人気blogランキングは? (1/23 からのつづき)  「エイジングした私は、今、江森さんをどのように見ているのだろうか?」と書いた。
 書いてはみたが、まずもって私は、頻繁に江森さんに会っていた頃の彼の年齢を、とうに超えている。…まッそれはともかく、私は時の流れに乗って自然にエイジングしてきたのだろうか?…怪しいものだ。
 いや、だからといって、自らの年齢を顧みず懸命にアンチエイジングに励んできたわけではない。むしろ、アンチエイジングには素直になれないのだから…。
 「そんなに若いっていいことなのかしら…?」
 健康であることを目的とした肉体鍛錬の証であるならそれはそれでいい。しかし、世の大勢はどうも「見た目若さ」へ向かってしゃかりきになっているようにみえる。
 まァ、そこのところに大きな「市場」もあるわけだけれど、コマーシャリズムにのせられるほど、こちとらお気楽じゃない。
 どうせ、肉体も体力も衰えていくのが、これはこの世に生をうけ、生きていく動物であることの定め、頭髪の減り具合も、身長の縮み、シワの刻みも、はたまた、視力聴力腕力脚力の衰えも個人差はあるが、それが現実、個々に年相応でよいのであって、アンチエイジングといくら抗っても、若き日あの時の“凜々しき姿”は、もう還ってこない。…命はやがて尽きる。
 これは諦観などではなく真理、「自然なエイジングこそ理想的」と、とにかくそんな風に私は考えている。
 まるで開眼し悟り開いたようにエラソーだが、そもこんな境地に至ったのは、実に単純、“男”としての能力が次第に由々しき状態となり、もうほとんど“女”を追い求めなくなってきたから…とは。
 白状すれば、「あわよくばアバンチュールも」の可能性あるうちは、私とてあれこれと育毛剤を試し、アスレチッククラブに通って身体を絞り、歯の治療も怠らず、もてファッションにも凝った。
 いやはや、まさに品性お下劣、下衆の極み。…なんてことだが、そうそう、私が言いたいことは、こんな肉体的体力的表面的なことではなく、能力知力、知性品性、経験知識、突きつめれば、エイジングで得られる「心」のことだ。
 おそらくエイジングってのは、ちょっと「宇宙からの俯瞰」つまり「神の目」にも似たポジションに近づいていけることのような気がする。それは、己の心がピュアであればあるほど、あるいは、己の経験や知識などの蓄えが多ければ多いほど、そのような「目」を輝かせることができるのではないか…。と書いたのも、そこのところ。
 二十歳になる前から早く歳を取りたいと、私は真剣に願っていた。
 ぶっちゃけ、歳を重ねれば、世の酸いも甘いも嗅ぎ分けられて、人生の機微も生きることの意味も自然に分かるようになる…。と、まるで「身体」の衰えと取り引きするように「心」は真理に近づけるものとかたく信じていた。
 というわけで、エイジングした今の私は? ってーと、いャー「怪しいものだ」。…忸怩たる思いを抱きながらそう言ったのは、ますますもって人生の意味なんてのは曖昧模糊として分からなくなっているからである。
 しかも、情けないことに、ボケ、認知症、アルツハイマーというわけではなく、ベンジャミン・バトンじゃないけれど、ある種の「幼児還り」をしているかのような…。それはそれで「ピュア」なのだろうが…。
 それにしても今、やはり「自然の時の刻みに抗わぬがよい」…と、つくづくそう思う。
 ところで、この世の人生に幕を下ろした「江森陽弘」…彼は、この世の「江森陽弘」を、もう自ら意図して変えることはできない。そう、とても不公平だが、「江森陽弘」を変え得るのは、こちら側にいる私たちだけ。
 「美は、見る人の目にある」と言うが、「歴史」も為政者に美化されてきたように、まして、いわんやあちら側にいる「人」をおいてをや…だ。
 かくして、今、私のポジションから、江森さんを、どう見ているのか?
 「オイ、コダマ! そんなコト止めろよな! そっちにいるオマエが、どう見たってオレは知ったこっちゃないけどさ。 ただサ、そっちでオレの気持ちの中に、スンナリと何の違和感なく、しかも結構図々しく居座っていたオマエだったんだぜ…今更って、お笑いぐさだヨ。… なァコダマ、せめて、こっちで会うことを楽しみにしているオレが、今も居るってコトをさ…」
 宇宙から俯瞰しながら、江森さんが、そう言った…。 (つづく)
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