哲学の科学

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マンガは言語なのか(7)

2018-02-17 | yy61マンガは言語なのか


鳥獣戯画の時代からマンガのようなものはあった、ということになると、現代マンガはそこからどこが進化したのか、というところを知りたくなります。
まずセリフがある。吹き出しがある。コマ割りがある。ストーリーがあったりします。演劇を紙の上に表現したもの、といえます。劇画といいますが、まさに劇を絵に描いたものです。その絵は、ある程度、写実的ではあるがダイナミックです。コマ割りを利用して時間軸を表現している。
まあ、鳥獣戯画に比べてストーリーや吹き出しやコマ割りがあるから現代マンガのほうが上級だと言いたいわけではありません。芸術としては逆でしょう。しかしエンターテインメントとしては、現代マンガの優れたものはたいしたものです。多くの人が心から楽しんでいる。夢中になってそれを読みたいと思っています。
優れた演劇もそういうものを持っています。人々は、人生の真実をそこに見て取れるから目を離せない。
現代マンガは、進化した種々の手法を用いて、演劇が与える快感のようなものを提供する。逆に言えば、マンガは、小説もそうですが、演劇が進化して紙の上に印刷できるようになったもの、ともいえます。演劇が提供する楽しみのうち重要なもの、たとえば人生のストーリー、がマンガには含まれている。
その他の魅力もあります。印刷物であるから書物のようにハンディである。つまり個人が携帯できる、展開のスピードを自由にコントロールできる、という点は大きな魅力です。
このようなメディアはマンガ以前にはありませんでした。ハンディな娯楽メディアは新聞や雑誌くらいだったでしょう。それらも文字の羅列でできていますから、マンガほど気楽でもありませんでした。今はスマート端末がありますが、身体への親和性という面で印刷物の代替となり得るかどうか、まだ確答できる段階には至っていないでしょう。
マンガは読むというよりも見る。それもテレビを見るよりも、自由です。好きなときに好きなペースで好きなものを見ることができます。オンデマンドビデオも、選択、早送りなど、コントロールはかなり自由ですが、マンガの自由度にはかないません。なにしろページめくりと視線走査で選択、速度制御、注意集中など自由自在です。










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