哲学の科学

science of philosophy

侵略する人々(13)

2016-07-11 | yy51侵略する人々

要約すれば、古代末期から中世初期にかけてのヨーロッパ民族大移動に現われる侵略遠征は、栄養補給シテムとして放牧・素朴農業から(地方分散型の)高度農耕牧畜システムに移行する過程で頻繁に起こり得る現象である、といえます。ヨーロッパにおける古代から中世への歴史区分は、帝国の崩壊と封建制の成立と定義されていますが、このこともそのインフラストラクチュアである栄養補給システムの変遷過程(放牧・素朴農業から【地方分散型の】高度農耕牧畜への変遷)がもたらした現象とみることができます。
ローマ帝国は(中央拡散型の)高度農耕牧畜システムをインフラストラクチュアとする拡大侵略システムとして大成功し中央から辺境まで広大な領域を支配できたがゆえに時間経過によって崩壊の時期を迎えました。崩壊する帝国の文明が周辺遊牧民族に略奪侵略で利得を得る機会を与えたがゆえに、フン族やゲルマン諸族の大遠征を引き起こしました。
ローマ帝国の文明を表現するラテン語は、部族連合を作れない(フランス・スペインの)ガリア人のケルト語に置き換わることはできても、高度な部族連合として組織化されていた(ドイツ・オランダ・イギリス・北欧の)ゲルマン人のゲルマン語に置き換わることはできず、また堅牢に組織化されていた東ローマ帝国でも文明の高いギリシア語に置き換わることはできませんでした。
フン族やゲルマン諸族の大侵略は、騎馬軍団の高い機動性と敵の身体を暴力的に侵害する威嚇力に依存していたので、武力に優れた少数の軍団で多数の異民族を一時的に撃破できましたが、その物質的な効果は、歴史に名を遺した割には小さい、というパラドックスになっています。
侵略者たちは、征服した土地に自分たちの文化を植え付けることはできず、その言語は死語となり、遺伝子を残すこともできませんでした。少数の侵略者は武力で多数の異民族を威嚇し王族貴族として君臨し歴史に名を残しましたが、そのインフラストラクチュアである栄養補給システムは多数派の被征服者が以前から構築していた高度農耕牧畜システムに上乗りしただけでした。
この現象は、侵略者の武力による威嚇力が格段に優れていて、かつ少数であるという条件で成立します。
フン族、ゲルマン諸族、フランク族、イベリアアラブ、ノルマンバイキング、などの中世の侵略はこれに当たります。侵略後の支配の持続性は、被征服者の旧来の栄養補給システムにうまく乗り込めるかどうかによります。たとえば、被征服者の農耕牧畜システムの維持に協力する、彼らの言語、宗教に乗り換える、あるいは共存する、などです。
一方、初期のローマ帝国の拡大のように、自分たちが開発した栄養補給システムに被征服者を取り込み、宗教も言語も自分たちのものを埋め込むような侵略が成功するためには、よほど文明の格差が大きくないと無理です。世界最高の高度文明であるローマ文明、イスラム文明あるいは中華文明による蛮族の文明化、あるいは植民地化がこれにあたります。








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