以前にも書きましたけど

子供を身近で見ているのは親ですし

子供に対する判断をするのも親ですし

子供に対する決定をするのも親です。



長年の読者の方なら覚えていらっしゃるでしょうが

私は以前子育ての相談を受けた時に

『言葉の教室に通ってるって事は普通じゃないよ。
 だって言葉がウチの子は遅いって思ったから通ってるんでしょ?
 気にしなかったら通ってないもんねぇ。
 舅姑からこの子には障害が有るのでは?と言われて
 腹立つやら心配し出すやらって言うなら
 障害が有るかどうかを見て貰ったらどう?
 それで無かったら無かったで舅姑に言えるし
 あなた自身が安心出来るでしょ?
 有ったら有ったで早くに対処出来るでしょ?』


てな事を

もう少し長々と話した。



ところが彼女はムッとしたらしい。

周りのママ友達と同じ様に

『気にしなくてイイわよ~』

『男の子って遅いって言うし~』

『ダイジョブ!ダイジョブ!』


と言って欲しかったようだ。


何の根拠が有ってダイジョブ???


おまけに

言葉の教室に行ってるのは普通じゃないと言われたのがナンタラカンタラと

恨み言の様に言うが

コッチにしてみりゃあ

医者でもないからこそ

そんな無責任にダイジョウブよーなんて言わず

通常安心して不安無く子育てしている場合なら

通う事の無い言葉の教室に行ってる事自体

子供の状況にしても親の状況にしても

特に親のメンタル面に対して

『今のアンタの状況は普通じゃないでしょーよ』

と思ったからはっきり言ったまでだ。


ダイジョブよ―平気よ―心配し過ぎよー

と無責任に気休めを言って欲しいのなら

そもそも相談するのに人選ミスだ。





知ってる人は知ってる話しだが

結局数年後

彼女の子供には障害が有ったと分かるのだが

障害なのかどうかは分かり難いから

気か付かなかったのも仕方が無かった的な?

周りが大丈夫よ~と言うのでその言葉に安心した的な?

だから若いママさん達頑張って的な?

でも今は子供の障害と向き合う私エライ的な?

そんな現在になっているが

ずーっと前から知ってる者からすれば

『何言っても聞こえのイイ事しか聞かなかったのはアンタじゃん。
 それで今になってコレ?
 そんでそんな事言うの?
 よく言えるね?』


って話しなだけだ。



リンク先のブログ主は

いち早く自分の子供が他の子と違う事に気が付き

通っていた言葉の教室の先生に

『広汎性発達障害じゃないかと思っています。』

と聞く。

当時子供は3歳。

そしてここの先生も素晴らしい。

『私も見ていてちょっと気になっていました』

と答え

関係機関に診て貰ってはどうかとアドバイスする。


『お母さん気にし過ぎですよ~』
『男の子ですからそんな事も有りますって~』




その場しのぎの気休めを言わなかったのが素晴らしい。


障害者扱いされただの

医者でもないのに決めつけられただの傷付いただのと

そりゃあエライ事になる可能性大の話しなので

大体の場合は

『大丈夫だと思いますけどねぇ…』

と事なかれに返事するのみだろう。


そしてブログ主は子供を連れて診察に行き

発達障害の疑いが強いと言われるのだが

ココでホッとしたと語っている。


そして

これからはこの子の為にどうすべきかを考える事にしますと語っている。


ダイジョーブよー気にし過ぎだってーと言われてホッとする親も居るのに

こう言う点が大きな違いだと思う。


子供と関わって来た経験から言うと

本当に子供の為に考えている親は

自分がどう思われるかや

自分がどう思うかではなく

現在起こっている状況を冷静に判断して

本当に子供の為に何が一番イイ道かを選ぶ親だ。


子供が可愛い以前に

自分が可愛い訳で

自分が楽になりたいのだ。


青少年関係で忙しくしていた頃にも

今子供をどうしたらイイのかの話をしているのに

自分がどれだけ家事やパートでしんどいのかを

延々と語り出す母親が結構居た。

私こんなに頑張ってるんですアピールをして

何が言いたいんだか???

こんなに頑張ってるんだから子供がおかしくなっても許してニャン?

こんなに頑張ってるんだから自分は悪くないでしょってか??

こんなに忙しいんだから子供の事はソッチでやってよって言いたいのか??


まぁ

とにかく子供がそうなっているにも関わらず

言い訳満載の場合は

往々にして自分は悪くないと言っている訳で

過程があるから結果が出ているにも関わらず

過程はどうでもイイだろうと言う訳だ。

自分がどれほど頑張ったかは延々と喋る癖に

自分がどれほど抜け作だったかに関しては

過程はどうでもイイだの

過ぎた事をいつまでも言うなだので

オマエは子供か!? って話しだ。




少しでも心配な所が有れば

早めに各機関に相談して

早急に対応する方が

親子の為だ。


やっぱり気にし過ぎだったわ~

になればそれでヨロシ。

早めに診て貰って良かったわ~

になればそれもヨロシ。



小学生相手に仕事をしていた14年間で

程度は軽いものの障害が有ると見受けられる子供が数人居たが

『あそこのお母さんはプライドが高いから
 そんな事(障害が有るかどうか診て貰う事)なんて
 絶対にしないわ!!』


だの

『あぁ、あそこの親は子供ほったらかしだもん。
 参観日にも保護者会にも来ないしね。
 子供の為に時間作るなんて無いわぁ』


だの

『クラスで障害が有るんじゃないかって誰かが言ったみたいで
「どいつが言うたんや!ウチの子は障害者ちゃうぞ!」って
 父親が怒鳴り込んで来て校長が大変だったみたいよ。』


だの聞く事も有り

余計に周りはその点に関しては言わない様になるよなぁと思った。


私みたいに

『そりゃ、その状況やったらおかしいんちゃう?
 診て貰ったら早いやん。
 無かった無かったでエエし
 有ったら有ったで早よ手ぇが打てるやん。』


なんて言うと

『おかしいって言われた!!!!』

と言われちゃうんで

『気にし過ぎよ~大丈夫よ~』

って言うんだろうなと思うね。

どっちにしたって責任無いし。


後々

『あの頃は周りからも大丈夫よって
 気にし過ぎよって言われたから安心してました』


なんて人のせいにしたって

みんな口には出さないだけで

バカ??

と腹の中で思ってるもんだ。



昔と比べれば

数段サービスも広がって来て

偏見なども減りつつあるんだから

(あくまでも昔に比べて)

まず普段の子供をよく観察して

心配なら診て貰って

適切な対応と指導(療育)を受けられる事を

一つの情報として持っておいて欲しいなぁと思います。


むかーしむかし(私が子供の頃)なんかね

障害は一緒に遊んだらうつるだの

人目に出すなだのって

そりゃ大変だったんだから。


ちなみに私が小学校の頃は

特殊学級(今の支援学級)の子と一緒に授業をする機会が多くて

特に学級委員なんかだとその子の担当(?)になる事が多くて

その頃から躊躇なく接する事が出来ていましたね。


当時もやっぱり

『ようそんな奴と手ぇつなげるなぁ。
 手が汚れるわぁ。
 汚いからこっちに来んな!!』


と言うバカがいて

そう言う奴が今ジジババの世代になってると思えば

教育って大事だよなぁと本当に思う。


そんなこんなを色んな形で我が子に語って来たせいか

次男は小学生から大学卒業まで

ユニセフやら何やらのボランティアをしてたんですがね。



まあ

親の責任は重大って事ですよ。