哲学の科学

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敬礼する人々(1)

2018-06-03 | yy63敬礼する人々

(63 敬礼する人々 begin)



63 敬礼する人々 権威の存在論


火星防衛隊第二班長ケチャップ大尉は襲来する宇宙人部隊を火星の砂漠で迎え撃ち全滅させたが自らは被弾し戦場に散りました。アトム隊長は硝煙くすぶる戦場を走行する装甲車(火星ローバー?)の上に立って敬礼を捧げます(一九五六年 手塚治虫「鉄腕アトム①」)。当時、小学生だった筆者はマンガのこのシーンを、なぜか、はっきり記憶しています。
大人になってから、このマンガの図式は、トラファルガー海戦に勝利して戦死したネルソン提督をなぞったヒロイズム描写の典型だ、と気づきましたが、だからこそ、小学生にストレートで入るマンガになっていたと思われます。

軍隊では儀式的な敬礼が日常的に行われます。戦時ではなく平時に敬礼はよく行われる。毎朝の国旗掲揚では全身で国旗に注目し、緊張をもってきちんとした敬礼をしなければなりません。しかし軍人が最も重要な仕事をしている戦場では、むしろ敬礼は省略される。戦場では戦闘作業に集中するべきであって挨拶は後回し、が当然でしょう。

敬礼や挨拶は、戦時ではなくて平時に必要なのでしょう。なぜか?平時に敬礼をおろそかにする軍隊は戦時に勝てない。だから毎日の敬礼が必要である。スポーツ選手のトレーニングと同じです。
戦場の兵士が上官の命令を逡巡なく実行できないような軍隊は、負けて消えるでしょう。兵士が戦場で死なないために上官は偉い。どう偉いのかではなくて、上官であるということだけでひたすら偉い。ということでなければならない。そうするためには上下関係を身体に覚えこませる敬礼動作が効果的です。

偉い人は上体をそらせる。偉さを認める人は頭を下げる。つまり、「♪一歩進んで前ならえ 一歩進んで偉い人 ひっくりかえってぺこりんこ (NHK教育テレビ『ピタゴラスイッチ』アルゴリズムこうしん)」となるのが人間感性の自然です。お辞儀や敬礼はそれを様式化したものでしょう。

偉さというか、権威というか、敬礼したくなる人の偉大さ、怖さ、ひきつけられる魅力。そういう偉い人に敬礼すれば、認めてくれて家来として扱ってくれそうな気がします。そういう安心感が欲しい、逆ににらまれて処罰されると困る。だから私たちは偉い人には、敬礼したくなります。
これは、しかし、そもそもどうしてなのか?
権威に追従すると、たしかに得になることが多い。逆らうとしばしば損をします。しかしどうも損得ばかりではない。なにか気分的に権威に敬礼すると気持ちがよいところがあります。
宗教はまさにそこに基盤があります。ひたすら神をあがめ敬う。手を合わせたり、平伏したり。それは身体動作、形ですが、それが重要。敬礼動作そのものを神に捧げます。
人間の本性として敬礼がある、らしい。私たちは、ある状況では当然すなおに人に頭を下げたり、敬礼したりします。損得ではなく、自発的にそうしたくなるところがあります。そうしてその人がリーダーである場合、そのリーダーについていきます。
えらそうなリーダーに従って行動すると、自分が強くなれるような気がする。不安や恐れがなくなります。それは親や先生や年上の兄弟姉妹についていく子供のころから、だれもそうして行動してきたからでしょう。
それは身体がそう動く。動いてしまう。そうすると心が休まる。そうしないと不安。宗教を信仰する行為もそこに似ているところがあります。














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