ドラッグディーラーと暮らした日々。

些細な事からドラッグの世界へ足を踏み入れたアヤの回想日記。面倒くさいのでフィクションということで・・

クラブ通い 1

2007-03-14 03:43:51 | Weblog
結局別れた後も、ずっと一緒にいた私達。

周囲の人間は私達が別れたことも知らなかったし、でも、その頃から私だけは少しずつ変わり始めていた。

結局Henryとはいつかは終わりになる。

なら少しずつ、彼のことを好きになるのを抑える努力をしようと。



その頃から、私はクラブ通いが始まった。

最初は女友達とHiphopのクラブへ行っていた。

することと言えば、いい男を見つけて音に合わせて踊ってるだけ。

特に楽しくもなかったけど、友達と一緒にお酒を飲んでるのは楽しかった。


ただ5月のある日、私たちは一軒目のクラブだけでは満足できず、After Hourクラブへ行った。
(*アメリカでは午前2時~午前6時までのお酒の販売は禁止されているので、午後2時で閉まるクラブが多い。特にHiphop系のクラブ。)

同棲生活8」でも書いたクラブだ。

いわゆるレイブクラブで、3つの部屋でトランス・ハウス・Hiphopを流している。

だいたいトランスかハウスルームにいる人たちはエクスタシーをやってるので、お酒を必要としないので、お酒販売が終了したあとも人が減る事はない。だから開いてるのだ。

相変わらずセキュリティは厳しく、3時頃そのクラブに私と友達は入る。

目的はHiphopルームだった。

私と友達は1時間くらい踊るが、友達が疲れたからソファーに座って待ってる。というので、私は彼女をおいて、フロアにでる。

そんな時、となりのトランスルームから激しいベース音と電子的な攻撃的な音が聞こえてくる。

私はトランスルームの入り口に立って、その光の渦と狂ったように踊る人々を眺めていた。なんだか体がベース音と共に波をうつ。

そんな時、ある男の人が私の手をとってフロアへ引っ張り出す。

そして私も一緒に踊る。



音が気持ちいい。


20分くらい踊り続け、私はその男の人と電話番号を交換して友達の所へ戻った。

Victor、この時から私達は一緒にトランスのクラブへ行くようになった。

別れ。

2007-01-27 09:33:05 | Weblog
Henryのビジネスが忙しくなっていくにつれて、私と過ごす時間が少しずつ減っていった。

5月に入り、冷房のない私の部屋も暑くなってきて、我慢できないHenryは冷房つきの自分のアパートを借り、それもあって、2人で過ごす時間が減ったのもある。


昼間も夜もHenryは売り上げをあげるためにいつも客の所を出歩きまわっていた。


客の所へ行って、新しい草が手に入って、すごいイイ物だから一緒に吸おうと促す。

そして客も味見して、気に入る。

そして、ハイが切れてきた頃に客が、さっき奢ってくれたから、じゃぁ今度は客側のゴチで、ってことで、客の草を吸う。

んで、草も減り、ちょうどいい草を持ったディーラーが目の前にいる、ちょうどいい機会だから、買っておこう。



となるのだ。


いつもHenryは
「客は客、友達じゃない。」
と言っていたが、その頃の私には、自分以上に友達と過ごす時間の方が多いHenryに不満が募っていき、寂しくて、苦しくて、自分から別れよう、と告げた。



それでも私は好きで好きでたまらなかった。

私は嫌いになって別れを決意したわけではない。

ただ、ここで踏みとどまっていても、幸せはやってこないと思ったから。

Henryだって、私のことが嫌いなわけではなかった。


Henryは「俺は一度別れたら、絶対に元に戻らないからな。」といい、私はそれに号泣しながら頷いた。



そして、最後に

「もう1度一緒にビーチにいって、一緒に吸いたい。」

といって、夜中、私たちはビーチへ出かけた。


砂浜を歩きながら、マリファナを吸う。

私は号泣しながら、海を見つめていた。

そして、黙ったまま、私達は車へ戻り、アパートに戻る。


アパートの駐車場に車をとめ、

「じゃぁね。」といい、自分のアパートの方へ戻ろうとする。



その時、Henryが、

「うちに来るか?」という。


私はすごく迷った。

絶対にHenryの部屋に行ったらセックスして、またずるずると関係が続いてしまうのは分かっていた。


Henryがもう一度言う。
「ほら、うちにおいでよ。ね?」



結局私は誘惑にまけて、そのままHenryの家に行ってしまった。

そのまま週末にかけて、ずっと私はHenryの家に居て、まるで何事もなかったのように、昔と同じ生活が続いていた。

High Times

2007-01-27 09:15:52 | Weblog
「High Times」という雑誌をご存知だろうか?

出版元はオランダなんだか、カナダなんだか、よくわからないけれど、とにかくマリファナが完全合法の都市だってあるわけで、そうなるとまるで車のようにカンビナスカップという世界一のマリファナを決めるコンテストがあったり、色々な新種の紹介、育て方、すごい枝っぷりマリファナのグラビア、そして育てるための備品なんかの広告が載ってたりする雑誌も存在するわけだ。

それがHigh Times。


それをHenryがコンビニで買ってきたのだが、読んでいると結構おもしろかった。




Henryのビジネスはというと、4日~1週間で1ポンドがなくなっていき、ものすごいお金を稼いでいた。

「留学生」というのは、国に勉強しにきたわけであって、本当はお金を稼ぐことのできない身分である。しかも、妙に銀行口座から毎日のように何十万という単位でお金を引き出されたり、振り込まれたりするのは明らかにおかしいのであって、そのためHenryはいつも現金を私の部屋が、持ち歩いていた。

車を買った後でも、すくなくとも50万前後はいつもあったと思う。


とにかくいつも現金の札束を持ち歩いていた。

そして、その札束が厚くなっていくたびに、本当に嬉しそうに私に見せつけ、大きな取引が終わった後はだいたい

「ゴハン食べに行くぞ!」といって、お寿司屋さんに連れて行かれていた。



それがHenryとの思い出で一番印象深い。

Requiem for a Dream

2006-12-08 14:16:29 | Weblog
4月のある夜、

「Requiem for a Dream」という映画を見た。



医者から処方されるダイエットピルに覚せい剤が入っていて、知らないうちに中毒になってしまう母親。

そしてその息子と彼女と親友も夢のためにドラッグディーラーをしてお金をためていたけれど、次第に3人とも覚せい剤に手をだし、依存し、結局貯めていたお金にも手を出し、それも底をついて、

全ての人生の中心がドラッグを買うことだけになっていく転落の人生を描いた作品。

女は体を売り、彼氏もそれを黙認し、ドラッグを買うだけのためにアメリカ横断旅行にも行く。


最後は、一人は精神病院行き、一人は腕を切断、一人は刑務所、そして女は売人の所へ行って、体の代わりに覚せい剤を手に入れる、

という結局、ドラッグをやっている人間に明るい未来はない、っていうストーリー。



重ねたくても、その時の自分を重ねてしまった。


ドラッグディーラーの女の私。

ドラッグのために付き合ってるわけじゃないけれど、一度も自分の吸うマリファナにお金を払ったことはない。


痩せたいから、痩せるまで1ヶ月だけでいいから、覚せい剤やって痩せたいって思ったこともある。



この映画を見た後、とても後味が悪く、「絶対に覚せい剤はやめよう、ううん、ケミカルはやめよう。」って思った。

そして、Henryとも彼の昔の話とか、私たちの周りにいる覚せい剤のお客さんたちの話なんかをした。

みんなはまってない、っていうけど、絶対に依存症状がでている・・・なんて話を。。


そんなHenryだって、一時期覚せい剤ユーザーだったわけであり、

そして、エクスタシーをやっていたころは、ストレートに覚せい剤を服用していたわけではないが、

彼のやっていた頃のエクスタシーに100%ピュアのMDMAがあるわけがないわけのであって、10個のうち9個の錠剤に多かれ少なかれ覚せい剤が入っていたと思う。



本当に私達は、Henryが依存する前に止められたことに感謝するばかりだった。

Henryの過去

2006-12-05 13:51:53 | Weblog
Henryは台湾で生まれ、11歳の時にアメリカに引っ越した。

親はNYにある私立の全寮制の学校へ彼をいれたが、それが間違いの元だったのだろう。

私立の全寮制の学校といえば、しかもNYにあるといえば、それはもうお金持ちのご子息・ご令嬢が集まっているような学校だ。

つまり、自由になるお金もたくさんあり、そして寮の限られた空間内で楽しむこととなれば、それはドラッグしかなかった。


Henryは13歳の時からマリファナを吸い始め、色々なドラッグを少しずつ覚えていき16歳の時からマリファナを毎日吸うようになった、と言っていた。

ただ、17歳の時1年間、寮でドラッグテストが毎月あったからその時はやめていたらしいが・・・。


そして18歳、高校卒業後に、Burnesに来た。

こっちに来てからもマリファナや時々エクスタシーを楽しむくらいだったが、20歳の夏、新しいルームメートができた時、その彼がドラッグディーラーだったことから薬が手に入りやすくなったらしい。

その頃から夜になるとエクスタシーを毎日やる日々が続き、週末はレイブへ行ったり、家では家なりに楽しんでいたらしい。

まるで本当にキャンディのようにエクスタシーをキメていた、といっていた。

暇だから、何もすることがなくなると、ただ、キャンディのように口に入れる。

ピークが過ぎると、4分の1を砕いて、鼻から吸い込む。



が、そのうち友達がコカインをHenryへ教え、Henryはコカインにはまった。
彼いわく、エクスタシーはキメると体も頭も幸せでうまく動かない、ただ、コークは同じなのに、頭で物事を明快に考えられる。だから、エクスタシーほど、バカになった気分にならない、その気分がよかったと言っていた。

そのままAcid・LSDを体験し、21歳の夏、1ヶ月間クリスタルメス(覚せい剤)にはまったらしい。たった1ヶ月だったけれど、1ヶ月でも普通の人がやる2倍の量をやったらしく、でも、依存しそうだったから止めたらしい。

その頃は1日に100ドル以上、ドラッグにお金を使っていたらしく、その頃からドラッグディーラーを始めた。


21歳の夏を境にマリファナ以外のドラッグを止めたのだが、その理由はいろいろあったようだが、

一つはエクスタシーでバッドトリップしてしまい、一人でクローゼットの中でおびえたこと。

一つはクリスタルメスに依存しそうだったから。

一つはある夜、3.8gのコークを終わらせてしまい、ドラッグいれのビンを覗いたら、マリファナ・マジックマッシュルーム・エクスタシー・メスが入っていて、エクスタシーを選んだらしい。
それが思いのほかにキマってしまい、あまりに天国に近づきすぎたから。





とにかく何事もHenryはやりすぎるたちなのだ。。

大取引 と 輸出  その後。

2006-12-04 16:21:15 | Weblog
取引があった4日後、私とHenryはPatricの家へ遊びに行った。

Ronaldはまるで別人のようだった。

ヒゲをそってなかったからかもしれない。

でも、4日間薬漬けになると、こうなるものなのか・・・?と思った。

コーク・エクスタシー・マリファナ、とやり続けていたようで、あと3日間の滞在中にコークを終わらせられないからと、私達にも一緒にやろうよ、と何度も何度もしつこく誘ってくる。

でも、Henryはきっちり断り、

「アヤにはケミカルやらせたくないし、誰かが目の前でやってるのも見せたくないから、お前たちがやるなら帰る。」

と言ってくれたのがなんとなく嬉しかった。

「こいつにはマリファナだけで十分だ。」

と笑っていたけど、そこには十分彼の愛を感じた。




正直、私はあまりコークには興味なくて、もしも誘われてもやらない自信はあった。

ハイの時間が短いコークをやる意義が私には見出せなかったし、エクスタシーとは違って、まだやった時の幸せとその後の苦しみを知らない新しい一歩を踏み出したくなかった。

半年たったこの日、まだエクスタシーをやりたいとは思っていた。

でも、前みたいに体が覚えている感じではなく、よくなってきている気はした。



その後、1週間ほどして、Ronaldが輸出に成功したという話を聞いた。

股間に150錠ずつ、右足と左足にくくりつけたそうで、何事も問題なかったようだ。

その後、彼の話を一度も聞かなかったが、今でも元気にしてるといいな、と時々思い出す。


大取引 と 輸出

2006-12-03 21:46:41 | Weblog
4月の頭、すごい大きな取引があった。

まず朝出かけて行き、Henryは4オンスのマリファナを友達に850ドルで売った。



帰ってきてから、私と一緒に隣町まで行き、400錠のエクスタシーを仕入れる。

「PL」という刻印の紫と白のエクスタシーで、Henryは「Pure Love」と呼んでいた。

結局1500ドルで400錠、つまり1錠3.75ドルで仕入れ、あと、少量のコカインを仕入れ、そのままSF市内のPatricの家へ。

Patricの友達、Ronaldが韓国から遊びに来ていて、エクスタシー、300錠を韓国へ輸出するためにアメリカにきたのだ。


4人でマリファナを吸いながら取引が始まる。


私はすぐにハイになっちゃって、見てるだけだったけど、みんなが囲む机の上にはエクスタシー300錠、コカインのパッケージ、マリファナ2オンスが置かれ、あまりの取引の大きさに、また何か新しい一線を越えてしまった気がした。

結局1錠5ドルで300錠1500ドルで取引した。

それをRonaldは韓国へ帰って、1錠100ドルで売るらしい。
あまり韓国のドラッグ事情はしらないが、とにかく日本よりももっと高くて、もし彼が韓国への輸出に成功して、全てを売ったら30,000ドル、およそ360万円の売り上げになるということだ。

私は彼が今回成功して、お金を使い切ったらまた戻ってきて、今度は500錠、次は1000錠とどんどん増えて、捕まるまで止められないのだろうな、なんて思って心配になった。


取引が終わって、グダグダお喋りをしていたのだが、急にPatricのドアがドンドンと叩かれる。

誰も来る予定がなかったので、え、もしかして警察・・・?と私達は焦り、
急いでソファーの下に全てのドラッグを隠す。

私は完全に真っ青になってしまい、マリファナでハイだったのもあり、心臓が異常にバクバクしていた。

Patricがドアの方まで行き、「開けるよ?」といいドアを開ける。

そしたら、ただの近所の住人が突然遊びに来ただけだった。


それからというもの、ボロボロのPatricの家のドアがきしむたび、そのたびにビクっとしてしまい、なんとも言えない微妙な緊張感と居心地の悪さで、私は早く家に帰りたくて、本当はこの後Henryと市内でデートするはずだったが、結局トランクの中にはまだエクスタシー100錠も残っているわけで、居心地の悪くて、すぐに家路についた。

家に帰って私を部屋に連れて帰ってから、Henryはそのまま100錠のエクスタシーを売りに行って、そのまま12時頃帰ってきた。

結局計算してみたところ、4日間でHenryは1ポンドのマリファナをさばき終わり、2000ドルほどの利益を出していた。

同棲生活 8

2006-12-03 20:48:33 | Weblog
仕事から帰ってきた夜、Henryとボーっとくつろいでいたら、12時頃友達からクラブへ行こう!って電話かかってきて、暇していたので行く事になった。

12時半ころ家を出て、1時半頃、ダウンタウンにあるクラブへついた。

ここのクラブは前に書いたクラブでの射殺事件があったクラブ。
それだけでなく、何部屋もある、トランスやハウスミュージックを流す比較的大きなクラブ、いわゆる「レイブクラブ」。

入り口でのセキュリティチェックはものすごく厳しく、金属探知機と全身タッチで脇、腰回り、股、足のつけねまでチェックされるという徹底振りだった。


もちろん何も悪いことをしていない私としては、かえってセキュリティが厳しいのは安心できる。
しかも、普通、アメリカはお酒を朝2時から6時まで売ってはいけないので、2時にしまってしまうクラブが多い中、「レイブクラブ」は基本的に2時以降、「水」と「エナジードリンク」を売って、それでも採算が取れる、というのは、客のほとんどがドラッグをしているということだ。

このクラブは朝の7時まで空いている。



私達はセキュリティーチェックを受け、中に入って、まずお酒を飲む。

ここのクラブは3つフロアがあって、Hiphop、トランス、ハウスの部屋があった。

うろうろしていると、友達に会って、Hiphopのフロアで踊った。

少ししてから、ハウスフロアに移る。

ここのフロアは完全にドラッグをやっている人で埋め尽くされていて、水のボトルを持って踊っている人か、ブースでだらけきっている人がほとんどだった。


結局4時頃クラブを出たのだが、印象的だったのは、ハウスのフロアにはものすごい数の老人がいて、みんなエクスタシーを楽しんでいた事。

なんというか、そんな大人を見ているのはとても悲しくて、そんな大人にはなりたくない・・・ととても思わされてしまった。

やっぱり大学卒業と共にドラッグも卒業しなくては・・・ととても思わされた。

同棲生活 7

2006-11-15 18:06:39 | Weblog
4月の始め、春休みがあった。

春休みといっても、アメリカの春休みは1週間~10日、と短い。

旅行に行く人も多いし、実家へ帰る人もいる。

がたいていは近場に遊びに行って、後は家でダラダラしている人が多いというのがお金のない大学生だ。


だから、そんなダラダラしている人は家にこもってドラッグをやっている人が多く、そんな春休みはHenryにとってはとっておきの儲け時であった。


そんな中、昔ここ、Bernesに住んでいたある兄弟が実家がこっちにあるので、帰郷してきた。

2人とも、UCLA(カルフォルニア内ではNo1,2を争う有名大学)に行っており、ものすごいイケメン兄弟だ。

その二人がHenryに注文の電話をしてきた。


「おまえ、ヘロイン、手にいれられるか?」

Henryはビックリして、

「お前、ヘロインにまで手だしてるのか!?俺だってやったことないぞ!」

「時々なら大丈夫だよ。で、手に入るのか?」

「いや、手に入らないこともないけど、取引できないよ。手に入る場所教えてやるから、自分で行ってくれ。」

と電話を切った。そしてHenryはその兄弟について教えてくれた。



二人は23歳と21歳。アメリカ生まれの中国人と白人のハーフだ。

2人とも、大学2年生までは私達と同じ大学にいて、3年生からUCLAに編入したらしい。

2人ともドラッグに関してはヘビーユーザーで、勉強のためにクリスタルメスを使うような兄弟だった。

マリファナ・エクスタシー・アシッドは日常茶飯事で、特に兄の方は一度エクスタシーをきめた際、病院へ運び込まれ、一時記憶喪失になってしまったらしい。

今でも定期的に病院へ通っているらしいが、2人とも学校の成績も良いので危機感を感じてないのだろう。

きっと良い付き合いができてると思っていて、

2人ともまだドラッグをつづけている。



そんな2人に私も会った。

2人とも痩せすぎているわけでもなく、噂通り外見もよく、とにかく見た感じ普通の好青年だった。

が、話していくうちに少しおかしいのが分かった。

少し前に話した事を忘れていたり、同じ話を1時間起きくらいにするのだ。



Henryは2人に注意を促していたが、きっと2人は本当に彼らの体が壊れるまで、または警察に捕まるまで、やめることはないんだろうな、と痛感させられた。

同棲生活 6

2006-11-15 15:17:38 | Weblog
3月の20日くらいだっただろうか。

どうやらこの間仕入れた1ポンドを全部売りさばいたらしく、週末にまた新しくQP(113g)を仕入れに行った。

帰ってきて、一緒に吸ったが、この間と同じか、それよりもマインドハイが少し多い気がした。


前にも書いたと思うが、同じ「マリファナ」といっても、所詮植物なので、育て方や交配、品種改良で恐ろしいくらいの種類が世に出回っている。

おそらくスカンク・ブルーベリー・ホワイトウィドー・・・こっちの世界に首を突っ込んだ人ならば、一度は聞いたことある有名品種だろう。


もちろん匂いや色、そして吸った時の味、そして、得られるハイも全く違う。


通常得られるハイを二つに分けるとしたら、ボディハイかマインドハイだ。


ボディハイは、体がずどーんと重くなって、ストーン状態。つまり「石の様に固まる」という感じ。動く事が億劫になって、自分では早く動いてるつもりでも動けてないことが多い、という感じである。

それに引き換えマインドハイは、どうでもいいことに対しても笑ってしまうくらい、頭が軽くなった気分にさせられるハイだ。悩み事を忘れてしまい、5分前に考えていた事さえも忘れてしまい、ただただ脳みそが飛んでいる、という感じ。だから、結構動く事も可能だ。


ほとんどの品種がどちらのハイが混ざっているが、その割合で人によって好き嫌いが決まる気がする。

特に初心者は「マインドハイ」を感じるよりも、「ボディハイ」を感じることの方がわかりやすいので、「ボディハイ」を好むことが多い。
私もそうだった。


Henryは完全に「マインドハイ」を得られるマリファナを好んで吸っていた。


次の日、Henryは今度はケミカルを仕入れにいった。

学校から帰ってきたら、いつもの棚に、エクスタシー10錠と白い粉の入った小さい袋がおいてあった。

エクスタシーは「RB」という刻印の青い錠剤で、「RB」の由来はよくわからない。

「R&B」と呼んでる人もいれば、「Root Beer」、「Rolling Ball」と呼んでる人もいる。
もしかしたら、デザインした人が「Robert Brown」とかいう名前だったのかもしれない。

由来なんて、製造した人にしかわからない。


どうやら7ドル/錠で仕入れたらしく、$15/錠で売るといっていた。


白い粉の方はコカインらしく、一体それがどれくらいの量なんて、私は知ったこっちゃなかった。


ただ、いつも、いつの間にか気づくと棚の中からは消えていた。