最近は全く遊ぶことがなくなりましたけれど、昔は光栄のシミュレーションゲームをよくやっていたものです。そしてゲームにもよりますが、よく作中に「軍師」が登場して、何かを実行しようとする都度に成否を予測してくれたりします。能力によって予測の精度は異なるものの作中で「知力」が最高値の諸葛亮なんかは、100%正しく作戦の成否を教えてくれるわけです。能力の高い「軍師」がいれば何をやるにしても実行前に結果が分かるため、成功すると決まっているものだけを実行し、失敗すると分かっているものには手を出さないで済む、一切のムダのない戦略が可能になります。まぁ、時と場合によっては「何をやっても成功しない」状況に遭遇したりもするのですが、そうなったら守りを固めて好機を窺うだけです。
橋下徹・大阪市長は22日、2017年4月の実現を目指す大阪都構想の準備作業に関し、市役所で記者団に「個々の職員が『(目標までに)できない』などとメディアに向けて個人の感想を言うことは許されない」と述べ、職員に対して発言を控えるよう「情報統制」する考えを示した。
都構想は、5月17日に大阪市民による住民投票で成否が決まる見通し。橋下市長は市内部から構想に否定的な意見が出され、住民投票に影響することに神経をとがらせている。
市は今後、組織再編を想定した準備を始めるが、橋下市長は「市役所を一から作り直すのだから、無理な理由はいくらでも挙げられる。責任も権限もない職員が、あれやこれやと発言するのは組織としてあり得ない」と述べ、今後は自身が説明するとした。橋下市長は20日の幹部会議でも「職員は『できるように努力します』以上の発言はしないように」と求めたという。
何ともツッコミどころが多すぎて、どこに言及したら良いか迷いますね。まぁ、橋下のこういうところは非常に民間企業的と言いますか、上司の思いつきを実現させてあげるのが部下の役目、それが当たり前だと思っている人が自治体の首長になってしまった結果がこれです。「責任も権限もない職員」と橋下の頭の中ではそういうことになっているものの、実際に失敗の責任を背負わされるのは現場の担当者でもあります。橋下は橋下で、失敗の責任をどこかに見つけてさらなる改革を唱えるだけのことでしょう。偉くなる人というのは、責任転嫁の仕方を心得ているものです。
大阪維新村に限らず、普通の民間企業でも「できない」はNGワードみたいなものですよね。上司の思いつきに「できない」と回答すれば怒られるもの、そこは「できます」「やります」「できるように努力します」などの「前向きな」発言で応えるのが常識のある社会人というものです。結果としては失敗も相次ぐわけですけれど、ここでいかに自分の責任ではないとアピールできるか、原因として自分以外をいかに責められるか、そういう手腕に秀でた人が企業の中で生き抜いていくと言えます。橋下も民間企業に勤めていたら年長者を飛び越して取締役会にでも抜擢されていたことでしょう。そして会社は傾けるかも知れませんが、己の地位は守り抜いてみせるはずです。
確度に差はあれ、予測できる未来もまた多いわけです。何が可能か、何が不可能かを事前に判断できるものは少なくありません。そこで「不可能な」ことを回避しておけば損失を最小限にとどめることができます。失敗しているとわかりきったことに金と時間と労力を費やして多大な混乱を招くよりは、何も消耗させずに済ますのが賢い選択というものですから。「やればできる」と無責任に断言する政治家をヨイショする政党や新聞も多々ありますけれど、その結果として苦しむのは国民でもあります。安易な「できる」「やれる」に乗せられて失敗へと突き進むのか、それとも途中でストップをかけられるのか、どちらが賢明かは考えるまでもないでしょう。
>「『(目標までに)できない』などとメディアに向けて個人の感想を言うことは許されない」
>「責任も権限もない職員が、あれやこれやと発言するのは組織としてあり得ない」
のであれば、
>『できるように努力します』
と、“責任も権限もない職員”が言うのも同じく許されることではない、あり得ないことのはずなんですが……
自分の思惑に沿わない発言はNG、沿っているならOKという、見事なまでのダブルスタンダードですねえ。
こんな親方をもった市職員の方々を心から気の毒に思います。
あと、大阪観光局の局長がイベント損失を補填させられたケースもありましたよね。
そのくせ、WTCへの府庁移転の失敗や公募区長や教育長の不祥事などの責任を取ったとかは、とんと聞きません。(民主政治の必要なコストとか自分勝手な言い訳は一杯聞こえてきますが)
でもまぁ、民間企業でも割とよくあることだと思うんですよね。会社の幹部の思惑に添っているかどうかが全てで、失敗するとわかりきっていることを「できない」と言うことも認められない、そんなダメな会社のやり方を橋下は踏襲していると言えます。
>さらさん
結局、責任を取るのは部下の役目ですからね。部下は捨て石、上の人間の失敗の責任を負わされるものですから。まぁ、そこで責任を転嫁するのが上手い人だけが生き延びていく、橋下みたいなのが権限を手にするようになっていく、そういう仕組みが行き渡っているのでしょう。
私の地元では少し前まで”なんとなくクリスタル”な知事がマスコミの注目(のみを)集めておりましたが、もともと政治家に期待しない冷めた風土もあって、支持率は急落、県庁に混乱のみを残して姿を消しました。
それまでの田舎県政に飽き飽きしていた私を含めた多くの県民はスター性のある人間の登場に束の間の夢を見たのですが、結局「高い授業料を払わされた」という思いだけが残りました。
大阪の人々もそろそろ正気に返った方が身のためだと思いますが・・
結局、責任と同様で橋下市政に結果が伴わないことの非難もまた職員に負わされている結果でもあるのでしょうか。組織を混乱させても自分の評価は落とさない、そういう能力に長けた人を歓迎する、その偽りを見抜けないでいる人が多いのですね。
むしろ、大阪市の権限をさらに強化して府から独立した「特別自治市」を目指した方が、住民の支持を得られたのではないかと思います。
ただ「自治~」と言えば印象は変わりますけれど、日本における地方分権はナショナリストが旗を振ってきたところも多いわけです。自治の美名を掲げつつ実態は封建領主化する――そうなるのは最悪のシナリオですよね。