昼食をいただいたあとは、酸川野、木地小屋といった
歳三さんの戦った地を車窓より眺めながら、猪苗代城跡へ。
会津の若松城が、通称「鶴ヶ城」なのに対して、
こちらは、通称「亀ヶ城」と呼ばれています。
現在は城郭跡が公園に整備されています。
階段を上に登って城址あとを訪ねました。
なんだか、この時点でとても寂しい感じ…
長い時間かけて準備してきたツアーももうあと一つの史跡を残すのみです。
でも、最後に訪ねた史跡が今日一番盛り上がった散策となりました
母成峠古戦場跡
この記念碑のそばに、
脱走軍&会津軍の築いた第三台場の跡がはっきりと遺されています。
第三台場の胸壁あと。
わかりにくいのですが、中央が凹んでいるでしょう?
中央左に高くなっているのが下の胸壁、右手が上の胸壁、
左側に旧道が通っていて、新政府軍が近づいてきたら、
二段構えで狙撃できるような作り(小原沢と似ていますよね)
この第三台場あと、数百メートルにわたって遺されています。
奇跡的に、かなり良い状態で。
大鳥軍がこちらを守備したのですが、遺構を実際に目にすると、
戦術とかその台場の狙いがはっきりとわかる
手つかずのかなりインパクトのある史跡です。
さらに、奥まで進むと谷に落ち込むところに当たる場所で、おそらく砲台を置いて、谷底からこちらに上がってくる新政府軍を狙撃したであろう砲台場所跡と思われる平場と胸壁がセットになった場所に出ます。
こちらでは、20人弱の方が、谷から上がってくる新政府軍兵士の位置と、迎え撃つ胸壁に立つ一兵卒の位置に実際について、いろいろなシミュレーションをしていました。
これが最高に盛り上がったそうで…
青い線が凹んでいる部分、赤い線が胸壁、あちら側が谷底です。
新政府軍兵士の目線に立つと、
「上方から狙撃されているにもかかわらず、脱走軍の姿は見えず、
ただ銃口だけが目にできる」
そうで、
「その恐怖といったらない」
とのことでした。
砲台跡を堪能した跡は、徒歩数分の東軍殉難者慰霊碑へ。
3日間を通して、東軍西軍を問わず、
戊辰役に関わった戦死者を慰霊し、顕彰する旅でした。
そして、郡山駅へ到着直前、
ご参加の皆様よりサプライズプレゼントをいただきました
全員が想いを綴って下さった誠の旗
こんなハードな行程の中で、いつ書いてくださったんだろう…
どんな贈り物よりもうれしかったです
長い長い時間をかけて準備してきた会津ツアー、
いろいろなことがあって何度も諦めかけましたが、
周りの方のご支援や横田先生のご協力のおかげで
3年かけてやっと実現することができました
皆さんと一緒に作った最高の旅でした
ご参加の皆様、ありがとうございました
今回ご応募くださったのに、参加が叶わなかった方々もたくさんいらっしゃいました。
定員が限られていましたので、心より申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、朗報です
次回、まだまだ企画のそのまた企画の段階ですが…
今回ご紹介しきれなかった歳三さんにまつわる史跡、
さらにさらにディープな会津戦争にまつわる史跡を巡る旅。
またあるかも
最後までつたない日記にお付き合いくださり、感謝ですクリックして応援して下さればうれしいです。
いつになるかわかりませんが、
また皆さんと歳三さんの足跡を一緒に訪ねてワクワクを共有したいと願っています
これからも、土方歳三資料館をよろしくお願いいたします。