テーマ:九州発見♪(524)
カテゴリ:九州ぐらし
久留米の町の中をちょっとさるいてみました。
「さるく」とは歩くの意味の筑後地方の方言です。 篠山町(「しのやままち」ではなく「ささやままち」と読ます)の方へさるいてみました。 この大きな建物は、 久留米大学病院。いつも患者さんが多い病院です。 こちらが、久留米城址(→→→こちらです)の入り口です。「久留米の桜の名所、全部見に行く」シリーズの時に訪れた時の写真です。 入り口のところには、説明板がありました。 筑後川に接する葦や笹が生えた「笹原」と呼ばれた低湿地に南から突き出た海抜10m程度の高さの舌状の微高地が久留米城のあったところです。「篠山」とは、その先端部に位置する小高い山(海抜30m程度)のことで、笹(ササ)が生い茂っていたので自然に「ササヤマ」と称されるようになったと言われています。 そんなわけで、久留米城は別名、笹原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城と呼ばれています。 こちらは、明治10年(1877年)、本丸御殿跡地に建造された篠山神社です。久留米藩の歴代藩主、有馬豊氏(初代藩主)、有馬頼徸(第七代藩主)、有馬頼永(第十代藩主)、有馬頼咸(第十一代藩主)、有馬頼寧(十四代当主)の5名が祀られているそうです。 なぜか建立されている聖徳太子の立像。 菊歩兵第五十六連隊とは、久留米に配備駐屯された連隊で、第二次世界大戦では、開戦劈頭のマレー作戦に参加し、その後ビルマ(今のミャンマー)に移動し、連合国軍の中国への補給路を断つ「断作戦」に参加、そして昭和20年には、メイクテーラー会戦に参加し、甚大な損害を受けるも、後退してシッタン方面の防衛に当りながら戦闘に参加し、ニャンカン附近を防衛中に終戦を迎えたそうです(→→→こちらです)。 久留米城址から臨む筑後川です。 こちらは筑後川を渡る新幹線と在来線の橋梁です。 この建物は、筑後城址にある 有馬記念館です。有馬記念といっても、年末の競馬レースのことではなく、郷土資料の調査・研究を目的に当時の株式会社ブリヂストン社長・石橋正二郎より1960年(昭和35年)に寄附されたものです。 なお、競馬の有馬記念は、有馬家第十四代当主であり、農林大臣や日本中央競馬会第2代理事長を務めた有馬頼寧氏を記念して創設されたレースです。 【つづく】 人気ブログランキング 久留米の町さるき(その3)篠山町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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