非国民通信

ノーモア・コイズミ

終わらせるのは続けるよりも難しい

2015-08-19 23:34:59 | 文芸欄

 この頃は本を買っても置く場所がないと言いますか、本棚を買う金はあっても本棚を無理なく増設できる広い部屋を借りる金はないので電子書籍で買えるものは電子書籍の方を選んでいるわけです。まぁ時に不便を感じつつも徐々に電子書籍メインになりつつあったりします。とはいえ世間の電子書籍の伸びは必ずしも大きくない、というより書籍というビジネスモデル自体が黄信号なので電子書籍が今後どれだけ広まっていくかについては懐疑的なところもないでもありません。

 それはさておき、とりわけ場所を取るマンガ本を電子書籍販売サイトで漁っておりましたら、あるマンガの売り文句に「連載開始から十周年」などと書いてありまして、色々と感慨深いものを感じました。10年以上の長きにわたって連載を続けているマンガは珍しくありませんがしかし10年以上もの連載期間を最初から現在に至るまで追いかけ続けている読者は、果たしてどれだけいるのでしょうね。少年少女の頃はマンガ好きでも、学校と同じでマンガも「卒業」してしまう大人は少なくないはずです。10年も同じタイトルで連載を続けていれば、初期のファンなんて大半は失せてしまっているのではないかな、と。

 会社の寿命は30年、なんて俗説もあります。現実には3年と保たない会社もあれば30年など遙かに超えて長く存続している会社もあるだけに、実態に近い表現に改めれば「事業の寿命は30年」くらいでしょうか。トヨタだって創業当初から車を作っていたわけではありません。富士フイルムの現在の主力製品は写真用のフィルムではありません。そして富士フイルムのライバルであったコダックは破綻してしまいました。私が昔バイトしていた家電量販店(当時)は倒産しそうになりましたが、中国人観光客向けの土産物店に業態を変えて随分と盛り返していたりします。まぁ、会社に寿命があるとは限りませんが、事業には寿命がある、変えていかねば生き延びられないものなのかも知れません。

 ……で、マンガの場合はどうなのかな、と思ったわけです。ある古株マンガ家が、今時のマンガ家志望の若者はキャラの設定を考えるばかりでストーリーを作れない云々と嘆いていたのを聞いたことがあります。でもまぁ、今時の編集部の要求に応えるには、それで正しいのではないかという気がしますね。元からできあがったストーリーでマンガを書けば、連載できる期間もストーリーに左右されてしまうものです。しかし「人気がある間は連載を続ける」という編集方針に合わせるためには、変にストーリーを練るよりもキャラ設定だけで話を作った方がやりやすいでしょう。

 一方で、それ故に「無駄な引き延ばし」と感じる展開を見るのは人気漫画の常となっているわけです。緻密に校正されたストーリーに基づいて話が進んでいくよりも、「人気がある間は連載を続ける」ためにダラダラと無駄に話が引き延ばされていく、そんなパターンが普通になってしまっているよなぁ、と。引き延ばしを止めて本気で話を作っていけば、もっと面白いマンガができあがるのではないかと、そう惜しまれることもあったりします。しかし、それをやってしまえば遠からず話が完結してしまう、人気があるのに連載が終わるという、編集サイドからすれば許容できない未来が待っているのでしょう。マンガ家からしても下手に新作へ乗り出して失敗するよりは……みたいなところもありそうですが、マンガ家あるいは連載作品の寿命はどれほどのものなのやら。

 

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