介護離職 親の年金で暮らすと「後」が絶望的(PRESIDENT Online)
「今は親の年金でなんとかやっていけるけど、介護が終わった(親を看取った)時点で無収入になってしまう。それが不安で仕方ないと切々と語るんです。介護に追われる日々も大変ですが、皮肉なことにそれから解放された途端、自分自身の生活が行き詰ってしまう。そうした絶望感を抱えながら介護をされている方が数多くおられます」
(中略)
最も深刻なのは、やはり老親の介護をひとりの子が担わなければならない状況です。
いろいろな介護サービスに利用するにせよ、大半の世話をするのは自分ひとり。経済的に余裕があれば、親を説得して介護付き有料老人ホームなどに入所させることもできますが、それが可能なのは限られた人だけです。
結局、在宅で自分が主体となって介護をすることになる。前回、触れたように仕事と介護を両立させるのは困難であり、離職を選ばざるを得なくなるというわけです。
親の介護を兄弟姉妹の誰か一人や配偶者に押しつけていられる人は平気ですが、そうでない人は大変です。今や介護離職は自民党政府ですら深刻視する差し迫った課題であり、無関係でいられる人は少なくありません。仕事だけですら過労死する人が出る現状、それと介護が両立しようはずもなく、親を見捨てることのできない人は離職を余儀なくされてしまうわけです。そして離職すれば当然ながら本人の収入はなくなる、生活費はもっぱら「老親の年金」と言うことにもなってしまうのでしょう。
とかく悪玉視されがちな高齢者向けの福祉ですが、その多くは無理解と誤解に基づいているようにも思います。このブログでは何度となく指摘してきましたが、結局のところ老いた親がいれば支える子供もいると言いますか、高齢者が受給する各種の福祉は現役世代にとっても補助的な役割を果たしているのです。もし年金がなかったのなら、定年を過ぎて収入のなくなった親の生活費を負担するのは誰でしょうか? もし高齢者の医療費が優遇されなくなったのなら、親が入院などして医療費が嵩んだときに子は無関係でいられるでしょうか?
世の中には親子の縁が切れている人もいますし、子供の世話になるのは心苦しいと無理をする高齢者もいます。とはいえ、多数派はやはり「子が親の面倒を見る」ケースです。そこで各種の福祉が充実していれば、面倒を見る側の現役世代の負担も多少は軽減されることでしょう。しかし世の中には、高齢者向けの福祉支出が社会的な重荷ひいては若年層の負担であるかのように語る人もいるわけです。曰く「爺婆が若者を搾取している」云々。まぁ、いずれは親の面倒を見るという現実を全く想像できない子供にとっては、頷けてしまう話なのかも知れませんが。
公的な福祉に頼るのではなく、あくまで家族間で助け合うべきだと、そう唱える人が年金その他の福祉削減を説くのは、全く賛成はできませんが異論としては尊重できます。公的サービスをスリム化すれば家族の負担が増えるという現実を隠蔽するものではない、一応は現実に向き合った見解ですから。税金を投じた公的な福祉か親族の扶助か――疑いようもなく前者が効率的であると私は考えますが――後者を選ぶのも異論としては認められるべきなのでしょう。それは争点として成り立つものです。
逆に争点として成り立たない、異論ではなく単なる妄言として切り捨てられるべきなのは、高齢者向けの福祉を現役世代の負担と印象づけたがっている類いの人々ですね。確かに年金や医療費を削減すれば、現役世代が支払う保険税は軽減できるかも知れません。しかし、現役世代が高齢者のために(と言うより、自らの親のために!)負担するのは保険税だけではないわけです。目先の負担軽減は別のところにしわ寄せが行くだけ、その煽りを受けるのは現役世代であり、若者でもあります。福祉の削減は、まず自分の親が福祉の世話になるであろう現役世代を脅かすことでもある、にもかかわらず高齢者向けの福祉を悪玉として描き出す、そんなペテン師の言葉は、一顧だにせず排除されるべきものと言えるでしょう。