五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

今日の朝焼け

2014年08月19日 | 第2章 五感と体感
我が家の玄関先に出ると朝日を拝むことができます。
今朝は久しぶりに美しい朝焼けを観ました。
東雲(しののめ)に昇る寸前の太陽の光が神々しく雲の背後に当たり、まるで仏様の後輪のようでした。
秋の風情が漂い出すと、庭の萩もそよそよと歓び揺れるようになってきます。

夏休みもそろそろ終盤です。
家事に忙しいお母さんも段々と学校が始まるのが待ち遠しくなる頃でありましょう。

小説「星と祭:井上靖著」では、主人公の架山が「人が思わず手を合わせ拝むことの意味」を考えてゆきながら、いつしか頭を垂れ手を合わせ魂を祈る情動が自ずから湧いてくる自分となっていくのです。
信仰とはそういうものかもしれません。

軍師黒田官兵衛も理不尽な戦乱の世に居ながら、畏れ祈る体感の境地を得ていきます。戦国時代に名だたる武将がカトリックの洗礼を授かることは、次々と南蛮寺が建てられ、今よりもキリシタンが多かった時代だったとしても、きっと腑に落ちる体感無くしてはあり得ないと思います。

井上靖は小説の中で「永劫」を二人の父親を媒体に表現することを試みたように思います。
自問自答の中に現れる娘みはるが、もう一人の自分であることを受け容れる頃に架山の心に永劫という言葉が浮かんできます。
何故、小説の主人公が十字架の「架」の架山なのか。。。
この字に籠められた贖罪が永劫という観念に救われて悔過(けか)へと導かれていったエンディングに著者自身のカタルシスの体感が表現されているようにも感じました。
「星と祭」の小説には、星ではなく月があり、祭ではなく祀りがあることを読み取ると、この隠喩的なタイトルに著者の魅力を改めて思うのでありました。

今朝の日の出の来光に手を合わせながら、また近江に思いを馳せるのでありました。

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