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 「若林仏蘭」先生があちら側に逝かれていた。今年3月のこと、83才で…「淋しくなりました」と、いつも先生に寄り添っておられた奥様からの葉書。…この時節になると、遅ればせながら知る私は、いつもズレてしまった悲しい思いに、自らを間抜けなヤツだと思い知るのだ…。
 どんなことでも、できるだけ多くのことを知りたいと願う私だけれど、(これは、若林先生の奥様には、とても失礼なことだ…が)いや、知らないことの幸せも、そんな都度都度に思うのだ。
 手前味噌だが、若林先生はもちろん、江森陽弘、林秀彦、岸本一男…私には、今もみんな生きている。彼らが生きていることが、私が生きようとする「よすが」になっているからだ。私のたどってきた道に、彼らは欠かせない存在だから…。
 以前、このblogに若林先生のことを書いた。それは、そのことの証になるような気がする…。

 料理作家の若林仏蘭先生から、久しぶりのmailが届き、折り返しの電話で、ついつい長話をしてしまった。
 先生とは、私が企画した「トークショー形式の料理番組」(…この種の料理番組のいわば元祖と言ってよい)のメインにレギュラーとして出演していただいて以来の長いおつきあいだ。
 先生のおしゃれは「コンサヴァの鏡」といってよいほど、年季と一本筋の通ったもので、コラムにもご登場願ったことがある。そんな先生が、今、「小説」を書いているとおっしゃる。
 私が知るところだけでも、人生自体が「小説」のような、ちょっと外見のやさしい微笑みからは想像できないほど、奥深い不思議なところを持っている方である。
 エピソードの一つだが、ある日突然、「自衛隊の潜水艦に乗りませんか?」と、先生に耳元でささやかれたことがある。ベールに包まれていた自衛隊の取材は、当時、各局が欲しがっていた「ネタ」の一つであった。にわかには信じがたかった、その言葉の「ウラ」を一つ一つおさえていくと、かなり信憑性の高いものがあった。
日本潜水艦隊

 さっそく企画書を書き上げ、制作プロダクションのプロデューサーとともに、ドキュメンタリー番組として評価の高かった「中村敦夫の地球発22時」(MBS)に持ち込んだ。日テレの「time21」やTBSの「そこが知りたい」、CXの「何てったって好奇心」などと、ドキュメンタリーや情報ノンフィクション系番組が最も盛んに制作され、視聴率もかせいで「鼻息も荒かった」時代である。
 私は、それらの番組に企画・構成で関わったりしていたが 、この企画は、先生にコーディネイトを頼み、「初公開!日本潜水艦隊」としてOAした。
 それがきっかけとなって、自衛隊陸・海・空三部作と言われる、「航空自衛隊最前線」(MBS・同枠)、「日本の特殊部隊」(TBS・そこが知りたい)を企画・構成することになるとは、よもや思ってもみなかったが…。
 写真は、潜水艦「うずしお」に敦夫さんと一緒に乗り込んでロケを行ったときの一枚だ(後列中央が敦夫さん、その右に若林先生、前列に私を含めたTVクルー)。
 自衛隊の潜水艦にTVカメラを持ち込むなぞ、ちょっと言語道断に近いことだったが、それは番組の目玉であり必須の条件だとして、最後まで押し通した。このあたりに、若林先生の「力」があったことは確かだった。しかも、浦賀水道に向けて潜行しての撮影も許可された。もちろん本邦初の取材であった。
 そんなわけで、この番組には公私にわたっての思い出が詰まっている。軍事アナリストの小川和久さん、プロデューサーの神田聰さん(元 株式会社博宣インターナショナル代表取締役社長)、ディレクターの相原英雄(現在、株式会社プラネットエンターテイメント代表取締役)…確かに錚錚たるメンバーだ。
 私は、奇妙な衝動にかられてアルバムをめくり、山と積まれたビデオライブラリーから今やっとその一本を見つけ出した。
 今宵、この一本の番組を道案内に、記憶の周辺を探る旅に出てみよう…。

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