大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 4月25日 歩道橋

2018-04-25 12:36:35 | A,日々の出来事_








  日々の出来事 4月25日 歩道橋







 今日は、歩道橋の日です。
今日、大阪駅前に日本初の歩道橋が完成しました。(1963年4月25日)
この歩道橋の下のある横断歩道は、日本一、渡る人のスピードが速い横断歩道です。
赤信号の時から、もう、前のめりで、中には見切り発車する選手もいます。
そして、この歩道橋から、下の横断歩道を渡る人のスピードをストップウォッチで計る事が出来るのです。
























☆今日の壺々話













     歩道橋








 母親は東大出の学者で大学教授、専門分野では今では結構名の知れてる博士。
父親は高卒で町のクリーニング屋の3代目でチョイワルぶってる親父、かなりの格差婚。

親父は、若い頃はワルで馬鹿だったけど、ちょっとハンサムってことで商店街では人気者。
母親は、頭がめっちゃ良くて、良い学校に特待生で入学したりと、地元の期待の星だった。

 年が同じで、実家が近所だったが(ちなみに東京の下町)、別に幼なじみというほどでもなく、親父にとって母親はずっと高嶺の花の憧れのお嬢様で、恥ずかしくてまともに口も聞けなかったと。

 時は流れ、両親26歳のとき、院生だった母親に病院長の息子とかのお見合い話が来た。
その頃はもう真面目なクリーニング屋だった親父は、その噂を聞いて大ショック。
「失うものは何もない」と覚悟を決めて、母親に猛アタックをかけた。

 母親はまだ結婚するつもりなんてなかったし、よく知らなかった親父からの突然のストーカー行為(当時そんな呼び名なかったそうだが)にも困っていたが、ある日、家の近くの歩道橋の下で親父が待ちぶせしてたら、やってきた母親がそれに気をとられて階段で足を踏み外したんだそうだ。

すかさず助けに入った親父、落ちてきた母親を見事受け止めたが、自分は地面に顔面を思い切りぶつけて前歯が4本折れた。

父親が差し歯を光らせながら曰く、
「 そこで自分の身を犠牲にして守ってくれた父ちゃんに、母さんは惚れてしまったんだ。」

母親こっそりと俺だけに曰く、
「 顔がそこそこ良いのだけがお父さんのとりえだったでしょ?
 それを傷物にした以上、責任を取らないといけないと思って…。」

半年後に結婚。

そういうことだそうです。

 美人というわけではありませんが、バリバリでかっこいい自慢の母親です。
そして母親があの世代の女性としては珍しく学者として成功できたのは、自営業の親父が家を守って支えてきたから。
母さんがドイツの大学に3年間赴任した時は、俺と2人で寂しそうだったけど頑張って強がってた。
そんないつもかっこつけてる父親のことも尊敬しています。

だけどな両親よ、

父親「 せっかくの母さんの遺伝子だったのに、俺が馬鹿なせいでお前が…。」
母親「 ごめんね、お父さん似の顔に産んであげられなくて…。」

と、まったく別々に申し訳なさそうに言われた時はかなり傷付きました。





















阪神高速









十年以上前だと思う。
大阪のFM局で、阪神高速の道路情報が立て続けに流された。

「 阪神高速○○線××付近で豚二頭が逃げ出し、……。」
「 阪神高速△△線□□付近で大量の米が落下し、……。」
「 阪神高速☆☆線★★付近で積荷のキャベツが落下して、……。」

思わず『トンカツ定食か…』と呟く。





















危なくなった君へ











 俺、数年前半年デスマーチが続いて死にたくなった事があったよ。
毎日会社行ったらクライアントが来て、職場の椅子に座ってんのね。
そん時向かいの席の先輩が客先に人質になってて、席が空いてたのよ。
 でね、俺のクライアントがその空いた席に座ってノート広げて向かいの席で報告用の書類作ってんのよ。
その状態が半年。
そう半年。
 職場の上司もそのお客さんには頭が上がらないから、俺に押し付けてる。
フォローもしてくんない。
職場は禁煙でそのお客さんは喫煙者だから、しょっちゅう喫煙室に行くわけよ。
 で、帰ってきたらまた不機嫌そうに向かいの席でわざと視線合わさないでプレッシャーかけてくんの。
息抜きもできない状態で休日も1日も無い状態で、さすがに精神が参っちゃって、ある日朝家を出て、駅まで歩く途中で突然、そうホント突然、死のうと考えたわけよ。
 でね、職場は千葉の柏だったんだけど、なぜか俺神奈川の関内に行ったわけよ。
何で関内かっつーと、今まで一番好きだった子と学生時代によくデートした町なんだ。
そこから1日中歩いた。
風が強い秋の日だったよ。
 知らない間に猛暑の夏も終わってて、そんな事も気付かずに半年も働き詰めたのに初めて気付いて、それもショックだった。
その子とも別れて1年、新しい彼女ができるでもなく、そういう感覚も忘れてた。
 そんな事を考えながらふらふら桜木町まで歩いて、名物のガード下の落書き眺めながら横浜まで歩いて、一緒によく朝まで過ごしたファミレスの近くまで歩いた。
もう夕方になってた。
そのファミレスの前に大きな歩道橋が掛かってて、下には車がぶんぶん。
 でね、ここだ!って決めたわけよ。
でもね、不思議な事にそういう時ってなぜか人目を気にしちゃうんだよね。
歩道橋を通る人がなかなか途切れてくれなくて、踏み出せないのよ。
 ずぅ~っと待ってて、やっと途切れて、今だ!って手すりに乗り出そうとした瞬間、そのファミレスの店員さんと目が合っちゃったんだ。
店員さんは凍りついた感じでこっち見てた。
何故か俺走って逃げちゃったんだよね。
 でね、またふらふら歩いてそのまま何故か伊勢崎町。
横浜の人なら地理解ると思うけど、一日かけて関内~横浜を往復しちゃってたの。
 でね、ずーっと歩いて京急日の出町の駅まで来ちゃった。
そこね、俺がその子に告白した場所だったんだ。
その瞬間、その日一日デートコースを一人で歩きながら一度も思い出せなかったその子の顔や表情、しぐさ、声を急にはっきりと思い出しちゃって、一人で泣いちゃったんだ。
あの頃は輝いてたのに。
俺今何やってんだろう、って。
 ひとしきり泣いて、泣きつかれて、そのまま藤沢の実家に帰ったよ。
実家に着いたのはもう深夜。
俺が帰ったらお袋が泣きながら俺に抱きついてきた。
会社から電話が掛かってきてたらしい。
 朝寮を出て出社してない、彼の勤務が最近厳しかったので疲れているんじゃないか、会社としても非常に心配している、何かあったらすぐに連絡して欲しい、との事だった。
警察からも連絡があったらしい。
 管内の駅で捨てた鞄が警察に届けられてて、中の携帯から実家に連絡が行っていたそうだ。
親父が受け取ってきたその携帯には上司や先輩や同僚や後輩からバカみたいに沢山着信が入ってた。
 普段口うるさい親父が一言、「よく生きて帰って来た、今日は安め」って言ってくれたのを憶えている。
結局死ななかったけど、その夜は眠れなかった。
一晩じゅう「俺の幸せってなんだろう?」って自問自答してた。

 翌日昼から出社して、上司に全部話した。
上司も何も文句を言わなかった。
結局その案件は先輩が引き継いでくれた。
 クライアントはもう来なくなってた。
担当も替わってた。
 引き継いだ後、1週間休みを貰った。
1週間、横浜の大桟橋の脇の船着場の浮き桟橋で波に揺られて毎日ぼぉ~っとした。
「俺の幸せってなんだろう?」って。
俺はやっぱりコンピュータが好きだ。
プログラミングが好きだ。
誰かとその事で議論するのも好きだ。
後輩に教えるのも好きだし、先輩から昔の話を聞くのも好きだ。
お客さんがすっげえ喜んでくれるのも好きだ。
 でね、1週間の長い休みが明けて会社に行って、上司に「やっぱりこの仕事が好きなので続けます」って言ったら喜んでくれた。
こんな事があって、絶対辞めると思ってたらしい。
それから、適当に息を抜く技を身に付けた。
お客さんのアオリのかわし方もうまくなった(と思う)。

 それから数年、今のカミさんには話した事無いけど、カミさんとその脇で寝ているガキの顔を見て、つくづくあの時死ななくて良かったと思う。
耐えれば幸せになれる訳じゃない。
でも、死んでしまうとその後の幸せにも出会えなくなっちゃうよ。
上手く言えないけど、俺は君に生きていて欲しい。
君なりの幸せがどこかに必ずあるはずだよ。






















歩道橋








ウチの実家の近所には、歩道橋がある。
国道1号線沿いだからか?結構デッカイ。

ちいちゃい頃、その歩道橋の足元の階段で、よく遊んだ。
1段~飛べた。はい、2段~飛べるよ~。3段~まだまだいけるよ~
大体4、5段上からピョンッと飛んで、満足していたのだが、
成長するにつれ、段数は増えた。

小学生になり、学校へ行くのに、その歩道橋を渡らないといけない。
上まで上がった事がなかったのだ。
歩道橋の足元で、チョロチョロしてただけで、頂上まで行った事がなかったのだ。

この話を思い出すまで、ずっと「すべり台」のせいで高所恐怖症になったと思っていたが、
いやいや、そうやない!もっと前から怖かった。

高い所が怖かった私は、歩道橋の頂上まで行くのにも怯えていた。
一気に階段が続いてる訳ではなく、途中踊り場のようなのがあるので2段階になってる。
そこから上はドキドキもの。
内心怖かったが、毎日使わなきゃいけないので、練習した。

頂上まで上り、振り向いた瞬間、手に汗を握ったのを覚えている。
振り向かんとこ…
問題はそこから!
それから先、その高さのまま、国道1号線の幅を歩いていかなければいけない。
幸い大きい歩道橋だったので、まん中を歩けば、何て事なかった。

行きは、集団登校だったので、町内のお兄さんやお姉さんを先頭に、
行儀よく並んで歩く。行儀よく並んでるので、まっすぐ歩けて問題はなかった。

でも、いつもいつも、まん中を歩ける訳ではない。
帰りは、1人だったり2人だったり3人だったりする…

前から犬を連れた人が来た日にゃ、大騒動だった。
でっかい犬も怖いし、歩道橋の下が見える端っこなんか、もっと怖い。
犬の方をじぃ~っと凝視してしもたもんやから、犬も私をじぃ~っと見る。
(いや~、あっち行って~~)と心の中では叫んでいるのだが、
こういう時に限って、性格の悪い飼い主だったりする。

私の様子を見て、面白がって、ウリウリ~って犬の手綱を持ち替えて、
こっちに寄せようとするのだ。そんなんしたら、私の歩けるスペースがなくなる。

私の限界は、結構狭い。これ以上柵に近付いたら落ちる!と思い、
ピコーンピコーン、危険信号である赤いランプが点滅。
犬と歩道橋の幅、この2つの恐怖が最高に達した時、

途端に、ビャァ~~~!!とわめき、叫び、大混乱な私。
ハハハ!怪獣や。
下を歩いてた人が見上げる程、でっかい声でわめいた事もある。

しばらく歩道橋というものに慣れるまで、腰を曲げ膝を曲げ、
狭い洞くつにでも入っていくような格好で、
遠くの景色を見るなんて余裕はなく、まっすぐ前だけを向いて、
少々うなだれ気味に歩いていた。
そんな様子を、みんなが黙って見てる訳がない。
友達は呆れてたと思うが、家族には笑われた。

悔しいが、怖いもんは怖いのだ。
これが、なかなか克服できず、何度も夢に見た事がある。

夢に出てくる時は、めっちゃ強気なのだ。
高い所なんか怖い訳がない!
この位の高さが怖くてどうする??なんて正反対なのだ。

歩道橋の柵の上に立って(そんな事してはいけません。)平均台~とか、
柵からぶら下がって(こんな事もしてはいけません。)刑事ドラマみたいに、
ヒョイッとトラックの荷台に乗ってみたり、それはそれは考えられない事ばっかりする。
夢の中では、全く何ともないのだ、不思議な事に。
しかし、そんな夢から覚める瞬間、手の平にジワ~っと汗をかく。

そんな裏腹な夢を見てるうちに、上級生になり、町内の班長になってしまい、
私が先頭を切って、下級生を引き連れる事になった。
背中曲げたり、腰を曲げたり、膝を曲げてる場合ではない。
下級生には、妹もいる。妹に馬鹿にされては困る。
いろんな意地によって、少々克服できた。


そんな私の歴史がいっぱい詰まった歩道橋、未だに健在である。
今でも怖いのだ…トホホ
前から大きい気の荒らそうな犬が来たら、ギャァー!!と私が吠えるかもしれない。























     日本平歩道橋







 静岡に日本平という所があります。
この日本平は、山なのですが、山頂まで道路が続いていて車で行けます。
その道路の途中で、民家も何も無い所に歩道橋があるのです。
人もおらず、誰も利用することが無い歩道橋がポツンとあるのです。
 この道路は、非常に事故の多い道路であることは確かで、事故があったから歩道橋を作ったと言うのは、ホントのことのようです。
それに尾ひれが付いて、事故死した人の霊が出るようになったために作ったと言う噂もあります。
 日本平は観光地ですから、バスも走っていますし、一度近くにお立ち寄りの節は見に行って下さい。
歩道橋が必要無い周りの状態から考えると、スゴク場違いな歩道橋であることはスグに分かります。
キツネやタヌキが事故に遭わないためのものとしたら、交通警官がキツネやタヌキを集めて、正しい道路の渡り方を講習しなければ、キツネやタヌキは歩道橋の上を歩かないと思います。


追加

 この歩道橋の近くに、昔、ボーイスカウト絡みの施設があったらしいと言う話もあるようなので、この施設のための歩道橋だったとすると、一応、納得するのですが、ホントにあったかどうかは分からないので、真相は不明です。

























稲川淳二の女王の歩道橋








 僕の実家はけっこうな田舎なんですが、そこにチョット奇妙な場所がありまして、今回はそのことをお話したいと思います。
少し長くなりますが、御容赦ください。

 その奇妙な場所とは小学校です。
この小学校、今では少子化の影響もあってか、廃校になってしまっているんですが、だだっ広い田んぼの真ん中にぽつんと建っていて、他に建物はなく、かなり離れた場所に住宅地があり、そこまで真っ直ぐな道が延々と続いている・・・。
そんな場所なんです。
 何が奇妙かというと、小学校から出てちょっと進んだあたりに歩道橋が設置してあるんですが、 道は小学校までしかなく、その先にはなにもありません。
つまり、車の通りなんてほとんどないんです。
小学校と住宅地を行き来する教師ぐらいですか。
その上、周りは田んぼしかない訳ですから、車が来たらすぐに分かるはずなんです。

 ちょっと話しは前後しますが、この小学校には年に一回、演劇の発表会がありまして各クラスがそれぞれ演劇をやり、保護者に観てもらう・・・といった行事です。
2年生のある女の子・・・仮にAちゃんとしておきましょうか。
 彼女はその行事をとてもに楽しみにしていました。
というのも、Aちゃんはその劇の中で「女王様」の役をもらったからです。
主役ではないものの、登場回数やセリフが多く、非常に重要な役でした。
Aちゃんは常に台本を持ち歩き、何度も読み返してセリフを覚えようと努力をしていました。
 その日もAちゃんは台本を読みながら下校していました。
すると突然、Aちゃんが歩いていた歩道に向かって一台の車が突っ込んで来たのです。
Aちゃんは避ける間もなく、即死だったそうです。
手にはしっかりと台本を握ったままでした。

 通学路でそんな事故が起こったとあっては、たとえ車の方が悪かったにせよ、学校側としても、何らかの対策をとらなければならなくなりました。
苦肉の策として事故があった場所に歩道橋を設置するということで落ち着いたそうです。
つまり、これが件の歩道橋が設置された経緯でした。


 話を戻して、廃校がある場所は地元ではちょっとした心霊スポットになっていました。
幽霊を見たなんて話しは一度も聞きませんでしたが、田んぼの中にぽつんと建っている廃校、車の通らない道に不自然に設置された歩道橋・・・。
恐怖を感じるには充分な場所だっと思います。
 僕も数年前、彼女と一緒にその歩道橋を見に行ったことがあるんです。
夜中の1時くらいだったと思います。
街灯もない真っ暗な道を車でしばらく走っていると、件の歩道橋が見えてきました。
 僕達は適当な場所に車を止めて、外に出てみることにしました。
外は真っ暗で人気なんて全くありません。
僕は持参した懐中電灯を点けると光を歩道橋の方に向けました。
 話に聞いたとおり、確かに歩道橋は不自然な場所に設置されていて、その歩道橋越しに見える廃校も、いかにもという雰囲気で僕は夏だというのに背筋に寒いものを感じていました。

 さすがに廃校に入る勇気はありませんでしたが、彼女と二人で歩道橋に登ろうということになり、階段まで近づいて行くと、その脇に古ぼけた看板が立っていることに気付きました。

“この歩道橋は安全を守る為に造られました”

看板には大きくそう書かれており、その下にこの歩道橋が設置された経緯が書かれていました。
何気なくその看板を眺めていた僕は、あることに気付き、驚きました。
「安」という字のうかんむりと、「全」という字の入の部分が薄くなって消えかかっていたんです。
つまりその部分を消して読むと・・・、

「この歩道橋は女王を守る為に造られました」


















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