哲学の科学

science of philosophy

探検する人々 (7)

2018-04-21 | yy62探検する人々


ペリーが去って数年後、一八六〇年、日米修好通商条約(日本國亞米利加合衆國修好通商条約 Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)の締結のために幕府外国奉行新見正興とその随行七十七名からなる渡米使節団がワシントンのホワイトハウスを訪問しました。東回りに十か月で地球を一周した日本政府(江戸幕府)一行の詳細な記録が残されています(一八六〇年頃 玉虫左太夫「航米日録」)。
玉虫左太夫という人は当時三六歳の仙台藩士で渡米団員として個人的な日誌を書き残しました。
たとえばホノルルに初上陸した翌日一八六〇年三月六日の日記には以下のように書いています。
「十五日此処ハ晴雨定マラズ晴天ニシテ忽チ雨来リ道路常ニ湿ス予靴ヲ持タス歩行甚ダ難渋ス午後靴ヲ求メント市街ニ出テ旅館ヨリ二丁許行キ支那店アリ靴ヲ商キノフ其価ヲ問フ大円銀一個半ト云フ予国ノ方銀ヲ以テ買ントス彼筆ヲトリ此国不用方銀ト書ス予亦筆ヲ取リ所携唯方銀而己如何ト書ス彼首肯ス筆ヲ取リ四個方銀可以兌換ト書ス是ニ於テ予思フニ靴一對ハ我国ニテ二個方銀ノ価ナルニ四個方銀トハ甚タ貴シ然ニ今求メサレハ戸外ニ歩モ行ク能ワス乃チ四個方銀ニテ求メ帰ル(原文墨書から)」
一五日とありますが日付変更線を超えたので実際には旧暦二月一四日つまり新暦では三月六日です。
筆者は一九八五年、学会参加のためホノルルに滞在しましたが、爪切りを買うために町に出たところドラッグストアのおばさんに「ネイルカッターはないがネイルクリッパーならあるよ」と言われてそれを買ったらふつうの爪切りだった、という経験を覚えています。左太夫の百年後でも、ホノルルに初上陸した日本人の経験は同じようなものです。
現代人の私たちの感覚では、アメリカ人の町での日本の侍の初体験がこのように日常的な買い物風景であったことが逆に驚異です。現代人の私たちでも初めて訪れた言葉の分からない国の店に入って一人で買い物をするときはもう少し不安を持つでしょう。左太夫は自分の行動に完全な自信を持っています。どうしてなのか?
この世に真に新たなものなどなし(nihil novi sub sole)と、旧約聖書にあります。未知なものなどない、知っていることから類推すればすべては理解できる、という態度です。
左太夫は、未知の新世界を理解する場合であっても、自分の知識、教養に大きな不足があるとは思っていません。英語はまったく分からないが、中国人商人と漢文筆談で通じるのであまり不便していません。この後、アメリカ本土で中国人と交流し、アメリカ政府の外交政策は無邪気で友好的に見えるが油断ならない、などとアドバイスを受けてもいます。








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