バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督が、バッドマンで有名になったマイケル・キートンを主役にして作った奇妙なコメディだ。中年俳優はもはや映画界から声がかからなくなり、ブロードウェイの芝居で一発逆転を狙うけど簡単に物事が運ばない様子を皮肉たっぷりに描いている。マイケル・キートン自身のキャリアも、映画で描かれる私生活も芝居もおかしな方向に向かう様子をワンカットに見えるような撮影方法で表現している。幻覚らしい映像も入り込んでおり、混沌とした世界を見せられた観客は何がなんだかわからないままに終わってしまう。でも結末はちょっと楽観的だった。アカデミー賞作品賞など4部門を受賞しているけど、凄さを理解するのに時間がかかった。

ティム・バートンのバットマン2作に主演をして一世を風靡したマイケル・キートンは、映画の内容と同じように結婚して女の子をもうけて離婚している。バードマンを演じたリーガン(マイケル・キートン)は、本当に現実とリンクした役柄なのだ。自分をそこまでさらけ出しているので、ハリウッドのヒーロー物の作品を皮肉るのも忘れていない。そんなリーガンには薬物中毒の娘サム(エマ・ストーンがおり、かなり奔放な生活ぶりだ。ブロードウェイで演じる劇の名前が『愛について語るときに我々の語ること』というもので、これも私生活と似通った内容だ。

劇の共演者が大怪我をしたので、代役を探してくると実力派俳優のマイク(エドワード・ノートン)がやってくる。こいつがまた好き勝手やり放題で、日焼けマシーンを劇場に持ち込んだり、セリフを勝手に変えてしまう。娘のサムはソーシャルメディアを使いこなし、パパのアイコンを勝手に作り出し投稿を始める。ドタバタが進めば進むほど、フォロワーは飛躍的に増えて動画の再生回数は跳ね上がる。娘のそんな助けを馬鹿にしているのに、父親はひねくれ者の批評家を丸め込もうとしている。言っていることとやっていることが、ちぐはぐなのだ。

ワンカットで撮影していると思える映像は、人物から外れるシーンでつなぎ合わせる高度な技法を使っている。つないでいることを意識させないように、撮影するのは大変だったと思う。リーガンの心の声である大きな鳥が時々現れて、本音を吐き出すのがとてもおもしろい。空を飛んでいると思ったら、実はタクシーで走っているだけだったというシーンも笑える。

実弾の入った拳銃が出てきたときにはどうなるかと思ったけど、ほんとうに鼻が吹っ飛んだだけだったのかわからない。どこまでが現実で架空なのか不明な点もある。どうもわてが思うには、あの場所からピストルを取り出したのは最後だけで実弾が入っていたのではないか。娘が病院の窓から外を見たシーンでは、父親の姿を確認していない。空中に人間が浮かんでいるわけがないので、空を見上げて微笑むのはおかしい。

一番見事だと思ったのは、パンツ一枚で劇場の外を歩いて表玄関から入りステージ上の芝居に参加するシーンだ。常識はずれの演出だった。革命的な映像体験だった。星4個。

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