非国民通信

ノーモア・コイズミ

言われなくてもやるのが日本人、言わずにやらせるのが日本のリーダー

2017-04-16 23:01:54 | 社会

 いつの時代からか日本には「泣く子と地頭には勝てぬ」なんてことわざがありまして、それが現代に入ると「地頭力」なんて言葉が流行ったり(そして消えていったり)もしました。地頭力とは何だったのか、今になって思うと「泣く子」と同質の力だったんだろうな、と。言葉や道理が通じないからこそ、接する相手の方が折れざるを得ない、そういう関係を作り出す力はまさに、我々の社会でリーダーシップや交渉力などと呼ばれて評価されるものでもあります。そして地頭≒泣く子力の高い人に仕える部下は、相手の欲するところを言われる前に察して行動することが求められるのです。

 ほとぼりが冷めつつあるようにも見える森友学園問題ですが、これを巡っては「忖度」というキーワードが飛び交ったりもしました。まぁ、日本的リーダーシップとコミュニケーション能力の間柄にあっては、政治家や官僚組織に限らず普遍的に存在するものなのではないでしょうかね。とにかく日本社会においては「言われたことしかやらない」ことは絶対的な悪として何ら疑問を持たれることなく認識されているわけです。日本の良き社会人であろうとするなら「言われる前に」「自主的に」行動することが必須なのです。もちろん、己の意思ではなく上長なりの意図を察して、ですが。

 あるいは札幌市が配布している「発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント」と題された冊子の中身が話題になったりもしました。端的に言えば「具体的に指示を出しましょう」というだけのことなのですが、しかし「言われたことしかやらない」ことを絶対悪とする日本社会では、言われなくてもやるのが健常者であり、具体的な指示を出されないと行動しない(=上長の意図を察して「自主的に」行動しない)人は、まさに発達障害と同質の扱いになってしまうのかも知れません。似たようなものでは、指示されなかったことを「やらなかった」従業員をアスペルガー症候群の典型例として書いている本なんかも見かけたことがあります。

 「忖度」も然り、日本社会で選別されたエリート官僚ともなれば、「言われなくとも」上長なり権力者なりが心の中で欲しているものを察して、指示される前に行動を起こすのが常識になるわけです。総理大臣の身内が明確な指示を出さなくとも、その周りには「言われたことしかやらない」人なんていないでしょう。我々の社会のエリートたるもの、「自主的に」行動するのが常に決まっています。忖度した、忖度しない云々と論議する人もいましたが、忖度できないような人は発達障害なりアスペルガーなりと同等の扱いで就業機会から排除されている、少なくとも官邸周辺の権力に近いところで採用されているはずがない、そう思いますね。

 ちなみに普通の会社勤めでも、「制度上」残業は上長の指示・命令に基づいてやることになっていたりしますが、実際に上司から残業を命じられた経験がある人って、どれくらいいるのでしょうか。私は、記憶にありません。そして私の職場には残業せずに定時で帰った社員のことを延々と罵り続けているような人が複数名いますが、しかし上司として残業を命じている場面を見たことはありません。まぁ「言われなければ(残業を)やらない」のは社会人として失格、言われなくとも「察して」残業をするのが当然のことと、そう考えられているのだと推測されます。

 こういう日本の文化のメリットとしては「権力を守ることが出来る」辺りが挙げられるでしょうか。上長が明示的に指示を出したわけではない以上、その結果として問題が発生しても言い逃れが出来る、会社が守られるわけです(日本によくある「追い出し部屋」を使っての退職強要なんかも、この辺に起因すると言えます)。官邸周辺も然りで、明示的に指示を出さずに忖度させることで権力者を追及から守れるようになっているのですね。権力者が己の責任において人を動かすのではなく、意図を察することを求める、そんな関係を押し通せる力こそが、我々の社会で高く評価されています。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヤミの小田原方式 | トップ | コミュニケーション能力社会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事