013年に31.0%にのぼる」

金融資産を保有していない世帯が、そんなに? どういう事? 金融資産は持っていないが不動産を持っているって事? 文脈の中で水野和夫さんは「この31%の世帯は、おそらく家なども持っていないでしょうから、無産階級といえます」と丁寧に記してある。

数字は金融広報中央委員会が調べた「家計の金融行動に関する行動調査」からの引用で、二人以上の世帯、8千世帯を調査したものだという。

数字を疑いたくなるワケですが、1965年頃には20%超の世帯が金融資産ゼロでスタートして、どこの世帯もが預貯金を持っているのが当たり前の時代へと突入してゆく。1987年には金融資産ゼロ世帯は3.3%まで減っている事が分かる。なので、私が肌で知っている時代というのは金額の多い少ないこそあれ、誰だって預貯金なんてあって当たり前の時代。しかし、グラフ上では1990年代中頃から金融資産ゼロ世帯が急上昇を始めて、2013年には31.0%が金融資産ゼロという統計になっている。私のイメージしている預貯金感覚は、確かに古いのかも。

うーん、他人の家のフトコロ事情は分からないし、今だって町中を行く人々を見れば、乗り回しているクルマだの、買い物ぶりを眺めていると、「そんなバカな!」とは思うんですが、確かに近20年ぐらいは妙な事になっている気もしますかねぇ。

テレビが報じる数字は妙に平均値の割には高い数字で、しかも平均年収世帯をモデルにしてアレコレと政治的な制度設計されてしまっているんですが、2012年度の数字で年収200万円以下の給与所得者が1090万人だって。その上に生活保護受給者は200万人を突破している。

元郵便局長だったという70代の方と話していたら、確かに現在の利息はバカげているという。10年も預けていれば貯金は倍になった時代があったんだよ、と。今となっては、その時代こそが「バブルすぎて馬鹿げていた」と考えるワケですが、その時代を体感している人からすれば、そうなのでしょう。異常に長い超低金利が、ずっと続いている。(水野氏の説明では超低金利・超低利子が長く継続されるという事は投資する妙味がなくなったが故に起こる現象で、資本主義の卒業証書をもらってしまったような意味合いだとしている。)

或いは、ある投資家向けのテレビ番組で、「40代以降の人たちの持ち家率が減少しているというデータがあります。これからの投資として賃貸アパート経営はどうでしょう?」なんてやっていました。これって暗に若い世代は賃貸住宅にしか住めないという意味のようにも取れてしまうんですよねぇ。そりゃ当人たちが選択として主体的に賃貸という選択をしているようにも見える。しかし、裏を返すとアレコレと勘ぐれてしまう。買えるものなら買いたいもんなんじゃないんだろか。御時勢というものを考慮しないワケにはいかないんですよね。で、もう、そこに投資マネーが目ざとく入り込んでしまうワケです。もしかしたら社会構造そのものの話のようにも思える。勿論、賢く立ち振る舞った人を責めるものではありませんが、それと切り離しても金融資産ゼロ世帯が31%もあるのだったら、かなり深刻なのではないだろか。

そういえば過去に文藝春秋に掲載された63〜65歳の内の8%が預貯金ゼロだという記事に触れましたが、そういうものなんだろうか。(63〜65歳で100万円以下の預貯金が19%だって)

拙ブログ:貧困の証明/2005-5-30

どういうオチなのか気になる。ビットコインをたんまり持っているとか。金融資産は持っていないが海外のリゾート地にコンドミニアムを所有しているとか、そーゆーオチかな。そうやって、とぼけたくなるほどコワい話かも。ホントに一部の人たちにはリセット願望みたいなものがあるみたいだし、そこまで来てしまっているみたいですしね。

フツウ、こういう場合、財政収支をなんとかすべきと論じるべきなのですが、私の場合は財政収支を健全化することも不可能だろうと考える方なのかな。もう、私よりも年長者であれば死ぬまで逃げ切れるだろうかというモードに入っている人も多いんじゃないだろか。で、若年層になればなるほど、さっさと破綻させろになる。もう、どさくさまぎれモードに突入しているような気がする。どさくさまぎれだろうがなんだろうが、それが現実なら向き合うしかないワケですよね。

手ごたえからすると、もう、健全化は不可能なんじゃないのって考えますかねぇ。健全化してもカネを中央に集めてしまえばフェアに分配されることは期待できないと思う。これまでがそうだったのだから同じでしょう。何も大きなものを必要とせず、中央集中型の社会システムを信用しない方がいいと思う。お隣の韓国の国家資本主義による破綻を見れば分かり易い例で、ありゃなんなんだってなりますよね。一時期、韓国の快進撃を見て、日本のメディアは「韓国を見習うべき」と言ってたんだし、なにか立ち位置が根本的に違うんですよね。

金融資本主義は、未来に生じるであろう利益の先食いの側面があり、そうしたマネーを動かす人たちの意に沿うような政策ばかりをしていれば、誰が利されて誰が損害を被るのかは歴然だろって考えないといけませんよね。単純に富の推移を見ても先進国に於いては中間層から富裕層へと富の移動が起こり、その中間層が貧困層へと落ちてゆく傾向があるのは事実みたいですからね。

個を粗末に扱うような巨大なシステムが必要なのではなく、基本に返って個を重視し、個としての充足に主眼を置く価値感に切り換えないとダメなんだろうなって感じました。それは個人の生き方の問題ですけどね。社会が個人に何か利益をもたらせてくれると期待するのは不可能になったといいますか…。だから、誰かの為に何かをするなんていう歯の浮くようなポエムを読み上げる前に、自分の足元だけはシビアに固めておくという身の丈の思考じゃないと乗り切れないよなぁ…。