今回は母成峠の戦いの地を訪れました。
母成峠の戦いは慶応4年8月20~21日に起こった、
会津を討つため攻め入ろうとする西軍と、これを撃退しようとする東軍との戦いです。
会津藩、大鳥圭介、新選組らの兵力は800なのに対し、
板垣退助、伊地知正治、谷干城らの西軍は2200とも3000とも。
東軍は圧倒的に数の上で不利でした。
この戦いで齋藤一率いる新選組が守備したのが勝岩(かついわ)。
今回は、この勝岩から流れおちる銚子ヶ滝を中心に訪ねました。
銚子ヶ滝への入口はこの山中にあります。
母成峠へ向かう道、母成の手前に滝への入口があります。
1.4kだし、途中までなだらかな道だし、楽勝と
油断してはいけません
最新熊目撃情報の張り紙に、もう一度手元の熊鈴を確認
気を引き締めていこー
最初の1kはこんな感じです。
下は落ち葉のふかふかじゅうたんで、
一部ガレている場所もあるけれど、
とっても歩きやすい。
諸処にある赤く染まった紅葉もとっても綺麗です。
…と、お散歩気分であちこちに目をやると、
こんな看板もしっかりあります
あと300mの表示で滝壺に降りていくと、銚子ヶ滝に到着。
でも、このラスト300mが、結構ハード
手すりや鎖もあるけれど、結構な急斜面で、
心の中でひそかに「落っこち坂」と命名
ラストのちょっとの距離なんだけど、
ここは、雨が降っていたり下が濡れているような時は
危なくてお薦めできないなあ
写真では伝わらないのですが、崖部分に無理矢理九十九折れの手すりをつけて
つたい降りていく感じなんです。
銚子が滝到着
滝が断崖絶壁から流れ落ちてきているでしょう?
この上が勝岩で、崖が2キロくらい続くんです。
この崖を天然の台場と見立てて利用して、
東軍は迫ってくる西軍を上から撃退しようと考えたんですね。
(だから、新選組がいたのはこの崖の上ということになりますね)
滝壺のまわりは岩がゴロゴロ。
奥多摩の御岳山のロックガーデンに似ているなあと感じました。
滝の説明板(クリックで拡大します)。
そのとっくりみたいな形から銚子ヶ滝。
この滝はその美しさから名滝として知られ、
現在でもハイカーが沢山訪れるみたいです。
さて、ひとしきりマイナスイオンを浴び、
山道まで登り返します。山道を更に和尚山方向にすすむと、勝岩の旧道。
この→の部分が勝岩への旧道なのですが、途中の沢越えができなくて
今回は沢の先まではいけませんでした。
岩がね、つるっつるなんです
足をおいたとたん、体持っていかれる…
当時は武器や荷物持ちながらなんてことなく皆さん越えていったんでしょうけれどね…
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最後に母成峠を訪ねます。その四に続く