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2018年06月02日

『天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』岡 南

『天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』岡 南

 認知の方法を著者は二つのタイプに分ける。頭の中の映像を使って思考する視覚優位と、言葉を聴覚で聴き覚え、理解し、思考する聴覚優位とに。これらの特徴は普通の人々にもあるが、発達障害ではその偏りが強くなる。著者は「偏り」を「優位性」とポジティブに表現する。自身映像思考の著者が室内設計家として成り立つように、「偏り」を逆手にそれに適した職業に就くことも可能だからだ。

 本書では視覚優位のケースとして建築家アントニオ・ガウディが、聴覚優位のケースとして児童文学者で数学者のルイス・キャロルの事例が詳しく紹介され興味深い。

 視覚優位で映像思考に偏った人は、ものごとを全体的に把握すること、それを同時に並行処理する能力に秀でる。ガウディはその建築デザインにおいて、全体の中の個々の関係性を重視し、そこから新たな発見を生み出した。

 視覚優位の人にとってこの全体優位性がいかに大切かということを、著者はその指導方法を誤る時の危険性として触れている。すなわち、視覚優位の人は、瞬時にその製作方法を理解することができるのに、いちいち細かいところまで言語で指示されると、自分がそこまで言われないと理解できない人間として扱われているように感じ、不愉快になり、意欲を削がれてしまうと。

 一方、聴覚優位のキャロルは耳から入る音声とその言葉の意味が分離している。それによって思いもかけない同音異義語を噴出させ、ストーリーを展開させる。また、彼の作品には、色彩の乏しさ、人の表情の表現がないなど、聴覚優位であるがゆえの特徴が見られると指摘される。

 さて、私はどちらの偏りを持っているだろうか。表現するということでいえば、映像表現と文章表現のどちらを得意とするかということと関わるだろうか。この二者選択は私にとって未だ容易に解けない課題としてあるのだが。

『天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル』
著者:岡 南
発行:講談社
発行年月:2010年10月7日


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