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座標

ざひょう【座標】

1.点の位置を表すのに使ういくつかの数の組。平面上では,直角に交わる二直線と点との距離と点の位置による正負の符号を考えた直交座標が使われる。
2.そのものの位置づけ。また,その基準。

(大辞林 第三版より)


「わたしはいない」というこの言葉が指しているのは、「座標は実在しない」というニュアンスです。


「無我」は、「存在の消失」ではありません。「個の消失」です。

「存在が消える」のではなく、存在における「座標が消える」のです。

「わたし」という座標も、「あなた」という座標も、「何か」という座標も失ったとき、ありとあらゆる存在が一つであったことが明らかになります。

たった一つの存在に、数々の座標を与えることで、分離感覚を作り出していたことに気づきます。

座標は消えますが、「わたし」も「あなた」も「何か」も、何も変わらず存在しつづけます。


「消える」とは言え、そもそも「座標」は実体を持ちません。

だから、「消そう」とする必要はないのです。



【トークライブ・インフォメーション】

平日のお話会「月イチ☆」10月開催分、受付中です。

平日のお話会「月イチ☆」(東京)
10月22日(木)19:30~21:30(19:00会場)三鷹産業プラザ 7階 701会議室[詳細・お申し込み]


平日のお話会「月イチ☆WEST」(神戸)
10月28日(水)19:30~21:30(19:00会場)兵庫県民会館 3階 304会議室[詳細・お申し込み]


平日のお話会「でら☆月イチ」(浜松)
10月29日(木)19:00~21:00(18:30会場)浜松市福祉交流センター 21会議室 [詳細・お申し込み]


*****

梅田のTSUTAYAさんにて、新しい試みにチャレンジします!

大阪、梅田駅直結にするルクア イーレの9F 、梅田蔦屋書店さんのお誘いを受け、朝のお話会を開催する運びとなりました。
リアル書店さんのスペースをお借りしてのイベントですので、「人生を変える本との出会い」をテーマに、僕がオススメする書籍の魅力や、精神世界の勘所などのお話をする予定です。
開催は平日の午前中ですので、参加できる方も限られるかとは思いますが、よろしければ遊びに来てください。

雲黒斎トークライブ『朝から梅田でアレのこと』
10月29日(木)10:00~11:30(9:30開場)梅田 蔦屋書店 4th ラウンジ [詳細・お申し込み]


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久しぶりに札幌へ参ります!

今回は「黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?」の、質疑応答リアルタイムバージョンをお送りいたします。

黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?

10月31日(土) 14:00~16:30(13:30開場)札幌市教育文化会館 301研修室[詳細・お申し込み]

主催・協力:株式会社UGL(古池さま) お問い合わせ:011-614-1319

※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
 ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。


←ポインタを、この座標にあわせて、押す。
コメント ( 21 ) | Trackback ( )
« 「非二元」っ... 居酒屋 »
 
コメント
 
 
 
えーと (Unknown)
2015-10-09 13:38:30
いきなりのコメントで申し訳ないのですが、
黒斎さんが目指しているものが読んでいてよくわかりません。何のために解説してくださっているのか。
真実を解説していらっしゃるのなら、真実でないほうから真実側に移動する無いようなのだと思いますし、読んでいる人々の悩みが少しでも解消されることを目指しているのならそういう内容になると思うのですが。ひどい言い方をすればそれで何も得られないものを提供されているような感じがするのですが。

気づくとか気づかないと関係なく。
 
 
 
Unknown (ひよどり)
2015-10-09 13:47:47
そうですねえ
何のために?と思いますね。
 
 
 
Unknown (無明)
2015-10-09 14:22:39
わたしは何のためにというのはいらないですね。

それよりも、実はこうなんだというほうがいいですね。
 
 
 
2回目の投稿です (なかじー)
2015-10-09 14:34:29
『わたしはいない』に関して、とてもわかりやすいご説明ありがとうございます。

質問があるのですがよろしいでしょうか?
個の消失…という理解は、それぞれの人間が持っているカルマの解消につながるのですか?1つの命が分離してこの世に誕生し、様々な経験をし生きていく事が、書籍で黒い粘土に例えていらしたものを白くする事なのだと、なかじーという『個』は思っていました。
経験する事柄は宿命に添っていくものであろうし、苦しい時は運命を変えるべく、書籍を読んだり他の意見を聞いたりして思考や行動を変化させたりなんかして。
カルマ…にはどのようなお考えをお持ちですか?ってか雲さんからはどのような説明があったのですか?
気が向いたらブログにあげて頂けると嬉しいです。
よろしくお願い致します。
 
 
 
意外と、『座標』の消失の意義が掴めない (ふらかぜ)
2015-10-09 15:16:03
と言うのが、ついさっきも、何故か『気分が悪い』と思って『『私の心』という『座標』』を内観したところ、『あ、この感じは『私の座標』からの発生ではなく、『よその座標』からもらったものだな』と直感したので、即『『私の中心』の感覚という座標』に意識を移し=センタリングし、『よその座標』から貰ったと勝手解釈しているその『気分悪さ』を『『全て』と思い込んでいる座標』に対して流し、それと同時にそこからエネルギーを貰ってかなりのスッキリ感を体験している・・・
・・・とこのように、『私』にとって、『座標』は切っても切れないものですので・・・。

一元、二元を想定するにも、自動的に
二元 ← 一元 → 二元
のように、『座標』を設定してしまう訳で・・・。

『座標』が無くなると、何が起こるのか・・・こればかりは、悟ってみなければ解らず、理屈で説明不能なのかなぁ?て気がしてます。嘘です。本当は、そんな気すらしてません。要は想像つかないんです、こうさ~ん(笑)
 
 
 
居酒屋阿部家 (こめこ)
2015-10-09 15:22:40
黒澤さん、言うことありません!(笑)

黒澤さん、「居酒屋阿部家」でお話されたそうで。
もち、「ノンデュアリティ」について。

明日公開だそうなので、聞きますね。
なーんにも解っていない阿部さんの息子さんに解るように色々とお話されたようですね。

阿部さんによると、ノンデュアリティの聞き方は、
「このメッセージは、解ったと思ったらそこで止まってしまうけれど、何も解らなければ話にならない。解るように真剣に聞いて、決して解ろうとしないこと。」だそうです。

こんな感じで明日私も聞いてみよーっと!

お聞きになりたい方は、阿部さんのブログ「リーラ」に行くとリンクがありますよ。
(リンク、載せていいのかわからなかったので、こういう書き方・・・)
 
 
 
「何のために」 (カレー愛好家)
2015-10-09 15:49:33
今回の記事に対して、何を目指しているのかと、いう感想が書き込まれているのを見て、数日前にネットで流れていたニュースを思い出しました。↓
『NEWS小山慶一郎の質問にノーベル賞受賞の梶田隆章氏が困惑「意味がわからない」』
http://news.livedoor.com/article/detail/10680876/
目指しているものは何ですかと聞かれたら、黒斎さんも、きっとこんな気持ちなのかなと思ったり。
そういえば、梶田氏は、受賞会見で、「自分の研究は、何の役にも立たないが、人類の知の地平線を拡大するようなもの」的な発言をされていましたね。座標が消えれば、意識の地平線も拡大するのかな。
 
 
 
あのー、もしかして・・・ (ふらかぜ)
2015-10-09 16:00:49
世間一般の方々が『雑談』している時って、
もしかして、『座標』、消えてます??

雑談の時って、いちいち『細々した事』=『座標』にフォーカスすると、雑談にならないとよく聞いたり、言われたりするので。
『話してる物事』=『座標』に意味はなく、雑談する事による『感覚の共有』=ある意味「ワンネス」?に価値があるんだとか・・・

・・・あー、だとしたら『私』、解る訳無いわ(笑)

まぁ、ひとつだけ解った気がするのは、『誰か』が気にしている事を『私』は意識すら無いとき、『私』にその『座標』は無い、て事ですよねと・・・そういう意味じゃ、世間一般の方々って大変だなぁ、こんな事気にしなくてもいいのに・・・と思う事はいろいろありますね。

とりあえず、『私』が要らない座標だけポイしとけば、それでいいのかなと・・・?
 
 
 
そうそう、これこれ (ふらかぜ)
2015-10-09 16:08:29
居酒屋阿部家さんが書かれた

「このメッセージは、解ったと思ったらそこで止まってしまうけれど、何も解らなければ話にならない。解るように真剣に聞いて、決して解ろうとしないこと。」

これ、大事だなぁ~、と『私』の感覚でも思います。
まぁ『私』の場合、必死で考えるけど、結論は保留してほったらかしとく、すると、答えが勝手に「起こってくる」、という事なんですが。
これ覚えてから、かなり役立ってると実感してます。
 
 
 
おもしろいですね (Unknown)
2015-10-09 16:34:59
以前、黒斎さんはあの世から聞いたことを紹介する体裁でしたが、どちらかといえば、自分が回復するためのリハビリを一緒に、という感じでしたよね。題名が変わってスピを解体することになっていますが、今回の記事はリハビリでもなく、他社の助けでもなく、覚者としてでもなく、マニアックという感じですね。
 
 
 
まぁこんな感じなんです。 (たかさん)
2015-10-09 16:50:15
何のために?、という書き込みを見ましたけど、それは別にどうでもいいっちゃどうでもいいんですよね。
ただこうなんですよ、ってだけで。

それだけなんですよ。^ ^

あえて僕の言葉で言えば、前提のシフト、それすらもそうでもいいっちゃどうでもいいんですが、のために、ただつらつらと真実っていうか、まぁ本当はこういうことなんですよね、って話がある、みたいな。

深刻(理由を求めちゃう)に捉えなくていいんですよ。
どうしてもそうしちゃうんですけど、それもそれでいいんですけどね。^ ^
 
 
 
座標を作ってたのか… (ましま)
2015-10-09 20:45:30
知らず知らずの内に座標を作ってたんですね。
そういう意識がなかったので、何ともアレですが、考え過ぎた気がします。
「わたし」の流れに身を任せようかなと思います。
 
 
 
Unknown (ひろみ イルカ)
2015-10-09 21:57:58
夢中で遊んでいるときに
「なんで遊んでいるの?目的は?」
と真顔で聞かれると。。。

「え???いや、、、ん???あれ?」と、

我にかえっていまいますぅ(^◇^;)
しかも時間が止まる(わからなくなる)し、ほんとに夢中なときは、夢中であることさえ「自」覚ないですからー!

われ≒ 自我!?


とりあえず、楽しいから、それをしたいからと、答えるかもなぁー
それにしても突き詰めると、どんな「行為」でも、理由ってほんとのところは、わかんない。
何かの意図や衝動みたいなものがあるのかな?
 
 
 
個の消失の個の意味がわからない。 (やまこ)
2015-10-10 00:51:47
コメントするに値しないかもと思いつつ、やっぱり何度読み返してもわからない。とにかく難しい言葉ばっかり。もっとくだけた誰にでもわかるニュースのような言葉の使い方ないのかな?ちょっと筋違いなことになるかも知れないけど、個が消失しても、非二元と頭が理解しても感情ってわきますよね?そこが厄介で頭で相対がなく、起こることが起きてると理解して眺める?ように納得するような在り方さしてたら、「感情の冷凍保存」が起こると思うんです。非二元だと言うのならそのあたりが結局面倒で逃げ?に回避では?と思うのは、結局非二元が理解出来てないってこと?非二元がわかる位置は悟りの境地?ならなんでこんなに人生、世界は複雑なの?って結局よくわからないままさ迷って、わからない。
 
 
 
その核心の座標や如何に。 (さむ)
2015-10-10 03:36:10
いきなりコメントさん

>ひどい言い方をすればそれで何も得られないものを提供されているような感じがするのですが。

しかし、核心を突く感想だと思いますよ。
得られないものを提供、というのはナイスな表現だと思います。

というのも、
黒澤さんの伝えていることの一つに、

何かを「得る」のではなく、余計なものを「手放す」、
という方向性の転換、価値観の転換があると思うのですね。

読者には大小さまざまな悩み、苦しみがあって、
それらは個々に解決のやり方もあるでしょう。

ただ根本のところはやはり、各々の悩める読者が握りしめている価値観、思い込みというのが大きなウェイトを占めているだろうと思います。

以下推測ですが、

そんな悩める読者も、あるいは数多のスピリチュアル漂流者も、
ブログからなるべく「得て」欲しくない。持ち物を増やして欲しくない。握りしめようとして欲しくない。

逆に、なるべく色んなものを手放して欲しい。思い込みを落として欲しい。

そんなアプローチです。
手放して欲しいくせに表現者として豊か過ぎるのが玉に瑕ってやつですが。(笑)

それらはやはり、余計なもの手放してみると結果どうなるか?ということを読者にも経験して欲しいという気持ちがあると思います。

たぶんそれは色んなことでがんじがらめになってボロボロに苦しみ抜いた人間の偽らざる気持ちじゃないでしょうか。

ということで、
色々ひっくるめてこれが読者の悩みを少しでも解消するために取っている黒澤さんのスタイルなのだと思います。(ホンマでっか?笑)

それから、

何ゆえ真実に連れて行ってくれるような内容を書かないか、という問いが湧いたなら、それもまさに核心へと繋がっていく問いですね。

「向かうのではなく、そこに居なさい」

と、どこからか聞こえてきそうですが、(笑)

そのあたりは過去の数々の記事から感じ取れるものがあるかもしれませんね。

Don't Move. (←PC表示だとブログ内検索窓があると思います。)
 
 
 
Unknown (たなか)
2015-10-10 05:19:51
ここのコメントを見ると、皆さんノンデュアリティを良く理解されてるようで

…本当かなあ?

流行りものに飛び付いてそんな気になっている … そんな感じにも見える部分も多いですね。

すぐなびくけど、変わり身も早そう。
 
 
 
プカリプカリと (ウメ)
2015-10-10 05:42:50
食べ物でも、物でも、
「これすごい好きだわ~(なんでかわかんないけど)」

夢中になれること、やりたいことも
「やってると楽しいわ~、もっとやりたいわ~(なんでかわかんないけど)」

なんてことに身を委ねていると、座標の中にプカプカ浮いている感じがします。心地よく感じた場所に点を打っていったら、「私」が見えるのか。でも別にそうしなくても、気持ちよく浮かんでいられればいっか~、とか今は思います。
 
 
 
過去エントリのコメ欄、誰も読んでないよね?長文いいですか?ダメ? (さむ)
2015-10-13 00:05:37
やまこさん

コメントするに値しないかもなんて、そんなこと全然ないと思います。

ストレートで、リアルで、
同じ思いを持つ人の気持ちを代弁してるんじゃないですか?

今から書くことは疑問に対する答えではなく、単なる一読者のスピリチュアルに対する思いです。もし御覧になったとしたら軽く読み飛ばして下さい。


・・・

小難しい言葉や概念。スピリチュアル界隈という閉鎖的空間で、流行りのファッションのように口々に語られる非二元。

それらの風潮は、思考によっては得られないはずの「思考を越えた世界」を何とか説明しようとすることに由来する、ある種のネガティブな面かもしれません。

ただ、メッセンジャーと呼ばれる人が伝えることが叶わぬとも試行錯誤を繰返しそれを発し続けるのは何故か。

それはやはり、さ迷い歩く多くの人々が個別に生き、個別に死んでいくだけの儚い存在ではないことを知っているからに他ならないと思います。

(儚いような印象にしか受け取れないメッセージもあるかとは思いますが、その多くは言葉のあやってやつかもしれません。)

たまたま昨日、黒澤さんの1月30日の「伝えたい事」という記事を読んだのもあってか、やまこさんにコメントしてしまいました。


・・・

話は変わりますが、
随分以前のことです。

僕は自分の人生や数多くの苦しみを背負った人たち、不条理、また苦しみを与えることに無自覚な者、あるいは他者の苦しみを喜びとする邪な者、そしてそれを包含する神と呼ばれる存在に疑問の毎日でした。

そんな神の戯れのこの世界など二度と生まれたくない、この世界こそ地獄なのでは?と気が狂わんばかりの日々がありました。

実際に悩乱が生じ、幻覚症状に襲われまさに地獄のような時期もありました。

それから紆余曲折がありまして、意識は幾度かにわたって個の消失した世界に留まりました。

そして、神さえも憎み呪っていたこの精神がようやく解放された現在があります。

今思うに、

人生におけるあらゆる経験、現象を意味のあるものとするか、

はたまた、
個というのは幻想だし起きていることに意味などないとするか、

それらを含めどんな道をも選択し、創造できる自由なエネルギーを持っているのが我々という存在の実態だと。

個として発揮し得るあらゆるものを意味があるとすればそれに応じた世界を創造し、

起きることがただ起きているだけと観じれば、ただ意味のない世界が展開されていく。

その創造のエネルギーと自由を持った存在。

それが我々だと。

では一体何が幻想なのか。

我々や宇宙がエネルギーの集合離散とすれば、それぞれの個もこの宇宙全体に包含されています。

ならば、自と他の間を絶対的に隔てる境界線というのは、人間の空想のなかにしか存在しない、それこそ幻想だというものですね。

…と、今僕がそう観ているってだけの話なので、

やまこさんはやまこさんの自由な精神を発揮し、ぜひ、
その創造の力を以て素敵な人生を形造られることを祈りたいと思います。


・・・

追伸

非二元がわかる位置と悟りの境地と呼ばれる意識状態とは全く別のものと僕は認識しています。

非二元のような言葉で意訳される世界は、思考やイメージを介さない意識そのものによってダイレクトに知覚されたり、瞬間的な気付きという精神作用が起きるときにその感覚が知覚されたりしますが、

悟りの境地だと僕が仮定するものは、もはや意識そのものを超越するとでも表現するのか、要するにまるで不可能です。見当も付きません。

仏教的な解釈は知らないのでそれとは異なっていると思いますが、どのみち誰も悟っていないので如何なる指摘も無意味ですね。(苦笑)

ちなみに、お釈迦様がどのような悟りを開かれたか、悟った人にしかその判別は不可能なので真実は一切分かりませんし、弟子に言ったことも本人の悟りとは別の弟子向けの導きでしょうから、もしも仮に現代に悟りと称するものを説いている人がいても一切無視して結構かと思います。

( 以上、本当に悟った方のお叱りは喜んで頂戴致します。受け売りの方のお叱りは見なかったことに。追伸が長いことは誰でも叱ってくれていいです。笑)
 
 
 
やまこさんではありませんが・・・ (こめこ)
2015-10-13 10:21:22
さむさん

やまこさんへのご回答ではありましたが、さむさんの文章を読ませていただき私自身、とても感ずるところがありました。

ありがとうございました。
 
 
 
Unknown (さむ)
2015-10-14 08:15:06
こめこさん

ご丁寧にどうも恐縮でございます。

こめこさんへご挨拶にかこつけて、ちょっと言い忘れたこととか、その他今書いておきたいこと、この場をお借りして書いちゃいます。

どうぞスルーで。

・・・

前に僕の書いたことについても当てはまりますが、

こと日常を離れたスピな分野では特に、何かを正解と捉え確かなものとして掴もうとすることはある種の問題をはらんでいます。

誰しも一度は万華鏡をのぞいて遊んだことがあると思うのですが、

ある一つの世界観を正解だと思い込むことは、
万華鏡の変幻自在で多彩な美しい情景の中で、ある一つの景色だけを固定し「これが万華鏡だ」と言っているようなものかもしれません。

一つの景色、一つの側面。
確かにそれが切り取れることはある。

しかし、

「即ちそれ一元の世界なり」と断定することは早計だと言えるでしょう。世界そのものを断定するのは分離の最たるものですね。

僕は自我や分離そのものを否定することなく受け入れますが、

ただ、自我から発せられる思考やイメージに縛られた状態のままでは、この色とりどりの真理世界をあるがままに観察することが阻害されるという点は否めません。


・・・

上記のことなどを含め、僕自身もそうありたいと願うことですが、皆様にあらゆることから自由であって欲しいと思います。そしてその創造の力を発揮して頂きたいと思います。

ただし、このような文言も思考やイメージの上で捉えるならそれは真に解放された精神とは言えません。
それを書きながら同時に省みています。

しかし、

いずれ言葉遊びは終わりを告げ、誰しもが真に自由自在の姿でこの壮大な万華鏡の如き森羅万象(宇宙)をあるがままに眺めること。

そんな景色が創造されていくのだと観じている次第です。
 
 
 
やっと辿り着きました! (Mi8)
2015-11-30 14:36:46
初めまして。コメントさせて頂きます。
「あの世に聞いた、この世の仕組み」を拝読し感銘をうけました!!!求めていたのはコレだ!と。スピリチュアルの世界と関わる人へのいわゆる教科書ですね。私もチャネリングをしますので記載されていることの何点かは彼らに教えてもらっていました(^^)なので全てにおいて納得です!
本を書いてくださり心から感謝申し上げます!!
これからも楽しみにしております^^
勝手なリクエストと致しましては次元についてお聞きしてみたいです。天使さんたちはきっと次元が違うのかなと思うので。
これからも応援しております!!
 
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